ページ

2012-04-04

3月によく読まれたポスト

新年度となりましたね。

松江では20度近い日があったと思ったら今日のように嵐が来たりと体調管理が難しい日々が続いています。

さてさて、月1でやろうと決めたテーマ。

3月によく読まれたポスト

です。
ということで早速。

5位

Styles: 『プレイフルシンキング』読了

この本はヒトコトでいえばライフハック系の本です。

ポストを今一度振り返ってみると、うむ! と改めて納得する本です。
新しいことにためらうことなくチャレンジすることの意味。
また近いうちに読み直したいですね。


4位

Styles: ゼニと笑みのバランスシート

ぶっちゃけ、タイトル失敗したなーと思ってます(苦笑)

なんだよ、「ゼニと笑みのバランスシート」って。。。意味分かんねーよ。
とは言え、その時に込めた思いはそれなりに強いのです。
資本主義経済のある種の限界が見えてきた、と同時に「幸福度」のような指標が注目を集めるということが新しい社会システムの方向性を示唆しているような、そんな気がするという想いを込めてます。


3位

地方コンサルタントのネットワーク化

これも書くタイミングが時期尚早だったかなーと思わないでもない。
けどまあ、このブログをわざわざ関係者が読んでることもないだろうから、大した影響もないでしょう。

ネットワーク化は必要だという認識は変わっていません。
それが島根県内のネットワーク化になるのか、もう少し広い範囲のネットワーク化なのかは別の問題ですが。

ただ利害関係ぶつかりまくりで難しいかなぁ。


2位

Styles: 「意識の低い」学生だった僕

これも書き方がどうだったのかな、と。
これだけ読むと、「おれは今、意識が高いぜ~~」と言ってるようで嫌な奴だな、と(苦笑)

自分をもう少し正確に表現すると「意識を高く持ちたいけど、いろいろとそこまで至らない平凡」な人間となります。
意識の高い学生の活躍を見て、それをいい刺激にして負けないように突っ走るのみです。
やるべきことをやる。


1位

Styles: 『秒速5センチメートル』は心の奥で何かがうごめく

なぜですかね。10月に書いたこのポストが3月は一番よく読まれたようです。
このアニメは、未見の方はぜひ見てもらいたいなと思ってます。

特に桜が舞い散るこの時期、別れと出会いのこの時期、見るにはいいシーズンだと思います。

特にキュンキュンしたい、という方。男性。高校卒業したばかり、大学を卒業したばかり、という方。
そういう別れのシーン前後に好きな人が隣にいた方にオススメです。


人生、別れと出会いを繰り返して、後悔と希望を合わせ持って一歩一歩進んでいくのだなぁと思います。
今年度は、僕も新しい一歩を踏み出したいと思います。

2012-03-21

観光統計データ

データの話。

Ustreamを見てたんです。
島根県の県議や松江市、雲南市、奥出雲町の若手議員さんが出演して、いろんなテーマで議論します、という番組を。

そこで、ふと松江開府400年祭の効果ってどうでした?みたいな話の流れになって、思い出した。

あ、そう言えば観光動態調査結果の数字ってどうなんだろ??ということを。


どうやってデータを出しているのか

県の観光動態調査結果ですが、いくつかの手法を組み合わせて推計値を出しているはずです。
違っていたら指摘いただきたいんですが。

一応エクスキューズしておくと、島根県は日本観光協会の基準を用いて調査をしているようです。

では以下、ざっくり説明しておくと3つのパターンになるのかな。

  1. 施設でのカウント
  2. 観光地(Not施設)での実勢調査
  3. 実勢調査から年間来訪者を推計
1.施設でのカウント
1については、簡単。
たとえば島根県東部なら、県立美術館とか足立美術館とか有料で、お客様が何人入ったかというデータが毎日、毎月取れる施設。
西部だとアクアスとかサヒメルがあるし、隠岐だと自然館とか碧風館なんかだよね。

これはチケット販売数等でほぼ正確に抑えることができる。

2.観光地(Not施設)での実勢調査
次、2番目。
これは、年間に何日間か調査日を設けて、その日に一気に、実際に調査を実施するタイプ。
一応、県の観光振興課のHPから確認しましたが、おおむね春夏秋冬に一回ずつ設けられています。

http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/report_h21.data/H21_1.pdf


平成21年 2月 6日(金)   2月 8日(日)
平成21年 5月 1日(金)   5月 3日(日)
平成21年 7月17日(金)  7月19日(日)
平成21年11月20日(金) 11月22日(日)


これ、一見するとその調査日においては正確な数字が出ると思いがちですが、危険です。

実は、ひとりが何箇所か観光地を周遊すると、回った箇所数、「観光客」としてカウントされてしまいます。

たとえば、僕が調査日初日に松江城周辺をうろちょろし、その後由志園へ行き、玉造温泉に行くと初日だけで3人分カウントされることになります。

二日目、フォーゲルパーク行って、出雲大社行って、石見銀山行って、三瓶山でゆっくりして、玉峰山荘行ったら、4人分カウント。

三日目。隠岐のりょうばに行って、国賀海岸に行ったら2人分カウント。

実際に動いているのが僕ただ1人だとしても、です。

すごくないですか?
計9人カウントされるんですよ?間違ってたらゴメンだけど、たしかこの考え方で良かったはず。

3.実勢調査からの年間来訪者を推計
さらに問題だと思うのは3番目の工程。

1人しか動いていないのに9人とカウントされるこの数値ベースで、1年間の観光客数を推計してしまえってなもんです。

もうね、ブレが大きすぎるんじゃないかと。
他に方法がないのか、数値をできる限り大きく見せたいのかわかりませんが、一番の問題は事業にかかったコストに対してのベネフィットが実は評価できない、という点にあると感じます。

評価対象となるデータがデータとしてキビシイんですから。

それに、考え方、やり方としては、この調査スケジュールが事前にわかってれば、工程2の段階で、この調査日にイベントぶつけて短期間でもドンッ!と観光客を増やしておけば推計には相当有利に働きますよね。。。

いや、これもひとつの客観的なデータといえばそこは否定出来ないかなとは思います。
事前にルールを決めてその手順に基づいて調査・推計するわけですから。

ただ、なんとなく違うんじゃね?感が拭えない、というだけで。


隠岐諸島はその点有利

隠岐諸島は、アクセスが船(フェリー/高速船)か飛行機かしかなく、どちらもフリーライダーはできないので基本的にほぼ100%把握できるんですね。

隠岐汽船だと乗船目的にも印を付けるようになってて、「観光」という項目もあるので、データとしてはすぐに出せるはずですし、隠岐支庁もそのデータに基づいて作成された数値を使っているそうです。

全国各地が同じ推計方法を採用しているのかもしれませんが、印象としてはゲタはかせ過ぎじゃないのか、と思います。

それなりに正確なデータを出して、それをベースに計画しないと効果も図れない。
それが一番問題であろうと思います。

2012-03-18

「研究」という活動

先日、とある研究会の会合に参加してきました。

正直なところをいえば、その場で僕は場違いなんですが、首を突っ込んだ以上そうも言ってられないし、いろんな視点、考え方を聞けるのは非常に魅力的なので参加したわけです。

そこで僕はソーシャル・キャピタルについて今後これこれこういった考え方で研究を進めたい、という話をして、現状認識についても少し報告したんですけど、「あ、これじゃイカンわ」と感じたのです。

何がイカンのか。

一言で言えば、これまでのおよそ10年近い経験に基づく「ビジネスの視座」から「研究の視座」にうまくスイッチを切り替えられていない、ということです。

スイッチを切り替えるってどういうことかを、簡単に説明すると。

前提:目の前にハードル(何らかの問題/課題)があり、それをどうにかして超えていかなければならない(問題解決)


この時……

■ビジネスの視座
ハードルを「跳んで」乗り越えるのか、逆に這いつくばって下を潜るようにクリアするか、はたまた右か左に避けてクリアするか、といった「方法」を導き出して、どれを採用するか「意思決定」ができるレベルの情報があればいい、ということだと思います。

■研究の視座
ハードルの高さは何センチなのか、自分の跳躍力はどれくらいか脚力はどれくらいか、そういったものをすべて厳密に導き出して、ようやく、「では、クリアのためにはどれを選択しましょうか」となるイメージ。
さらに言えば選択するにも、合理性、論理的に適っている必要がある。


ビジネスだと「何センチ」とか細かい数字は不要で、飛ぶべきか、くぐるべきかという大枠の方向性が決められればそれでいいし、そうでないと刻一刻と状況が変わる場合何も意思決定できない、という状況に陥りますね。
そして、何も決められないということは問題を先送りし、かえって事態を悪化させてしまう。

つまり、厳密である必要はさほどない。むしろ厳密さを求めて時間をかけるよりも早め早めの判断ができるようなデータがあればいい、というものだと思います。

異論はあるでしょうけれど、ビジネスだとしても戦略を立てるには、当然データは抑えるし、論理的に計画をつくりますからね。


で、僕は基本的に前者のスタンスでやってきたので、研究という視座になかなかスイッチを切り替えられないであえいでいるところです。

頭の中ではイメージできてるんだけど、それがアクションにうまくつながらない感じです。

それこそ、そうも言ってられないので、しっかりとやっていきたいと思います。

ビジネスはしっかりとやりつつ、「研究」でもきちんと認められる成果が出せるようになりたいなぁ。

2012-03-12

僕を変えた1年間

日付で言えばもう過ぎてしまったわけだけど、やはり書かないわけにはいかないなと思う。

2011.03.11

その日、僕は何をしていた?

