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2011-03-31

マキャベリの言葉

先日、自分に何かひっかかる言葉を探してみようと思っていろいろと検索していました。
そしたら、マキャベリの言葉として紹介されていたものがピンと来たので紹介します。

人の運のよしあしは、

時代に合わせて行動できるか否かに、

かかっているのである。

 この何がいいのか。

まず、「運」ということに触れている点。
僕は最悪のシナリオを想定しつつも、わりと楽観的な物の見方をします。
言い換えれば、どれだけがんばってもなるようにしかならない。逆に言えば、どれだけ厳しい状況でも「なるときにはなる」と思ってます。
それは、ざっくり言えば”運”であろうと思います。

そして、マキャベリはその”運”のよしあしが”行動”できるかどうかにかかっているという。
それも、「時代に合わせて」 の行動。

運というものすごくファジーな要素と、時代に合わせた行動(ある意味で計算された論理的行動)とが結びついていることを示した言葉です。

”運”と”論理”の関係について述べている点に惹かれました。

ドリブン

2011 隠岐からの帰り.美保関付近

今取り組んでいる活動では、ぼくは地域の方と直接対面してサポートすることは少ないです。
どちらかと言えば、地域住民の中でもキーマンと考えられる人たちをサポートする役割です。要するに、地域のキーマンにとって自分がキーマンになれれば良いかな、といったところです。
もちろん、いろいろと葛藤はあります。
その場でナマの空気を感じず、キーマンのフィルターを通してしか地域住民の反応を得られない。その場にいれば自分がもう少し動けるのに。自分だけ安全圏にいる気がする・・・等々。

しかし、今の体制というか自分の立場上、これは受け入れるしかない。
その上で、できることをする。そういう風に考えています。
そういう立場でしか経験できないことを経験し、自分なりの考えや理念をしっかり形作っておきたい。

情報精査と意思決定

枝野幹事長、原発事故発生直後の1週間は非常に評価が高かったですね。

今はどうなんでしょうか。
個人的には、それほど発表を信頼して聞いていないので今の状態も青天の霹靂というほどではないのですが、それにしても記者会見の言葉のマジックはスゴイと思いました。

幹事長のすべての発言を聞いているわけではないので、憶測になりますが。
おそらく幹事長および政府は「嘘」はひとつも言ってないでしょうね。
数字を改ざんするなどしてもすぐに真実が広まることは容易に想像できるから、そういう古典的手法は取っていないはず。

だから「嘘」はついていないと思います。
もし「嘘」があるとしたら、それはただ単に発言ミスです。

嘘は言わないかわりに、事態の評価(危険性・安全性・避難指示・・・)についてはきわめてボカした言い方になっているはず。
なぜなら、事態が非常にわかりづらいこともあるのでしょうが、「事後」をすでに想定してしゃべっているからだと思います。
言質を取られたくない、できれば軽微な被害であってほしいという願望、いろんな思惑があって明確な発言は避けていると思います。

他方、計画停電に関してはおそらく明言しているんじゃないかな。
なぜなら、計画停電は不平不満は出ても原発事故のような人災として追求されうる要素がないから。せいぜい、対応が悪い、情報が遅い、経済が停滞した。それくらいでしょう。人命に関わる部分が小さいという判断でしょう。そういう低リスクの案件についてはおそらく明言してリーダーシップを発揮している、と演出していると思ってます。

俺らが学んだ会見用語
http://2chcopipe.com/archives/51682295.html

「直ちに健康には影響しない。冷静に対処してほしい」の意味
http://blogs.yahoo.co.jp/yujiaibara/36647171.html

 ここらへんに詳しいです^^

要するに何が言いたいかというと、政府の発表に「嘘」はないということ。
ただし、言葉をそのまま受け取っていると、ひょっとすると「そんな意味で言ったわけではない」なんてことがあり得る。
そうなると、数多い情報の中から自分なりに考え、精査し、自分と家族の振る舞いを自ら決定すべきである、ということです。

