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2011-10-30

パラダイムシフト(TPP、昭和一桁世代etc)を受けての地方都市の戦略とは



”日本人”が好みそうなフレーズの前では「思考停止」


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風呂に入りながら『TPP亡国論』を最初から読み直してみた。と言っても、序章と1章の最初くらいだけど。

その中に、日本人は「開国/鎖国」や「自由貿易/農業保護」といったキーワードが出てくると途端に思考停止に陥り、論理的かどうかは関係なく、「だからTPPに参加しなければならない」という結論になる、という批判がありました。

グローバル化も”開国”も自由貿易もすべて一見すると、「良いこと」のように見えますが、「本当にそうか?」とふと立ち止まって考えることこそが大事なんだと思います。


これと似た構造で僕が不思議に思っているのは「ネアカ/ネクラ」、「明るい人/暗い人」。これも、「暗い人より明るい人の方がいいよね」というなんだかよくわからない”感覚”で判断して、「本当にそうか?」と考える人って少ない。
自分がネクラだから、というわけじゃないけど、ネクラは悪いのか?ネアカはそんなに素晴らしいのか?と思うわけです。

僕から見ても、TPPに関する議論、特に賛成派の論点て、そのレベルにしかなってないと思うんです。


スポーツのルールでさえコントロールできてないのに、よりシビアな経済ルールをコントロールできるとでも?


子供 スケート 氷上     - 写真素材
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中野氏もどこかの動画で触れてましたけど、鈴木大地以降バサロ泳法が禁止になり、長野オリンピックの日の丸飛行隊以降、スキージャンプのレギュレーションが変わったり、近年のフィギュアの採点基準が変わったり、とにかくルールを都合よく変えたものが勝てるようになることは明白です。

もちろん、安藤美姫や真央ちゃんのように、不利益を被るルール変更にも負けずに乗り越えて大きな感動を与えてくれましたが、基本的なルールの部分は何も変わりません。

このルールの部分が、TPP以降で変わってくる可能性があるんですね。
それは極論すれば、僕も含め、あなたも「安藤美姫」なり「浅田真央」なりのレベルになることを求められるのと同義です。
でも、いろんな事情でそんなレベルになれない人、産業がほとんどだと思います。
だからこそ、それぞれの国では弱い産業や自国にとって極めて重大な産業を保護したりする一方で、強みが発揮できる産業を開放するわけですよね。

その交渉をクリアしていくのが外交政策であり経済政策だと思います。

そして、今回のTPPや、FTA、EPAだったりが国際交渉の場として用意されています。
FTAは基本的に2国間で、利害調整がし易い枠組みと言われていますが、そのFTAでさえ調整は難航しますし、米韓FTAのような事態が発生することもあります。

一方、TPPは10ヶ国程度が参加して議論するわけですが、まとまるのでしょうか?
まとまるとして、日本に有利なルール作りができるのでしょうか?中野氏が明らかにしたように、TPPは実質的に日米間の協定ですが、単純な政治力で言えば、アメリカに軍配が上がることは明らかです。
では、他の参加国がアメリカを向こうに回して日本を応援するのでしょうか?
これについては、中野氏が触れているとおりだと思います。

そもそも、スポーツのルール作りでさえ、いいようにされているのに、さらに大金が動く経済のルール作りではなぜ「日本の有利なルールとなるように働きかければいい」などと言えるのでしょうか。
日本が政治力・交渉力を発揮できるとは到底思えません。


人それを「匹夫の勇」という

TPPに関しては非常に悲観的な話ばかりしていますが、別に競争を否定するつもりはないのです。
ただ、思考停止した状態で、相手に有利なルールのマットにノーガードで突っ込むことは勇敢でも何でもない、ただの無謀。匹夫の勇というものです。

そんな無謀が許されるのは「神様にケンカをうってる一族だ」と嘯ける陸奥九十九だけです。

が、野田総理は議論に参加することは決めたらしいので、もう交渉から降りることは不可能でしょう。
走り始めたバスは終着駅まで決して止まりません。



あと、中野氏の出演されていた番組をYouTubeで見てがっかりしたことが一つ。
なぜ野田総理が結論を急いでいるのかといえば、オバマ大統領が国内で厳しい状況にあるので、TPPを手土産にして覚えを良くしたい、とそんな程度ですよ、と別のコメンテーターが話してたこと。