はっきりと思い出せる。
前日の3月10日から一泊で隠岐の島町に出張し、15時過ぎ出港のフェリーに乗船した時、船内のテレビで未曾有の大地震が発生したことを知った。

テレビではひっきりなしに津波警報を流していたが、その時点では事の重大さに気づくことなく、仕事で疲れていたこともあり、船内でいつものように寝た。

そして、17時半ころ、七類港に入港した後くらい、もう少し具体的には車でラジオを聞いたであろうくらいから記憶が断片的になる。
おそらく、ラジオを聞いてようやくとんでもない事態なんだと認識したのだろう。


僕がしたことといえば、被災地にボランティアに行くこともなく、せいぜい募金箱にお金を投入するくらいだった。

それでも、3.11はたしかに価値観を少し変えた。
それは時間が経過するにつれて、僕の中に深く静かに浸透していったようだ。
気づいたら、僕の中には新たな価値観が形成されていた。
自分の仕事は何なのか。誰のために、何のために仕事をしているのか。どんな価値が提供できているのか。

その証拠に、このブログは昨年3月末から始めているが、その頃でさえ何一つ地震については触れていない。
その理由は今この時点からでも推測は容易だ。
3.11について何か書いても薄っぺらくなるので、避けていた。
そういう僕が、1年というある種のタイミングでこうして書いた、ということはやはり何かが変わったのだろう。


僕が中学生だった頃、阪神淡路大震災が発災。
発災の時間帯は未明で、当時それなりに部活に精を出していた僕は、一度眠りに入るとちょっとやそっとじゃ起きない深い眠りが得意な子どもだった。
当時の住まいである大田市では震度が3とかそこらだったらしいが、僕は一切起きることなく、普段通り朝7時半くらいに起きて、母親からニュースを聞かされて知った。

今となっては非常に近い関西で起きた大きな災害であったにもかかわらず当時は、まったくもって現実感のない、自分の日常とは切り離された「ニュース」としか認識できなかった。


同年代の人もそうでない人も、まさか一生のうちにこんな大規模な地震災害を二度も目の当たりにするとは、とても想像もしなかっただろう。


話は飛びに飛ぶが、東日本大震災がもし深夜に発災していたら、死者数はゼロが一桁増えていたであろう、という話もあるようだ。

2万人の死者で済んだことはむしろ恵まれていた? 防災学者が危ぶむ「魔法の津波対策」が語られる世相 ――藤間功司・防衛大学校教授のケース|3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史|ダイヤモンド・オンライン

ラジオを聞き、テレビを見て、涙が自然と溢れそうになる。
でもそれは、理不尽な自然の猛威に対する怒りなどではなく、それでも何かを守ろうとする人、正確な情報を伝えようとするヒト、可能性は低くとも生存者を探そうとするひと、静かに心に寄り添う「人間」を目の当たりにするからだ。

被災された方たちにとっては、ここまで氾濫してしまった「絆」という言葉が重たいようだ。

不思議な因縁か。
3.11の一ヶ月ほど前のタイミングで、僕はまさに地域の、コミュニティの「絆」の力を指す「ソーシャル・キャピタル」について書いた修士論文を学内発表していた。

ソーシャル・キャピタルと「幸福度」について、地域内の「共食」と家庭内の「共食」の視点から何か得られないか。
共食をキーワードにソーシャル・キャピタルを醸成することができるのではないか、と考えた。

ソーシャル・キャピタルというものは、今後僕の中ではきわめて重要なアイディアとなると思う。
僕の能力ではソーシャル・キャピタルを十分に理解することは困難を伴うけど、それをライフワークとしても、仕事にも活かしたいと思う。

ヒトは共通する困難、課題がなければ協力はできないのか?そんなことはないはずだ。


今日は、学生の頃に得た大事な地域の近くを思いがけず訪れることになって、それが3月11日であるということに、また何かの因縁を感じたので、どうしても今自分の中の言葉を書きだしておきたかった。

整理することもなく書きなぐっているので、自己満足なポストだけど。

いつか、東北を訪れてみたい。
願わくばその頃には、少々金を使っても惜しくないくらいには自立していたい。


2012年3月11日 記

2012-03-09

「意識の低い」学生だった僕

最近の傾向なのか、仕事の関係でそういった情報が目に入るフィルターがかかっているのかわかりませんが、「意識の高い学生」というものが多いですね。

眩しいくらいにキラッキラッとしてます。
心底すごいなと思います。

先日、学部時代にお世話になった先生と話す機会があり、そこでも
「君は学生の頃そんなタイプ(自分で考えてドンドン動くタイプ)じゃなかったもんね?」と言われて、「そのとおり!」と答えてましたから。

周りには数人はそういう学生はいたし、自分もそういう空気に憧れないわけでもなかった。

でも、バイトをして、ゲームをして、マンガを読んで、映画借りて見て、たまに映画館で見て、という生活でした。
そういう世界に興味がないわけではないが、どこか遠い世界というイメージでした。

要するに、ダメ学生でもない、ずば抜けて優秀な学生でもない、ごくごく平凡な学生でした。


誰かが言ってましたけど、「コンプレックス」が働く原動力になることがあるそうです。

僕の場合、彼ら「意識の高い」人々へのコンプレックスが原動力かもしれないな、と最近思います。
本当に眩しいです。


ただね、そんな意識が低い、平凡な学生だった自分が今、まちづくりだの地域再生だのやってるというのは不思議な縁です。

今の自分がより高いレベルにあがった、とかそういうことじゃないんですが、「働く」とか「公共」とか「地域」とかいったことに目を向ける仕事をできている、というのは「人は変われる」という証左じゃないかと。

平凡でも、人から頼りにされることはあり得る。
自分には何も特徴がない、と思ってる学生には前を向いて目の前にあるチャンスを追いかけてみてほしいなと思います。

周りに恵まれていたという幸運はありますが、超平凡であっても、自分の居場所は作れますよ。

「意識の高い」学生、ライバルに気圧されず、ともにがんばりましょう。

2012-03-06

地方コンサルタントのネットワーク化

とあるSNSで書き込んだ内容で、少し前に考えてた問題意識に立ち戻ったので、書いてみる。

テーマは、ずばり「地方コンサルタントのネットワーク化」。


背景1 地方の将来を決める仕事のプロポーザル

なぜコンサルタントのネットワーク化が必要なのか。
それは、地方自治体が発注する「◯◯市総合振興計画」とか「◯◯市ビジョン」だとか、当該自治体の今後5年10年の方向性を決める仕事があります。
その場合、おおむねプロポーザル方式が採用されると思います。

プロポーザル募集されていることが確認されると、社内で向かうか、向かわないかを検討します。
この時点で、たいてい僕は「結果はどうあれ、向かうべき」と主張します。

その理由は、「『勝つ目がないものに向かうのはムダ』という考えは負け犬の考え」だと思っているから。そういう考えで向かわないのなら、いつまでたってもその分野で経験もノウハウも蓄積されないのだから、キビシクてもその分野についてまず研究し、会社なりの方向性、方針を示すことに意義があると思うから。

それに、そもそも「負ける」なんてこと考えて手をあげません。出すからには、出すと決めたからには勝つつもりでいつも出してます。


背景2 総研系の進出

そのプロポーザルですが、「◯◯市内に本社または視点を置くもの」みたいな要件がある場合もあれば、ない場合もあります。
ない場合、そこそこ大きな金額の仕事だと東京や大阪の大手コンサルタント、総研系も入ってくることがあります。

うちの場合、まあ負けることが多いんですね、正直な話。

でも、提案内容で負けてる気がしない、というか内容ならいい勝負してるか、上行ってるでしょ?と思うんだけど、負けてしまいます。(遠吠えですね。。。)

負ける相手は地方の他社だったりもするし、大手だったりもするんですが。

去年、一昨年に限って言えば、「万年2位かよ!?」と思うくらい結果が「次点」続きでした。
非常に悔しいです><


ネットワーク化の目的

島根県内のコンサルタントというと、相互にライバルであり、商売敵であり、負けてなるものかと思う相手であります。
しかし、その一方でコンサルタントのスキルアップは必要で、それを単独のコンサルタント会社でやる、というのは実はコストもかかるし、時間もかかると思うんですね。
であれば、コンサルタントの有志だけでも研究会、勉強会のような形で情報をシェアできる、切磋琢磨できる、良い意味でライバル意識を煽りまくるというのはありだと思うんですね。

オフィシャルでは商売敵でも、プライベートでは単にライバル。
おたがい刺激し合って研鑽しようぜ!というのが、目的。

自分が得意な部分をある程度オープンにしたところで、他社に入り込まれるようなことはない、という自信は誰しもあるでしょうから。

県内コンサルタントのスキルがあがれば県内コンサルタントの評価自体も高まり、総研系が進出してきても名前負けしないような環境にしたいですね。

と言っても、具体的にこんな話を進めてるわけじゃなくて、こんなことができるといいんじゃないかなーと思ってる、くらい。
あ、信頼する人二人くらいには、「こんなことしてみたいんだけど、どうですかね?」とは話したか。
ちょっと拙速かな、といった反応だったので、寝かしてるけど。