政府はたしかに嘘は言ってないから、「うそつき」と責めることはできません。
情報は提供しました、と言われればたしかに提供されています。

島根県には県庁所在地に原発があります。
島根原発に何かあれば、20km圏内に入っている間違いなく県庁は機能しないでしょう。
そうなると対策本部も立ち上げが困難になる可能性があります。
島根県民はもとより近隣の鳥取、広島、岡山の方々もいろんなシミュレーションはしておいてムダはないと思います。

会見の言葉の裏にある「真意」を読み取ることができないと、状況は悪化するばかりかもしれません。

「共感の環」を広げる 1

2011.03.27 会場
「まちづくり」に対する一般的な意識ってどんなものだろうか。
そこにはいつも「やる人」と「やらない人」との間に壁があるように思います。
そして、やる人がその想いのままに突っ走ることで物事は動いていくのだけど、反比例するように、一般的な人は活動から離れてしまいがちです。

仕事をはじめてまる7年と、まだまだ経験は限られていますが、それでも“中堅”という立場になりつつある今、まちづくりとは何なのか、どういうムーブメントが起きればいいのか、なぜ壁があるのか。
そういった問題意識について、少し整理しておきたいと思います。

幸いにも、2011.03.27(Sat)に、東出雲町の某公民館でそのようなことを話す機会をいただいたので、その時に使った資料なんかも使いながら、まちづくりを進める上での課題と、自分なりの「まちづくり」について明らかにしておきたいと思います。

少々長文になりまそうなので何回かに分けて書いていこうと思います。
まずは第一弾。


1.紹介した事例



  • 風待ち海道倶楽部 

僕の主な仕事先は、島根県内に限られています。その中でも特に関わりが深いのが隠岐の島町です。
隠岐の島町では、合併前の旧西郷町時代からお世話になっているまちづくり団体があります。
風待ち海道倶楽部(かぜまちかいどうくらぶ)さんです。

 風待ち海道倶楽部は、地域振興を目的として設立され、当初は朝市などのイベント開催を主に行っていましたが、現在は住民が隠岐のことをもっと知らなければならないと考え、地元学講座としての「エコツーリズム大学」を推進しているグループです。
付き合いがもっともながく目指すものが一致しているので、このグループから紹介させてもらいました。

  •  @歩夢(あっと!ふ~む)

2番目に紹介したのが、近年注目を集めている新しい自治組織の模索をしている@歩夢です。このグループは、島根県の事業を活用して2008年度から活動をスタートさせたグループです。
隠岐の島町の北端に位置する「武良」という地域と「布施」という地域で人口減少と高齢化が進み、地域活動をこれまでのように行えなくなるおそれがある、ということと、合併にともない行政の支所・出張所から人が減っていくため、以前のように行政頼りではいられない、という理由から今のうちに住民自身が考え、行動し、支え合う組織をつくろうという取り組みです。

  • 隠岐×学生プロジェクト

3番目に紹介したのは、グループではなくて2010年度に隠岐の島町内で取り組んだプロジェクトです。
これは、島の将来の担い手が減る中、いかに担い手や担い手となり得る候補を見つけ、キャッチしていくか、ということを意識した取り組みです。
視点は、島の子どもたちに隠岐を誇りに思ってもらえるように伝えること、そして島外の大学生に来てもらい、島を知ってもらい、住民にその魅力を伝える企画を実践してもらうことを通じて隠岐を好きになってもらおうというものです。


2. 異なる目標・手法・主体 しかし、目指すものに大きな違いはない

ここで挙げた事例はいずれも隠岐の島町での取り組みです。
ただし、すべて活動主体は異なり、それぞれの性格も志向する地域の姿も手法も異なります。
風待ち海道倶楽部は主要産業且つ産業としての裾野が広い観光を魅力あるものにしない限り、隠岐が危ないという認識です。そして「魅力ある観光地とは ?」を自問し、得た結論が住民が誇りに思える地域は外から見ても魅力的である、というものです。
だから、エコツーリズム大学をスタートさせ、住民が学び、ときに住民自ら講師となる仕組みを構築しています。
まだまだ成果はこれから、といったところですがその姿に僕は共感しています。