今後の地方都市の戦略

では、こうした社会情勢を受けて、基本的に打撃を受けることになるであろう産業を多く抱える地方都市は、今後5年あるいは10年の戦略をどう考えるのか。


水 波紋 水面 背景素材  - 写真素材
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それは、今パッと思い浮かべるとしたら、大字(=概ね公民館区)程度を基本単位として、

  1. 食料自給
  2. エネルギー自給
  3. 水(地下水)自給
  4. エリアにおけるソーシャル・キャピタルの分析と醸成

を段階的に実現していくことを目指すことが必要でしょう。

1,2は言わずもがな。生きていくために必要となりますし、3は今後ますます重大な問題として顕在化してくると思います。

北海道では既に問題化しているという話も伝え聞きますが、水も無限ではなく、しかも一度汚染されるとクリアされるまで数十年単位の時間を必要とします。口にできる水の自給圏を確保することは、生きていく条件であり、世界を相手とした時のビジネスの切り札にもなるかもしれません。

4は、要するに地域の強味と弱味を、一般的な地域資源ではなく、そこに暮らす人の「こころ」から明らかにしましょう、ということです。

こういうの、いろんな人と一緒に考えてみたいんですよね。


パラダイムシフトが現在進行形で起きている


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個人的な考えとして、これまでの5年間でパラダイムシフトが起き始め、と今後の5年間でパラダイムシフトがどうなるかがある程度見えてくる、重要な10年間だったと振り返るようになるのではないか、そんな風に感じています。


国内的には、昭和一桁世代がますます地域から減っていきます。人生の、日本の先達が持っているさまざまなノウハウ、生き様、知恵、知識が失われ、新しい局面に突入します。
さらに、エネルギーや食料の価格高騰も懸念されます。

そして世界に目を向けると今回のTPPです。

国の内外で大きな揺さぶり要因がこの5年10年に集中している、というのがパラダイムシフトが起きつつあると考える理由です。

2011-10-28

TPPには反対しています


別のところにアップしようかと思ってたけど、まずはブログかな、と思いこちらに記します。

中野剛志氏がフジテレビに出演したことでネット上で比較的話題をさらっています。

中野剛志氏は、TPPに関しては至極まっとうなことを言ってると思ってるんだけど、民放地上波初登場?が鮮烈すぎてさすがだなとしか言えない。

態度云々もあるかもしれないけど、言ってることはわかりやすいと思います。

僕は中野氏の説明と論理に納得しておりますので、TPPに関しては以前から反対だということで書いてます。





以下、長い文章が続きますので、僕のポストを読むより一番下にリンク貼りましたけど、中野氏の動画がありますので、そちらをご覧ください。
わかりやすいことに加えてユーモアもあり、笑っちゃいけないけど笑うしかない状況にあるTPP反対派の状況がよくわかると思います(笑)


中野氏、動画の中で「日本人はバカ」的な発言がありますが、あれは国民がバカと言ってるのではなく、政府がバカだと言ってると理解しています。
国民に関してはむしろ「頭がいい」と知性は評価しているからこそ、政府の政治力のなさとバカさに辟易している、と見えます。


こっかから僕の本編です

デフレが進むよ

自由化で輸入品が安く入ってくるから一般庶民には嬉しいだろ?という議論もあるようですけど、デフレが一層進むだけですからね。
瞬間的には安くなっていいかもしれないけど、国内企業がそれに対抗しようと思ったらコストカットしていくしかないので、結局削りやすい人件費が削られてリストラもろもろが増えることになるのではないかと思います。
その辺、どう考えてるんでしょうか。


途中離脱があり得ないことはわかりきったことでしょ

もう一つ。賛成派が言う、「議論のテーブルにつくくらいいいだろ。日本にとって不利益ならやめればいい」というのも詭弁。
日本の真意がどうであれ、一旦テーブルにつけば、原則途中離脱はあり得ない。それは玄葉氏も言ってましたよね。

ってことは、いったんテーブルにつけば後は、なし崩し的に話を進められてしまいます。

それで本当にいいの?大した考えもなしに、「開国」だとか「グローバル化」だとか一見美しく理想的に見える言葉に踊らされるのがベストなのかと。





年間2700億円(GDPに+0.054%)程度だよ

また、内閣府が最近になって示したTPPに参加した場合の経済効果。
TPPに参加すると、なんと!GDPが!0.54%増!?