コンサルで興味のある人がいたら連絡ほしいけどなー。

弱小コンサルだから相手にされないに100ペリカ。

2012-03-05

「まちづくり系」コンサルタントの採用状況は・・・

先日、とある大学の先生から、学生がコンサルタント業に関心を持ってて、受けるだけ受けてみるらしい、という話を聞いた。

その時は、

「ああ、そうですか。あそこの会社は業績も上向きでいいみたいですよ。いい人材欲しがってるみたいですし」

と当たり障りなく切り上げた。

切り上げたんだけど、どうしても気になったので、後日再会した際に本音を伝えておいた。

正直、身も蓋もないことを伝えた形だけど、少なくとも自分が考えるコンサル業の現状は教えておかないと、と思ったので。


まず、現状でコンサルが新卒を採る可能性は低いと考えられるということ。

まちづくり系、公共経営系、交通政策系……いろんなコンサルタント会社があるけれど、いずれも新卒で雇用する余力はないんじゃないか、という理由から。
ただし、まったくないかというとそうとも限らず、一定の学生なら可能性はある、とも伝えた。

それは、学生時代に、個人のネットワーク、言い換えれば人脈を形成している学生なら可能性はある、ということ。
いわゆる「意識の高い学生」に該当するのかもしれません。

そういう学生は、学生のうちにいろいろと動くから目立ちますよね。そうすると、周囲の大人もいろいろと目をかけ、サポートしたり、指導したりと個人的なネットワークが形成されてきます。

そのネットワークが、対象となるコンサルが弱い部分のネットワークだとしたら、採用する可能性はグンと高まるんじゃないかな。

とりあえず、バイトでも何でもいいから、まずはその会社なり似た業種である程度経験積んでみてはどうか、と偉そうにアドバイスなんかしてみました。


ここまで書いて思ったけど、これってたぶん「まちづくり系」を主要な業務と位置づけてるコンサルの場合、だろうな。


ただ、僕個人としてはそういう目立つ学生ではなく、逆に目立たない学生にも目を向けてほしいなと思います。

なぜなら、ふと先日名刺入れを眺めてたら5~6年前に名刺交換をした、当時「意識の高い学生」たちの名刺が出てきて、「そういえばどうしてるのかな?」と感じたわけです。
で、何人かググってみたけど、最近の情報が出てこないんですよね。

当時あれだけ頑張ってて、講演会やセミナーにプレゼンテーターとして活躍してたのに、どうしてしまったのか、という感覚になってしまいました。
この点は、ただ単に「おまえのネットワークから外れただけだろ」というツッコミの余地はたくさんあるんですけどね。

とは言え、目立たないけど自分の考えを持ってる若い子、自分のスキルを何らかの形で活かしたいと考える若い子はいるわけで、その辺を採用する側には見てもらいたいなと思います。

ま、人を採用することの難しさというのは間接的にではありますが、多少は理解しておりますが。。。

2012-03-04

半睡(和田見)

2012年3月2日、3日とめずらしく2日連続で外食。

理由は、2日連続で飲む予定だったのが、ともに延期になったため。

せっかくだし、最近行ってなかったお店に食べに行こうと思いたち、半睡(松江市和多見)へ。


煮込みハンバーグ


二日連続で、最初のオーダー。
絶品。スプーンでいただくんですが、肉汁がとろっと出てきてソースといい感じでからみます。
写真だとわかりにくいですが、けっこうボリューミィです。


だし巻き卵


こちらはだし巻き卵。
これも量が多く、写真にはぜんぶは入っておりません。
大根おろしとの相性は抜群ですね。


水菜のサラダ

写真はもう半分くらいなくなってますが、水菜のサラダはごまドレッシングに加えてナガイモかな??も入ってアッサリとしておいしいサラダです。
肉系が続くと、この辺で食べる瑞々しいサラダがありがたい。


チキン南蛮


どうですか。このボリューミィなチキン南蛮は。
ひとりでこれを平らげるのは、けっこう大変かも。ぼくは水菜のサラダと交互に食べてようやく平らげました。
味は最高です。たぶん特性のタルタルソースが特に美味い。


肉うどん(鶏)

そして、いつも最後の〆は肉うどん。
天かすとネギを投入して、ブラックペッパーをぶっかけていただきます。

このブラックペッパーというのが、個人的には衝撃で大好きなんです。

ちなみに、半睡には限定食の「あさりうどん」というものもありますが、こちらはまだ食べたことないです。

あと、親子丼も美味しいです。関東風、関西風選べるので、食べ比べも楽しいです。

2012-03-01

2月によく見ていただいたポストたち!!

いよいよ2012年も3月になりました。

この一年は本当に早かったように思います。
いろいろと迷いながら、考えながら、悩みながら進んだ一年でした。

ほんとなら、この記事を4年に1度しかこない昨日をスタートとしてすればよかったんですがまあ、仕方ない。

ブログのネタに困ってるわけでもないですが、ブログのひと月を振り返ってみるのもいいかも、と思い毎月末に更新してみたいと思います。

テーマは、
「○月によく見ていただいたポストたち!!」


と、いうことで早速。


5位

5位くらいから紹介しましょう。

Styles: ソーシャルメディアをどう活用するか

Styles: 『地域再生の罠』読了

同数でこの二つのポストでした。

ひとつは、東京出張の際に顔を出すことができた「行政/政治分野のソーシャルメディア活用を研究する会」の会合について簡単に整理したものです。
普段会えない方々と会い、交流できたことは刺激もいただけて良かった。

もうひとつは、『地域再生の罠』を読んだ感想などですね。


3位

Styles: ひとの「つながり」の創出と強化が地方が目指すべき方向

これは2月の東京出張を経て、現時点でたどり着いた「ひと」についてのひとつの結論と、地方における「ひと」の強みをどう活かす?ということについて考えを書いたもの。

キーワードは「ソーシャル・キャピタル」と「ファンドレイジング」です。


2位

Styles: ファンドレイジングの真髄に触れた三日間

アツい3日間を簡単に綴ったポストが2位。僕のブログ的には今月実質1位。
初級ファンドレイザー必修研修の1日目、2日目3日目はファンドレイジング大会、という非常に濃い三日間を過ごし、情報と人が集まる東京の強みを感じました。

一方で、地方でもいろんな形でこれからの日本をリードできる可能性があることを感じました。
その力を引き出す役割を、ファンドレイザーが果たせる、ということも強く感じました。


1位

Styles: 島根というところ

これは僕のブログの不動の1位なんですが、個人的な分析の結果、内容ではなく「画像」のせいである、という結論が出ております。

適当に拝借してきた画像が「島根」で画像検索すると1位とか2位とかで出てくるんですね。
で、それをクリックするとなぜかこのブログに飛ぶ、と。

「島根」で検索してきた方で、「観光情報とか知りたいなー」とか思われて飛ばれた方には大変申し訳ないですね。
あんまり申し訳ないので、少しでも楽しめそうな情報が伝われば、と思い最後に追記してますが、はてさて。

ということで、一応今回は紹介しておりますが、次回からはこのポストは無視して紹介したいと思います。


今後とも当ブログをご愛顧いただきますようお願い申し上げます。

2012-02-29

県議会を傍聴してUstreamの活用について考えてみた


2月28日、例年であれば2月末日の今日。
人生ではじめての議会傍聴に行って来ました。

行ったのは、島根県議会本会議で11時からの岩田県議の質問について。

はじめての経験でしたので、なかなか興味深く拝聴しました。


質問内容

岩田県議は、大きくは4つの分野について質問されてました。
  1. 原発関連対策
  2. 神話博しまねを中心とした観光振興
  3. 教育分野(とくに高校生のキャリア教育)
  4. 県の林業政策

項目数で言えば観光振興についてがもっとも多かったですね。

なるほどなーと思うものもあれば、個人的には「どうなの?」と思うものもあったりして面白かったです。

ただ、議論にならない点が物足りなさを感じさせます。

議員の質問→回答者(知事や部長級)の回答→終了

というサイクルなので、ちょっとつまんない。
せめて、回答の後にもう一度議員の質問を挟めば、もう少し議会も活性化するんじゃないの?とか思っちゃった。

あと、個人的に「県もなかなかやるな!」と思ったのは、松江駅トイレに紙をフツーに設置することについて、JRと話をしたいと回答したこと。
で、この点については今日の質問聞かなければ、見過ごしてたなぁと少し反省も。

「神話博しまね」ということで、県外からわざわざ楽しみに来ていただいたお客さんが、松江駅で降り、市内へと繰り出す直前。
「一応、トイレ行っておこうか」と、松江駅トイレにはいる。
すると、トイレにはトイレットペーパーがない!?なんと、紙は外で買わないとならなかった……。

こんな悲惨な出だしだとしたら、僕ならその町への印象は一度最低ランクまで落ちますね。
実際、昨年大阪でまったく同じ経験をしましたから。幸い、ポケットティッシュがあったから良かったものの、なければ「あ~!!さいあく!」と心の中で叫んでいたこと請け合い。

これは本当に何とかしてほしい。


Ustreamについて

岩田県議は観光振興の質問の中でUstreamの活用について県の考えを聞いてました。
それからもわかるように、Ustreamは新しい情報発信ツールとして大きな期待が寄せられています。