また、@歩夢は少子高齢化が進行する中、行政にも頼ることができなくなることを想定し、なんとか住民でできることを模索し、やっていこうとする取り組みです。
今まで祭りなどの伝統行事はやっていても、新しい自治なんて言われてもわからないのが一般的な人だと思います。
だからこそ、僕らみたいなコンサルタントが一緒に考え、行動することで推進剤となれればと考えています。
@歩夢の存在は確実に参加された人たちを変えています。環も広がっています。
だからこそ続けていかなければならないでしょう。@歩夢にやる気があるなら、協力を惜しみません。

隠岐×学生PJは、島根大学の卒業生が在学中に隠岐に来たことがきっかけで企画されました。アツい思いを持った学生とアツい思いを持った住民が出会うとき、何かが生まれるかもしれない。そういう期待が持てるところが魅力であると考えています。
 すぐに何か効果が出るわけではない。だけど、こういう種まきも必要だし、そこをおろそかにしては次世代へとつなげることはできないだろうと思います。
そして、大きな狙いは大学生ではなく、やはり地域の子どもたち。子どもたちが外から来た大学生のお兄さん、お姉さんから「隠岐ってすごいね~!!」なんて聞かされたら、少しくらいは嬉しく感じてもらえるのではないか。そういう経験の積み重ねが隠岐への思いと誇りを育てるのだろうと思います。
そして、島を出た子どもたちが将来戻ってくる可能性があるとしたら・・・。そういう誇りを感じ、隠岐を好きでいてくれる子どもたちではないか。そういう種まきです。


第一弾はとりあえずここまでです。
新しいブログなんで焦って書かず、ゆっくりと書いていければいいかなと思います。

2011-03-29

近況報告

2009年度に入学した島根大学大学院を先日無事に卒業し、修士課程を終了しました^^
社会人学生としての大学院生生活だったので、多少は苦労しました。特に2011年に入ってからは本当に日々が過ぎ去るのが早くて焦りました。

学位(?)の分野は「生物資源科学」の修士です。
昔だと多分、「農学」とか「農業経済学」とかになるんでしょうが、どうやら今は学科の名前がそのまま使われるそうです。

ちなみに、修士論文のタイトルは
『離島集落における「共食」の視点からみたソーシャル・キャピタルの構造
―島根県隠岐の島町を事例に―』
です。

隠岐の島町で2回実施したアンケート調査と神戸市東灘区でも1回実施したアンケート調査の結果を用いて、地域別のソーシャル・キャピタルの傾向を明らかにしました。
また、フィールドワークとして業務で関わってきたまちづくり団体等を整理し、そこで見られるソーシャル・キャピタルについても整理してみました。

修論自体はまだまだ改善の余地あり、といったところです^^;
でも、学部生の頃のような後悔はなく、今できることは出し切れたと思います。
そういう意味では本当に良かった。

報告書を書くことには慣れているので、論文も何とかなるかなと思ってました。
しかし、実際には学術的論文を書くことにはとても苦労してしまいました。

報告書はやってきたことを書けばいいという意味では慣れている。
論文は細かいところまで論理構成に矛盾がないかを考えながら進めなければならなくて、そこにストレスがかかりました。

もちろん、報告書書くときも論理構成に矛盾がないかどうかは考えているんですが、気の配り方という意味では大きく違うなと。

とにかく、社会人として働き、働く中でもっとこういうことをしてみたい、知識を深めたい、という気持ちが出てきたら大学にまた戻るというのはひとつの手だなーと感じました。

このブログについて

このブログは、僕個人の日常について主に書き連ねていくことになると思います。

予想される内容は

  • 仕事(まちづくり)
  • 音楽(主にCHAGE and ASKA)
  • 映画
  • iPhone
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  • twitter
などになるかなぁと思ってます。

基本的に毎日何かは更新したいなと思ってます。