金額にして2.7兆円の効果が生まれる!!(ただし、10年間の累計です)

って、1年当たり平均2700億円です。しかも、「10年間の累計」という言葉を一切パネルに表示しないフジテレビに中野氏キレてます。
そりゃ、詐欺的なやり口ですからフェアじゃないし怒るのは当然だと思いますね。

ただ、この内閣府の試算についてはHP見てもソースがどこにあるかわかんないので、引き続き探してみます。(ちなみに、下記リンク先日経新聞にも「10年間」とは一切記載されてません)





国内ルールが変えられたらお手上げだよ

さらに、現代の自由貿易交渉の主題は、関税撤廃だとかそんな話は問題にならない。
まあ、言葉通り問題にならないわけじゃないのは当然として。

何が問題かというと、現代の交渉は相手国の国内ルールをいかに自国に有利に変えさせるかということに移ってるんだ、と指摘します。
実際、米韓FTAでは韓国は大幅にアメリカの要求を呑んだようです。

前にも書いたかもしれませんけど、韓国製品が好調なのは、関税云々以上に、ウォン安が大きいわけですから、米韓FTAでアメリカの関税撤廃された~!!となったところで、大した効果は期待できないでしょう。
しかも、韓国もアメリカなど現地生産に切り替えを進めていて、関税がそもそも適用されない形になってるんだから、韓国は果たして得るものがあったのかは疑問。

中野氏の痛烈な皮肉として、これだけアメリカの言いなりになってくれるんだから、そりゃあオバマもイ・ミョンバク大統領大好きになるでしょ、と。そりゃあ、国賓待遇で出迎えるでしょ、と。





訴訟大国アメリカ怖いよ

さらに、別の動画を見て驚きました。
ISD条項という存在に。

TPPの、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定

ISD条項とは何かを簡単に言うと、たとえばアメリカの企業が日本に進出し、地下水を汚染してしまった、とします。
そんなことになれば、当然現場を管轄する市町村等が開発差し止めなどを行います。
すると何が起こるか。
差し止めされたアメリカ企業は、開発差し止めによって生じた損失の賠償を求めて日本政府を訴えます。
この裁判は第三国で行われ、判例も適用されなければ、日本の環境や住民の健康度合いなども一切考慮されず、単純に「企業に対して、利益損失が生じたのかどうか」という経済的尺度でのみ判断されるとのこと。
しかも、判決に不服があっても一審で結審。覆ることはないのです。

こんな馬鹿な話、いくら何でもねーよ(笑)と言いたいところですが、中野氏によると、実際にこんなケースがいくつも発生しており、累計で200件を超えたらしいです。


たとえばカナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していた。同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。ところが、米国のある燃料企業が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この規制を撤廃せざるを得なくなった。


また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府は環境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、カナダ政府は823万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。

メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。

あり得ないでしょ。
そして、これも中野氏によれば、このISD条項、日本側がTPPに盛り込むよう検討しているとか。
理由は簡単です。
上で示したケースと逆の場合、日本企業を守れるから。
わからんではないですね。
でもね、TPPの主要相手国はあの訴訟大国アメリカですよ。訴訟に長けているアメリカを向こうに回してやりあえると思ってんですかね。

彼の国は、マイケル・ジャクソンしかりレディ・ガガしかり、金持ちにわけのわからない訴訟ふっかけて大金ふんだくろうとする文化?があるのに、バカ正直な日本人では太刀打ちできないでしょう。
こういう懸念は「負け犬的発想」なんでしょうか。。。