ただ、僕はこの点については実は懐疑的に見てます。

もちろん、これは僕の中でUstreamに関するバラ色なビジョンが描けてないだけで、メディア側にいたことがある岩田県議だから見えてるビジョンがあるのかもしれませんが。

なぜ懐疑的に見ているのか。

それは、「ターゲット」の問題とメディアとしての「ブランディング」にあります。


ターゲット

それではまずターゲットの話から。

今Ustreamに寄せられている期待は、地方でもアマチュアでも誰でも「世界に向けて動画配信がタダで出来る」ということだと認識しています。
ここが僕の中で違ってくるんですね。
次の「ブランディング」にも関係しますが、地方のアマチュアが流している動画によって観光客に「行ってみよう」と思わせる力はない、と考えます。

要するにターゲッティングが間違ってると思います。

むしろ、ソーシャルメディアの1つとして位置づけられているように、ある程度“つながり”のある者同士での盛り上がりを創りだしたり、一度はその地方を訪れたことがある人たちをコミュニティとしてくくった後に、地元とオンライン上のコミュニティとを結びつける、交流するツールとして有効なんだろうと思います。

隠岐ジオパーク戦略会議で提案しているのは、後者の使い方。


ブランディング

次にブランディングですが、「地方のアマチュア」が流す番組でも、かなり閲覧されてるじゃないか、という話はあると思います。
岩田県議が示した事例でも「うんなんシティTV」さんだと5000くらい行ったらしい。


いや、これはすごいですよ。
でも、この場合「アマチュア」というより「セミプロ」ではないのかな?と思ったりします。

何が言いたいかというと、本物の素人アマチュアだけでは、番組としての面白さや構成を組み立てることは難しいということです。

動画配信という、これまでマスコミが囲い込んできたパワーを手にしたことで、その可能性には心躍りますが、活用できる力がまだないのではないか、と。

見てても、内輪ネタに走る番組が多いのはその最たる例かと思います。視聴者を置いていくんですよね。
それでもって「世界へ向けた発信」とは言えないと思うんですよ。



プロボノの活用

ファンドレイジングの関係でかなり聞いた言葉「プロボノ」。
Ustreamで全方位的に発信したい地域、団体はプロボノの活用を検討するといいかもしれないですね。
いろいろなプロフェッショナルに、ボランティアで専門スキルを提供してもらう、というものです。

なので、番組制作経験者や構成作家さんなどをプロボノとして、団体が伝えたい事をうまく構成・演出してもらい、出演は当事者で、生の声で発信する。
進行管理はプロボノに任せる、といったようなことができれば、魅力ある番組にできるんじゃないかなぁ。

その辺が、岩田県議の中でどう整理されているんだろうな、とは思う。
そもそもマスコミの中にいた方なので、自然と番組作りのビジョンが描かれているのかもしれないですね。

個人的には、やはり当面はゆるいネットワークの中の交流、という割り切った位置づけがいいのかなぁと思ってます。
来てくれた方、関心を持ってくれている方を大事にする、という意味でも、流す情報の室を見定めるという意味でも欲ばり過ぎるとわけわかんなくなっちゃいますので。
欲ばり過ぎるという点は自戒も込めて。。。

2012-02-20

ゼニと笑みのバランスシート

NHKの『プロフェッショナル』、梅原真氏の回を見た後、風呂に入りながら考えていたこと。

もうアイディアとしてはおおやけに出して没になったから一応書き記しておこうかなと思う。


梅原さんの仕事ぶりは、日経BPだったか日経ビジネスオンラインだったかで10回近い連載記事を昨年か一昨年、たまたま目にしたのが最初。
そのスタンス、考え方に共感してシリーズを一気に読み切り、本も買ってみた。

産業振興、というところと僕の立ち位置とは、若干違うんだけど、パートナーの志や熱意に共感し合い、気持ちを高めあいながら、アイディアを出していく、というのは恐れ多くも似てるなと感じる。
能力の差は歴然としてるんだけどね。。。


さらに何に共感したのかというと、梅原さんの根本になるんだろうか。
地方の風景を残すという意識。

条件不利地域だの何だのと言われながらも、そこに暮らす人たちが楽しくなるような、自信を持てるような、笑顔が咲くような、そんな風景を次の世代に残したい、と僕は思う。


この「楽しい」とか「自信を持てる」とか「笑顔が咲く」といったコンセプト、視点をM市の総合振興計画のプロポーザルに盛り込んだんです。
具体的には、「幸福度」のような指標化を今後の市政に盛り込むべきである、と。

なぜなら、「幸福度」という観点は、大都市東京の荒川区やマーケティング上、日本の縮図と言われてる静岡県のような場所ではなく、日本海側の一地方都市であるM市でこそ旗手として掲げるべきであると考えたから。

もちろん、この「幸福度」指標化には課題がたくさんあることは承知しています。していますが、今、時代が変わりつつある潮目がハッキリしているのに、それを見過ごして、従来通りの「経済指標」や「産業振興」を謳ってればいいのか?という疑問に対して、僕ははっきり「ノー」という答えが出てしまう。
それらが大事じゃない、とは言わないけれど、それらを追い求めて来て、ふと「これがベストだったのか?」と立ち止まってるのが今でしょう、と。

結果的には、プロポには負けました。
自分のプレゼンテーションが悪かったのかもしれないけど、ショックでしたね。


一応、ここに書いておきますけど、島根県の総合計画にも盛り込むべきであると考えてます。
いきなり盛り込むのが難しければ、せめて指標化の検討、研究会立ち上げなどしておくべきではないかと思います。

だって、どんな政治であろうと住民・市民が「幸せに暮らす」環境を整えていくことが目的でしょう?
そのために産業振興があり、企業誘致があり、起業促進があり、UIターン促進があり、医療・保健・福祉の充実化があり、子育て支援があるわけです。
それらの究極的な目的は、誰もが「幸せ」を感じられる社会でしょう。


はぁ。ニケ並にくさすぎてギップルを召喚してしまいそうですが、いきおいでポスティング。


※ギップルとは

マンガ『魔方陣グルグル』の登場人物で、ニケとククリに同行する、風の精霊。外見はかわいくも見えるが、ふんどしの上にマントを着用しているのみ。着ているマントは伸ばせばテントになり、野宿に便利(※上を見あげれば褌が丸見え)。クサイせりふを極度に嫌い、聞き続けると死亡するらしい。

2012-02-17

ひとの「つながり」の創出と強化が地方が目指すべき方向

地域再生を仕事にしながら感じていることは、地域においては何よりも「ひと」の存在が重要である、ということです。
それは以前にもこのブログで書いてきたことです。

2011.06.15|Styles: 最後は”ひと”

2012.01.29|Styles: 地域の本質は「ひと」だと思う

さらに、この「ひと」という点に着目して、都市(東京)と地方との格差を認め、重要である「ひと」が集まっている東京の力はすごいよね、ということを書いた。

2012.02.07|Styles: 東京いいね


東京すごいよねと書きつつも、じゃあ地方どうするの?と考えていたんだけど、ふとアイディアレベルですが、つながったので書きなぐってみる。


つながったキーワードをあげておくと「ソーシャル・キャピタル」と「ファンドレイジング」。


NPOセクターの優位性:ソーシャル・キャピタル

地方には、地方再生の最前線には本当に魅力的な人、精力的な人がいます。
だけど、絶対数で言えばやはり東京に人材が多く集まってるんですよね。そこは僕は否定できない。
考えるベクトルが違う、とかはあり得ても能力的には否定できないです。

ただ、これまでに書いてきたことで欠けていた視点があったな、とも気づきました。
それは、「ひと」が集団として組織として動くときの力であり、動くための基礎的な力。

この力はソーシャル・キャピタルと読み替えることができると思います。

「信頼」や「ネットワーク」、「互酬性」といったもので構成されるソーシャル・キャピタルは、都市部の経済組織よりも、NPOセクター、地方における公益的組織の方が醸成されているのではないか、と考えています。

経済組織の強みは、端的に言えば投資に対するリターンをいかに効率化・最大化するか、という点について洗練されているところだろうと思います。
まあ、必ずしもそうとは言えない面もありますけど、一般的に言ってそうだろうなと思う。

対するNPOセクターの強みは、「つながり」を生み出し、拡大させていくことを目的としている点だと思います。
もちろん、投資に対するリターンの効率化や最大化という点においても、つながりの拡大という目的に対してもまだ十分な成果を出し切れていないNPOセクターが大半であろうというのもまた否定できないですが。

NPOセクターの強みである「つながり」の創出と拡大、強化は、おそらく2015年から2020年くらいまでを目途に大きくスポットライトを浴びてくるような気がします。
神田昌典さん(『2022―これから10年、活躍できる人の条件』)や竹井義昭さん(『社会貢献でメシを食う』)の本を読んでいても、だいたいこのあたりで、日本社会のシステム上大きな変革が起きそうだ、ということが示唆されています。

そして、その先にある社会は、懐古的な「つながり」ともまた違う、新しい形での「つながり」の上に成り立つ社会である、と僕は予測しています。

それまでに、地域やNPOセクターにおいていかに自分たちの価値観、理念、目的を共有し、さらに共感してくれる仲間を増やせるか、ソーシャル・キャピタルを醸成できるか、が自力をつけて「その時」に対処できるか否かをわけるのではないか、と考えます。


共感を広げるファンドレイジング

ソーシャル・キャピタル(SC)の醸成については、修士論文を書くときのテーマとしたので今でも気になって考えることがあります。
SCは醸成はできる。しかし、どうすれば良好なSCを醸成できるのかという点については十分に検討できないまま、次のような点を提案しつつ筆を終えたんです。


  • 地域内における「共食」機会を持つ。あるいは増やす


これについて参考になるのは宮崎県えびの市の「モエ(もやい)」という講の一種で、モエでは月に1回から2ヶ月に1回程度、モエの会員同士の食事機会を設け、そこで悩みの共有やグチを言い合うなどメンタルの支え合いなどが行われています。

残念ながら、修論の時点ではこれくらいまでしか書けませんでした。

しかし、最近ふと気になったのは、NPOセクターにおいて、マーケティングの考え方を応用したファンドレイジングの導入が進んでいる点です。

ファンドレイジングとは狭義には「寄付金集め」ですが、これは解釈があまりに小さい。

もっと本質的には、自分たちの価値観や理念をわかりやすく伝え、「共感」を得ることであると考えます。

つまり、NPOセクターにおいて「ファンドレイジング」の各種手法を用いて「共感」を集め拡大する。それがNPOセクターを中心としたSCの醸成になるんじゃないのか、と。

ものすごく粗い考え方だとは思いますが、この

ファンドレイジング→共感を得る→SC醸成

の流れの中のメカニズムをもっと理解できれば、単にNPOセクターの組織力、継続力アップだけじゃなく、さまざまな公益的組織でもSC醸成ができるのではないかと思います。
そのNPOに適したSCが醸成できれば、「その時」を迎えるとき、ブレることなく進むべき方向に進むことができる、と思いませんか?


おわりに

やっぱりこのへんは自分でもう少し検討したいな。
お世話になってる先生方にまた意見もらいながら、自分なりに勉強してみよう♪

以前アップしてたものは文字化け等あったので、再アップ。
修論発表会で用いたスライドです。
もし興味があれば、ご覧下さい。
地域の「共食」度合いをSCの構成要素とみなしてモデル化できないか?というものですが、うまくいってるわけではないです。。。







社会貢献でメシを食う
竹井 善昭 / ダイヤモンド社 ( 2010-09-10 )



2012-02-08

認定NPO法人とファンドレイザー

平成23年度は、寄付税制が改革され、NPO法も改正されたことで、認定NPO法人へのハードルが下がり、国内における寄付文化醸成にも大きな弾みがついた一年であり、さらに社会が変わる可能性を秘めた次の一年になると思います。

とくに、認定NPO法人の仮認定制度の運用開始は、大きな影響があると考えています。

メリット、デメリット両面ね。

メリットは、もちろん仮認定を受けることで実力のあるNPOが寄付を集めやすくなる環境を一応整えることができる点。
これはPSTのハードルの高さもあって、かなり大きなメリットになるのだろうと思います。

一方でデメリットとして考えられるのが、「認定NPO法人」のバーゲンセールのような状況にならないか?という心配。
杞憂に終わればいいのですが、バーゲンセール状態で考えられるのが次の点。


先行者利益

ひとつは、先行者利益。
現在、国内に40,000余りのNPO法人が設立されており、そのうち「認定NPO法人」となっているのは250弱という状況。
パーセンテージにして、1%にも満たないですね。
これが、今年の4月1日からは「仮認定制度」がスタートするので、割合としてはかなり高くなることが推測されるし、期待もされてると思います。

たぶん、ですが。
この先行者利益は大きいように思います。「先行者利益」というとちょっといや~な響きがあるかもしれませんが、「認定」の信頼度を活かして幅広くファンドレイズしようと思えば、これは大きいんじゃないかなぁ、と思います。

ということは、大きいぶん、後発組はそのメリットを十分に享受できるかどうかは微妙かな。
そこがファンドレイザーの腕の見せどころになるかもしれませんね。

あと、先行者利益以上に、寄付市場が活性化されてそんなもの気にする必要もないくらいになることが理想だとは思いますけどね。


プレミア感の相対的な低下

先行者利益に対する後発組の弱さ、という意味と重なる点もありますが、「認定NPO法人」が少ないから、「認定」に対するある種のプレミア感がある、というのが現状のような気がします。
どこまで企業セクターに浸透してるかは不明ですが。

それが、仮とはいえ認定が多産されることで、プレミア感が相対的に消失してしまわないかな、という懸念です。
消失または低下すれば、どうしても先に認定を取っていたNPOに支援が集まりやすくなるような気がしますが、どうなんでしょうね。


対抗策としてのファンドレイザー

上でも書きましたけど、状況はどうなっても日本国内の寄付市場はきっと活性化していきます。
自分で書いて矛盾しますけど、「先行者利益」も「プレミア感の消失」も、ファンドレイザーのアイディアと実践ひとつで何とかなるんじゃないかな、と感じてます。

それくらいファンドレイザーに対する期待を自分の中では強くしています。

NPOが活動を続けていくのに欠かすことのできない存在、それがファンドレイザーとなるのではないか。
研修やセッションを聞いて感じたことのひとつに、ファンドレイザーはNPOの財務部門を統括することも期待されてるのかな。企業で言えばCFO(最高財務責任者)のような役割になるのかも。

東京で食べたものシリーズ

東京で食べたものでも記録しておくか、ということで写真があるものだけ。


2月3日の昼は、国連大学の近くにあった地下のお店でいただきました。
ヤマイモのかき揚げ、という初物。

なかなか美味しかったけど、小分けにして揚げてくれてたほうが個人的には好みかな。
アップにすると↓な感じ。



4日の夜は、ファンドレイジング日本2012の懇親会に途中まで出席し、19時30分からは仲間との打ち合わせがあるため、赤坂へ移動。
その写真はありません(笑)

が、この打ち合わせ兼飲み会も楽しかったなー。


その後、ホテルが新橋だったので戻ると少しお腹が減ったのでラーメンをいただきました。
美味かった。



5日のお昼は、日本財団ビルの向かいのお店でいただきました。
ボロネーゼ。
あまり腹は減ってなかったけど、量的には少し足りなかったかも。。




ホテルで気になったコト。
Facebookでもアップしたような気がしますが、見せ方というか空間演出というか。
この下の写真の白い袋に何が入ってるでしょう?

答えはドライヤーです。


たかがドライヤー。されどドライヤー。
あの、コードぐるぐる巻き状態がそのままポンと置かれているか、おそらくは安いであろうこの白い袋に収められているかで、受ける印象は大きく違います。

たぶん、わずかな気遣いの差だと思うんですが、個人的には「あ、いいな!」と感じたヒトコマです。

いろんな宿泊施設で簡単に応用できそうな気がしますが、どんなものでしょうか。

ソーシャルメディアをどう活用するか


認定ファンドレイザー必修研修があった2月3日の夜、日程がたまたま合ったので渋谷で開催されたソーシャルメディアに関する勉強会にも参加させてもらいました。

そうそう東京に出てくる機会もないので、日程が合う以上でないわけにいかないでしょー、という気持ちで参加しました。

おもしろかったですねー。刺激的な人がたくさんいて面白い。


まぁ、何が面白いって、島根から行った僕と、19から?アメリカに行って今はたまたま日本にいる、という方と「島根」、「隠岐」のキーワードでつながったということ。

驚きですね、はい。

一口にソーシャルメディアと言ってもいろんな利用法があり、いろんな視点から可能性が探られているんだなと感じました。


もう一つ、違う意味で刺激を受けたのは、比較的初対面の方が多いと思われる場面でも、どんどん「じゃあ、私も」と次々に情報提供の手が挙がるという場面。

どなたかが仰っていましたが、このように手を挙げられる、声を出せるという点で「強い」のかもしれません。
地域振興・再生でも、声にならない声、表面化しないけどいつも何かを考えている人の考えを、どうやって吸収するかが大事なので、この指摘は案外重要だろうと思います。


個人的には、ソーシャルメディアはファンドレイザーにとっては重要なツールとなり得るということと、もっと根本的に、ネット投票とかそういうことではない意味での社会システムを変える可能性はあるなぁ、と感じてますが、もう少しその意味合いを理解したいのでとりあえず下の本を買って読んでみようかと思ってます。

「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会



あと、この三日間で悔いがあるとしたら、出発前にしっかり確認したはずなのに、見事に名刺を持っていくのをど忘れしたこと。

予備もあったけど、予備をいれた手帳を紛失したので、もうどうにもならない状態でした。

これでせっかくお会いしたたくさんの方に失礼せざるを得なかったのは残念でした。
あまり期待しない場合には忘れずに持って行き、期待していると忘れるというマーフィーの法則的な結末にうなだれております。。。

2012-02-07

ファンドレイジングの真髄に触れた三日間

3日の会場は国連大学

2012年2月3日から5日までの3日間、ファンドレイズというものにガッツリ入り込んできました。

2月2日の夜行「サンライズ出雲」で東京に向かい、3日は認定ファンドレイザー必修研修を受講、4日、5日はファンドレイジング日本2012への参加。

いっこ前のポストでも書いたけど、活気がすごかったです、東京ナイス。

ひとが資源、という趣旨のポストはこれまでに何度か書いてきましたが、東京でもそれは変わらない。


ファンドレイザー必修研修


2月3日、丸一日かけて研修で、300人ほどが参加されたようです。

まずはじめに、正直に言っておきます。さすがに、最終盤は疲れましたので、聞き逃しもありそうです。
しかも、疲れからか会場に手帳を忘れて帰る始末(苦笑ものですよ)

研修は、講師である鵜尾さんからも説明がありましたが、ファンドレイジングの「全体」を関連付けて説明するもので、「全部」を説明するものではありませんでした。
ファンドレイジングの「全体」を聞いた今思えば、「全部」をたった一日で伝えることはムリですね。

ということで、肝となる考え方、思想、理論から具体的な手法、ソーシャルメディアの活用などまで多様なテーマで解説がありました。

一昨年でしょうか、島根県で開催されたNPO活動推進大会で鵜尾さんの講演をはじめて聞き、ファンドレイジングの可能性を強く感じ、「共感を得る」という思想に共感し、何とかして自分もそこに関わりたいと思いながら仕事をしてきて、今回こういった形で一歩前に進めたことは非常に大きな意味を持つと感じています。

そして、鵜尾さんの講演のおもしろさ、飽きさせない話術、盛り上げ方はスゴイ。


ファンドレイジング日本2012

オープニング直前(2012.02.04)

4日、5日はファンドレイジング日本2012でした。
二日間にわたり700人が参加し、100人がなおキャンセル待ちだったというこのイベントに参加し、僕の中でも「あぁ、たしかに日本の中に寄付が成立していくのだな」という実感がさらにわきました。

ちなみに、2010年の大会では参加者400人、2011年大会では500人と着実に増えて、今回は700人ですからねぇ。
3.11があったということが大きな影響を与えているとはいえ、ファンドレイジングというものに対する意識が醸成されてきているんでしょうね。

2日間で30近いセッションが繰り広げられていましたが、いずれも興味深い内容でどれに参加しようか迷いに迷いましたが、参加したセッションはどれも面白い内容で満足です。

特に印象深いセッションは、初日だと加賀屋克美さんでしょうか。

ディズニーめっちゃ好きなんやなぁというどうでもいい印象とともに、ネット上では有名なエピソードも加賀屋さんの口から聞くことで、それがどれだけ深い意味を持っているかがよく伝わり、うかつにも目から汗が出る事態に。

二日目だと、Just Giving Japanの佐藤大吾さんと多田千尋さん。


Just Giving は以前知人から「ファンドレイジングといえば、こんなサイトがありますよ」と教えてもらっていたので概要は知っていたつもりでしたが、佐藤さんから直接いろんな話しを聞くことで、これものすごい仕掛けじゃないの?と、改めてその可能性を認識しました。

佐藤さんの印象的な言葉。
・ひとりに頼めるモノゴトは一個まで
・だったら寄付を頼まずファンドレイザーになってもらうことを頼むべき
多田さんは東京おもちゃ美術館の館長さんらしいけど、いやはやなんとも。
木育というアクションはすごくおもしろいなと感じました。
あれって、島根でもできる手法だし、やるべきだなと思いながら話を聞いてました。
多田さんのお話でも若干目から汗が……。

壇上の右側お二人は島根県から参加された方です


ファンドレイザーに向けて

僕自身2度ほど目から汗が出たように、ファンドレイジングに「共感」は重要なんだと思います。
それは必ずしも明確な「感動」である必要はないですけど、何か行動に結びつけるためには強い共感が必要ですね。

もうひとつ、今回のセッション中で共感した部分は、「寄付をお願いすることはかっこ悪いと思ってた」という話、でもそれは違うんだと気づいたという話。

これははじめて鵜尾さんの話を聞いてからずーっと考えてきたことで、自分の中での結論と今回のセッションで示された一つの結論が結びついて、「うん。そうか」とひとりで納得していました。

それはちょっと傲慢に見えるかもしれないけど。

まず前提として、多くの人は何らかの形で社会に関わりたい、できれば貢献したいと思っている。
しかし、日常的には仕事や家事・育児など忙しいこともあり、そうそう関わることはできない状況がある。
その対極に、地域課題を解決するためのNPOが存在しているが、慢性的に財政不安、人材不足である。
そうであるなら、NPOに寄付することは間接的に社会に関わることになり、NPOである以上、自分たちの活動を説明し、共感を得る努力をし、寄付を集めることはある意味で責務である、ということ。

つまり、寄付を呼びかけることで社会にかかわる機会を提供するということ。

そして、その間を取り持つことで寄付や共感を集めることができるのがファンドレイザーであるということだと理解しています。

僕の進むべき方向性が見えた気がした三日間でした。


最後にどうしてもひとつ。
司会を努められた山元香里さん、めっちゃキレイでした!!


東京いいね

今日タイムライン見てて流れてきた情報にちょっとモヤモヤしてるので、自分なりに整理したい。

その情報とは、こんな趣旨のもの。

東京での通勤ラッシュの写真とともに、ネガティブなコメント

気持ちとしてわからないわけではないけど、違うんじゃないのかなと。

自分も人が多いところは苦手だし、行列に並んで待つことも、渋滞も嫌いだけど、だから否定したいかというとそうでもない。
苦手なところは多いけど、東京はやっぱり行けば楽しいし、好きな都市です。

なんというか、2月3日の朝東京についてまさに通勤ラッシュっぽい時間帯に電車に乗ったけど、ゲンナリ、というよりも活気がすごいな!というのが正直な感想。

それに、あれだけ人がいればいろんな刺激的な人もいるわけで、ネットワークの発達で情報格差が縮まったのかもしれないけど、最終的におもしろいのは「ひと」ということはどこに住んでてもわかること。
その「ひと」が多く集まるのは東京、ということでそういう面での格差は感じました。

地方にないものを東京は持ってるし、東京にないものを地方は持ってるってこと以上も以下もないと思うので、冒頭のタイムラインに違和感を感じた次第。

2012-02-02

『地域再生の罠』読了


久繁哲之介氏の『地域再生の罠』を読み終わった。

前著の『日本版スローシティ』は読み終えた後、少々がっかりしてしまいましたが、こちらはなかなかいいです。
特に後半は共感できる部分も多く、僕なら氏の本では圧倒的にこちらを推薦しますね。

ただ、『地域再生の罠』というタイトルはどうだろう。
個人的にイマイチだった前半部分が「罠」に該当する内容なんだけど、面白いのは後半だからなぁ。


前半から中盤にかけてはこれまでに2回にわけて書いてきたので、今日は後半について書きます。




7章 B級グルメからスローフード

7章はB級グルメからスローフードへ、ということで久留米を事例として、本質的なB級グルメを目指すべきであるとしています。
本質的な部分は理解しましたが、正直、今のB級グルメについては個人的に懐疑的なので、B級グルメという言葉を用いないほうがいいような気がした。

スローフードへ、という仕掛け方としてひとつ提案されているのが、「食の八十八箇所巡礼の旅」です。
これは面白いなと思うと同時に、あるアイディアをふと思い出しました。

以前、隠岐でWSをやった時、地域の方から、集落まるごとカフェみたいなアイディアが出てきて、「それおもしろいですね!」とワクワクしたことがありました。
実現はできてませんが、人を巡ってほしい、各家のお漬物やちょっとした煮物とお茶やコーヒーが出ててき、おっつぁんらと話をして、面白い話を聞かせてもらう。
これはおもしろいぞ、と。

そんなアイディアを思い出し、似た方向性だなと感じた。
この仕組みの真価はほかにある。それは、お遍路巡りと同じように、巡る過程の楽しさであり、達成した時の充実感である。(P.216)

本書では、久留米ではやきとり屋が、松江ではコーヒー店が、「市民に愛される個性豊かなスローフード飲食店」と位置づけています。

松江はお茶の街であり、コーヒーの街でもある、「香り/薫り」が似合う街なのかも。


8章 スポーツクラブ

8章は省略したい。松江なら、というか島根全体としてスサノオマジックの存在を今後どう支えられるか、そして活かせるかだと思う。

戦略的赤字施設というのは、うん。わかるけど、難しそうだなぁとか思ったり。


9章 公益空間をどう整備するかという問題

最後の章である9章では、公的支援のあり方を示しています。
それは、公益空間への投資に集中せよ、というもの。

ところで、この公益空間。
大田市だとどこなんだろう、と読みながら考えてた。
ふと思いついたのは三瓶山だけど、気楽に、気を使うことなく行ける、滞在できるという意味では少し違うかもしれないな。

やっぱり駅前か?と考え、パル??これもいい線行ってるけどちょっと違う気がする。あくまでも気を遣わずに買い物ができる場、というイメージだ。

と、ここで思いついたのは、倒産したサンノアがもし再建する、あるいは別の方向性で出直すとしたら、橋南地域の人たちが気軽に集い、交流できる「公益空間」としての方向性はありなんじゃないかなぁということ。

そして、考え方としてはあくまでも「戦略的赤字施設」として、ギリギリ許容される赤字ラインを決めておく。
サンノアに交流しに来た人が、近くの肉屋やケーキ屋、食料品店などに少し足を伸ばすことになる?でも足がキビシイか。交通はまた別で用意するか?

隠岐だとどこでしょう?僕はやはり、西郷港ターミナルにそれを期待したいんですけどねえ。
なかなかそうならないですね。
木張りの床で目の前は西郷湾できれいで良好な景観なのに、そうならない。
なぜか。ゆっくりしてもいいんだ、という雰囲気もそうしたいと思わせる雰囲気もないんですよね。
隠岐牛バーガー売ってるコーナーはあるけど、おいしいコーヒーが飲めるとか紅茶が飲めるとかそんなコーナーがないからあくまでもファストなんだろうな、と思います。
あの空間の利用法は、ちょっともったいない気がする。


えー。このようなことを考えることができたのは本書が後半に入ってからエッジが効いてきたからだと思います。

『日本版スローシティ』か『地域再生の罠』か、と聞かれれば迷わず、『地域再生の罠』がオススメですよ、とお答えしましょう。





2012-02-01

セルフブランディング

ブランド化、セルフプロデュース、セルフプロモーション……。

自分の売り出し方、PRの方法はTwitterやFacebookあるいはTumblrなどが普及して発信しやすくなっているなーと思う。

けど、自分はそういうのがちょっと苦手な部類……。

なので情報の発信が上手な人を見ると「あぁ、すごいな」と素直に感心すると同時に、悔しさみたいなものもちょっとあったりする。

なんでこの人はこんなに親しみのある文章が書けるの??
なんでこんなにたくさん情報が出せるの?


ま、問題意識や現場レベルでどれくらい動いているかの差もあるのかなぁ。

ぼくが考えた最強のセルフブランディング。

1.ブログでハイクオリティなポスト連発
2.でもたまに力の抜けたポストも投げる
3.Facebookでやり取りする
4.そのうちTumblrにもポストする
5.ウマー


……これは、ないな(笑)

日々、それなりのことを引き続きポストして参りまーす。

他の人と比べたらダメだ。比べたら勝ち負け考えちゃうから。

昼ごはんにサラダをつけた

普段の昼ごはんはたいていコンビニ弁当なんですが、忙しかったり買いに行くのがめんどくさかったりする時は、まぁないならないでいいや、と食べないことも割りとあります。

そんな僕ですが、最近はコンビニ弁当を買う時に、サラダも一緒に買って食べるように心がけてます。

理由は二つあって、ひとつは健康管理につながるかな~といった軽い気持ち。たいして期待もしていない。
ふたつめは、ごまドレッシングがうまくて、サラダもありだなぁと感じたから。

今まではなんか金払ってまでコンビニでサラダ買うのもなぁ。。。みたいな感覚だったのが、ふとなくなったのです。

てことで、今日もファミマで弁当+海藻サラダでした!
ごっそ~さん!

大田の駅通りを歩いた1時間

小学校の帰り道 よくこの路地を通った

ちょっと前、昨年12月後半、ちょっと実家に帰ったときに、ふと大田の駅通りを通ってみようと思いたち、パルに車を停めてサンノアまで往復を歩いてみました。

小学校、中学校、高校と都合12年間、駅通りを歩いたり自転車で通ったりして、ある程度店が閉まっていることも記憶にはあったのですが、うーん……ここまで閉まってるのか、と改めて確認した1時間ほどでした。

駅通りを歩く

この店はやってるのかもしれません。
が、外観がちょっと……って感じです。


別の店舗ですが、シャッターは閉まってます。
けっこう多かったですが、同級生のご両親が営まれているお寿司屋さんはまだ健在で妙な安心感を覚えたりも。


ちょっと意外だったのは夜のお店(怪しい店じゃないよ)が思ったより多かったこと。
何気に新しそうな看板も出てたりして、そういう元気はまだありそうだなと。


喜多八幡宮の参道。
子どもの頃は「北八幡宮」だと思ってたので、真実を知った時はそれは驚いたものです。喜多八幡宮の近くには仲のいいヤツの家があったり、ルーテルがあったりしてけっこう遊びに行きました。

そうそう。喜多八幡宮で忘れられない思い出は、ここにあったブランコで頭をかち割ったこと。
保育園の頃の出来事で、未だに縫った後はハゲてます(苦笑)


大正会館がまだやってるとか、マジでビビった。老舗じゃねーか!
キャロットも健在で安心。
外で食べたお好み焼きはキャロットがはじめてだったので、感動した!


ハイ来た。昭和堂書店。大田小児童、一中生徒ご用達?
よく立ち読みしたなぁ。マンガもたくさん買った。当時は『ダイの大冒険』や『SLAMDUNK』、『幽☆遊☆白書』だったかなぁ。懐かしいなぁ。


三瓶川まで来たところ。
小学校の頃は理科の授業で三瓶川入って遊んだなぁ。
友達と三瓶川で釣りしたけど、ヘタクソなんでほとんど釣れなかったのもいい思い出です。
なお、正面の白い建物は大田高校校舎。


三瓶川をわたって100mくらい行ったところかな。
ここまでの写真を振り返って見て気づいた、というか思い出したけど、車の通りがめっちゃ少ないな。
もちろん、歩いている人なんてほとんど見かけなかった。

倒産したサンノアも見てきたけど、寂しかったなぁ。


帰りはちょっと違うルート


帰りは途中から違うルートに入ってみました。
これは真っ直ぐ行くとイクエイがある通り。写真右奥に見える高い建物はスカイホテルというビジネスホテル。前を通ると意外に車は停まってるのでお客さんは入ってるのかも。


冒頭の写真です。
小学校のころ、よくこの路地や他の路地をグルグル歩いて帰りました。缶蹴りしたり、石蹴りしたり。


終わりに

全体的に、懐かしさと寂しさを同時に味わった1時間でした。
あとは何と言っても、ここが自分のルーツであり、もうひとつの原風景であるという確認でしたね。

駅通りの様子も、三瓶川も三瓶山も遊んだ思い出、道に迷って泣いた思い出などなどたくさんあるんだなーと。
普段は思い出すことも少ないし、思い出そうと思っても記憶の引き出しから引っ張り出すことさえできないけど、歩いてみるとパーッと心がタイムスリップするように思い出せました。

だからこそ、いつかは大田に何か返せたらいいなとは思ってる。

2012-01-30

微かに覚える違和感と共感|『地域再生の罠』(3,4章)

昨日の続き。
Styles: 地域の本質は「ひと」だと思う

『地域再生の罠』の3章4章に来てます。


揚げ足取りというか、重箱の隅をつつくような感じでちょっとイヤなんだけど、どうしても気になるので書いておこうと思います。


土建工学者という括り

この本の中でおそらく都市工学の専門家等を中心にした地域再生に関する学者を「土建工学者」と一括りにして、彼らのポジショントークを批判しています。

でも、彼らを「土建工学者」と一括りにして批判、自らを市民派・現場主義の地域再生専門家である、というのが筆者のポジショントークではないのか?と読んでてどうしても感じてしまう。


「成功」の括り

宇都宮の章(1章)で、うつのみや109が数年で撤退したから成功とは言えない、としつつ第4章の佐賀県武雄市の事例では「がばいばあちゃん」のロケ地誘致成功し観光客が増加している、とあたかも「成功」したかのように示しているのもちょっとなぁ……。

宇都宮109は4年ももたずに撤退した。撤退時の年間売上高は16億円前後である。だが、開業時の来客数は開業2日目で5万人を超え、売上高は開業3日目で1億円を突破した。(P.39)

くさすわけじゃないけど、テレビの効果なんてそれこそもって数年てレベルだろうから、片方を「大きな失敗」として一報を「成功」と印象づけるのは違う気がしますね。

同ドラマの視聴率は20%を記録した。武雄の自然豊かな景観、ひなびた温泉地情緒が全国に知れわたり、武雄への観光客は急増することになる。(P.128)

ロケ地誘致だってそれなりの予算を組んでいるはずでしょう。
ま、ハード整備するような億単位にはならないかもしれませんから、費用対効果で考えれば、という話かもしれないし、本質はそこではないような気もします。


以上2点は気になる表現があったところですが、以下は逆に「あ、いいな」と共感できる点です。


アイディアはスマートに

地域再生、地域振興にはどうしても錦の御旗のように「地元産野菜を食べましょう」とか「地酒を飲みましょう」とかいった類のメッセージが出されるけど、これは食べる方からしたら、全面に出過ぎると押し付けがましさを感じる。
気づいたら地物野菜使ってた、気づいたら地酒使った料理食べてた、とかそういうさり気なさがあると、洗練された感じが出ていいなと思います。

「地酒を飲んで地産地消に貢献しろ」と若者に強要するよりも、スイーツやラーメンに地域産品をさりげなく、だけど大量に使うような、スマートな発想を期待したい。(P.114)

僕個人がグイグイ押されるのがあまり得意じゃないので、さりげなさの演出が好きという単に趣味嗜好の問題かもしれないなと思いつつ。


どこに住むのか

筆者が批判している「土建工学者」は「コンパクトシティ」を標榜し、まちなか居住を推進していながら、その多くは快適な都市郊外に生活しているそうです。
言ってることとやってること違うやんけ、と思うのは誰しも同じでしょうね。

ま、筆者がどこに住んでいるかはわからないのでこれについては何とも。。。

自分を振り返ってみると、やはり批判されているように都市郊外に住んで中山間地域だとか離島だとか言ってるんだから説得力はそりゃあ、住んでいる人ほどないよなぁ、と。
なので、いずれは引っ越したいと思う。

2012-01-29

地域の本質は「ひと」だと思う

地域再生ってどうすればいいのか。難しい問題です。
いろんな成功事例の情報はウェブ上にもたくさんありますが、個人的な感覚ではどれもピンとこない。

行政としては「成功」事例からヒントを得てほしくて公開してるんでしょうけど、そもそも瞬間的な「成功」を切り取って云々は僕の中では「ないな」といった感覚だし、行政の姿勢としてそれ以上に働きかけよう、という熱はあまり感じないですね。
まぁ、有力な団体等への話はいろいろとあるようですが、そのへんのカラクリは下で紹介している本の2章などを読めばなんとなくわかるかな。

ということで、『地域再生の罠』を読み始めてます。

2章では、松江市の天神町商店街も取り上げられています。
取り上げられている、といっても『失敗』という位置づけで、ですが。

著者は、『日本版スローシティ』の久繁哲之介。
『日本版スローシティ』は正直、がっかりした部分もあったので、こちらはどうかな?と期待半分。






2章の途中まで読んで重要だなと共感した点は、問題の「本質」を考えない施策が多く、しかもそれらが大した検証もされずに専門家によって「成功事例」としてまつり上げられ、劣化・模倣した「地域再生策」を拡大再生産している現状。


問題の本質

本質ってなんだろうと考えた時、やっぱり行きつくのは「ひと」だと思う。

ちょっと話は飛ぶけど、前々から気になってるのは子どもの教育・学習環境。
いわゆる「ゆとり教育」はずいぶんと批判され、もとに戻ったわけですが、これも検証なんてしてないよね。
あえて言うなら学力テストで順位が落ちたとか何とか。
でも、不思議なのは学校の成績なんて社会に出てからの能力とはぜんぜん違う、という大人たちが教育に関しては学力を重視していること。
いや、違うだろ、と思ったりするわけですよ。

これも問題の本質を考えない好例だと思います。

さて、ひとという本質を見ずに、町並みの化粧、うつのみや109だとかうつのみや表参道スクエアといったハード整備に対する批判が本書第1章でされてます。


異論を取り込む気があるか否か

少ない経験ながら、いくつかの仕事を通じて感じるのは、ある程度のレベルで「結論ありき」で話が進む点が問題だろうと思ってます。
たたき台があることは必要だろうと思うけど、そこで出た意見、異論を受け入れるつもりで議論してる場合とそうでない場合とでは、その後に大きな影響を与えることになると感じてます。

事務局案としてはこれはこうですから、一応話は聞きますが事務局案で進めさせていただければ……

なんて言われたら、議論する必要ないじゃんて思うでしょ。


地域の中で共有すること、見方の違いを認識すること

先日、某町で、町の宝さがしまち歩き・ワークショップを行なってきました。
当日までの1週間程度は天候も悪く、果たして人が集まるのか?という不安は本番直前までありましたが、蓋を開けてみれば15名程度の人が参加してくれました。


3班にわかれてまち歩きをし、好きなところ、子どもたちに伝えていきたい/遺していきたい町の宝をマップに落としこんで行きました。


参加していただいた方からも「楽しかった」という言葉が聞こえて、スタッフとしては反省しつつも良かったなと思いました。

印象的だったのはWSの最後に「他の班のマップも見せてもらえるのか?他の人がどんなものを見つけたのか知りたい」と仰っていたこと。

この地域では20年ほど前にもまち歩きをされた実績はありますが、それ以後あまりそういう機会はなかったようで、地域の方にとっても他の人がどういう目線で歩いたのかが気になるようでした。

この、「他の人が地域をどう見ているか」を、共有することが大事だと思っています。
違いを認識し、それを踏まえてはじめて次の段階に移行できると思ってます。

スタート地点の違いに気づいていれば、ゴールさえ共有できていればあとの問題はなんとか乗り越えられるだろうというのが僕の持論。


中山間地域にしろ、商店街にしろ、そこに人が住み続けなければ、“暮らし”とそのための空間や機能が維持されることはありません。

であるから、ひとが大事で、ひとに焦点を当てなければならないと考えています。



最後に

本書2章の途中に、起業リスクについても触れられていました。
最近はこの問題についてふと考えることが多く、どういうセーフティネットがあれば起業に踏み切りやすくなるんだろうなーといろいろ勉強しないといけないな、と思ってます。

2012-01-22

TURNING POINT




今日(というか昨日?)、隠岐ジオパークガイド倶楽部が立ち上がりました。
自分が隠岐に関わって7~8年経ち、隠岐でエコツーリズムによる地域振興がスタートして6~7年になるでしょうか。

きっとそれ以前も話は出ていたことでしょうし、関わってきたこの間も度々議論の俎上にあがってきたのが、「ガイドの組織化」という話でした。
それも、島前島後の垣根のない組織が必要なんだ、という話がたびたび出ては立ち消えていきました。

しかし、今日ようやく「ガイド倶楽部」として、まず立ち上がりました。

ガイド同士の親睦を深め、研修会等を通じたスキルアップを図り、最新の研究成果をキャッチアップできる組織として、島前島後でガイドとして活躍している人、これからガイドとしてやっていきたい人、今修行中の人、いろんな人が参加してくれました。


地元で長年ガイドをされてきた人が言ってました。

呼びかけに対してどれくらいの人が反応してくれるか、今日どれくらいの人が来てくれるかわからなかったけど、これだけの人が来てくれたことは涙がでるほど嬉しい、と。

僕にとってもにわかには信じられない、というか想像できなかった光景でした。

隠岐の中で確実に「ジオパーク」が広がり、地域に目を向けている人がいて、それをさらに多くの人に「伝えたい」と思う人がこれだけいるんだ、と。

設立総会の中で参加者のひとりが言ってましたが、いま時代は大きく変革を迎えている、その時代にジオパークという枠組みが生まれたと。
そして、ジオパークのガイドから島前島後という目に見えない壁を取っ払えるのであはないか、ということを仰った方もいました。

「ジオパーク」という枠組みには、そういうことが期待できるだけの魅力や力があると思います。

きっと今がターニングポイント。

2012-01-16

書きすぎる報告書


とあるアンケート調査の報告書を書いてるんだけど、どこまで書けばいいのか難しいところだなーと考えてしまう。

たぶん、集計・分析結果だけ書けばOKなんだろうけど、いろいろと集計結果などを見ていると、「あれとこれとの関係はどうだろう?」「これはそれに効いてそう」とかどんどん思考が拡散していく。
これは自分の調子がいい証拠で、良い感じで集中できているときに出てくる状態なんだけど、調子にのって報告書に書きすぎる嫌いがあるのだな、と感じた。

なぜそう感じたか。

それは、報告書案を関係者に一度送って確認してもらったところ、「あなたがここまで書く必要はないのでは??」という指摘をもらったから。

すんごい、よくわかる。

たぶん、そうなの。書く必要ない。ていうか、本当なら書かずに、考えてもらわなければならない部分のはず。それをつい調子にのって書いてしまうんだよな。


なぜ書かないほうがいいのか。
そして、なぜ書かないほうがいいと思いつつも書いてしまうのか。

それも実は簡単です。


まず書かない方がいい理由

それは先に書いた通り、「相手先が考えるべきこと」だから。

分析結果から、今検討中のプランに対して、意見・考察を記述すると、かなりの確率でそれがたたき台となってしまい、考えるプロセスを大幅に省略させてしまうから。

それは相手にとっては、一見「考える部分」をアウトソーシングしている効率的なやり方になるのかもしれないけど、やっぱり違うんだろうと思う。


では、なぜ書いてしまうのか


それも簡単で、ある意味でプロとして、仕事として受けた100に対して100のまま返すのか、120にして返すのか、150にして返すのか、というプライドの問題だったりする。

それが結果として次の仕事につながっていけばいいし、そうでなくても自分が考えたプロセスは無駄にならない。


ただ、繰り返しになるけど、そのプロセスは本来、相手先がすべきことであって、自分のプライドでその機会を収奪することが本当に良いのか?という疑問は常に感じてる。

2012-01-11

『文明の生態史観』読んでる途中です。

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

本年も当ブログをご愛顧いただきますよう よろしくお願い致します。


さてさて、しばらく間があいてしまって、これ以上あけると本格的にストップしてしまいそうなので、苦し紛れにポストします。


ただいま、梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』を今さらながら読み始めています。






梅棹忠夫氏の名前をはじめて聞いたのは大学1年の頃だったと記憶しています。
なんの講義だったか……。
フランス語だったような気もするけど、社会学系の講義だったような気もして……。


ま、そんなわけで梅棹忠夫という人がいるのだな、という認識はありましたが、残念な学生だったので読もうなどとは露ほども思わず。

会社に勤めだしてからは記憶の遠いところに行ってしまってましたが、最近お亡くなりになったというニュースもあり、前後して梅棹忠夫という名前をなぜかよく見かけるようになったので、この度購入、読んでみよう、ということになりました。


今ようやく半分くらい読んだわけですが、梅棹忠夫という人は想像していたよりもずっと文章が軽やかで読みやすいですね。

もっとガチガチの文章かと思ってましたが、活字嫌いの人でも比較的楽に読み進めることができそうです。

個人的におもしろいと感じている点は、東洋‐西洋とはまた違う「中洋」という存在や、封建制度を経由したかしていないかで文明(日常の生活様式など)の発展経路が異なる、という話は、アラブの春で北アフリカから中東が大きく揺らいだこの1年を思うに、不思議なつながりを感じます。

もしかしたら、最近梅棹忠夫氏の名前をよく見るように感じたのは、こういった論点がよく知られていたからなのかな?

ということで、引き続き読んでいきたいと思います。

今年もよろしくです!