さらに、このISD条項については米韓FTAにおいて韓国が丸呑みしたそうです。
この影響がどう出てくるかはFTA発効後にならないとわかりませんけど、うーん……。

以下、中野氏による非常にわかりやすい、論理的なTPPのダメなところ解説です。
ある意味エンターテイナーです。






2011-10-25

『秒速5センチメートル』は心の奥で何かがうごめく


最近、『秒速5センチメートル』を見ました。

これはあまり書きすぎると自分自身をエグることになるのですが。

ヒトコト、はまりました。

きっと見る人によって感じ方は違うでしょうね。

自分にとってはこの作品は甘酸っぱくもあり切なくもあり、以前のいろんな思い出が掘り起こされるようでした。


一応、簡単に紹介しておくとこの映画は3本の短編から構成されるおよそ1時間程度の作品です。

  • 「桜花抄」
  • 「コスモナウト」
  • 「秒速5センチメートル」

作品の細やかな解説や分析は他ブログに任せます^^;


主人公

物語は3編とも、主に2人ずつ主人公が配置されています。

遠野貴樹、篠原明里、澄田花苗がそれぞれ3編に二人ずつ登場します。


桜花抄


貴樹と明里の小学校~中学校時代が描かれます。不思議なタイトル「秒速5センチメートル」とは何のかが冒頭で説明されます。
これは桜の花が落ちて行くスピードだそうです。

同じ転校生同士、精神的にも似通った二人がひかれ合いながらもお互い転校でバラバラになる。
その直前の再開と別れまでが描かれるのですが、なんていうのかな。
小学生の時の初恋や、中学生の頃のなんとも言えない好きな娘への気持ちが思い起こされて、けっこうしんどい^^;

そんなに仲良く女の子と喋れるわけじゃなかったけど、やっぱり極少数は話せる娘がいて、その娘が気になったり、、、なんてことはあったわけで。


コスモナウト


鹿児島県種子島に転向した貴樹と、そこで出会った花苗との主に高校生活が描かれます。
東京から引っ越してきた貴樹に一目惚れした花苗が、好きだと告白することもできずかと言って諦めることもできず、という苦しいほど切ない状況です。
貴樹は、小学校から好きだった明里のことを忘れられずにいて、おそらくは、いつもそこにいない明里のことを思いながら過ごしているのでしょう。
だから、優しくはできても振り向くことはできない。


秒速5センチメートル


タイトルにもなっている3編目は、社会人になった貴樹と明里。
貴樹は就職し、何かもわからない高みを目指して懸命に働いた結果、何のために高みを目指していたのかを見失います。
一方、明里は貴樹ではない誰かと結婚することが決まり……。

進むべき道を見失った貴樹と進むべき道を見定めた明里が、子どもの頃よく通った踏切で邂逅し、遮断器が上がった時……。
貴樹は少し微笑みを浮かべます。まるで、ようやく次へと進むことができるように。


すごくいい映画

ちまたではこの作品は欝発生装置として恐れられているようです。その気持ち、わからなくはないですね。
ただ、僕の場合、この作品は欝エンドではないと思います。

切なさはあるけど次へと向かう決意が固まるまで、男は時としてこれだけの時間を要するのだということなんだろうと思います。
必要なのは時間だけじゃなく、キッカケも、なんですけどね。
それが貴樹にとっては、遮断機があがった後の一瞬であったということなんだろうと思います。

男というのは、かくも引きずるものかとエグラれながら見れますw

気分爽快!というわけには行きませんが、何か心の奥でうごめくものがある、たしかに感じられるそういう映画です。

その他、背景描写がめちゃめちゃキレイ。サクラも、空も宇宙も、ほんとうにキレイです。
あと、好きな山崎まさよしの名曲「one more time,one more chance」が作品を貫いているので、そういう楽しみ方もあるかと。

とりあえずDVDと小説がほしくなったw

『プレイフルシンキング』読了



わずか二晩で読みきってしまった、読んでて楽しい、まさに「プレイフル」な本でした。

まず最初に伝えておくと、僕は本を読むのにものすごく時間がかかります。
『銀河鉄道の夜』を読み終えるのに3日要してますし……。

この本は180ページほどなので、いつものペースなら間違いなく2週間はかかります。
が、実際には昨日、今日の二日間というか二晩で一気に読みきってしまいました。


プレイフルシンキングとは

本書を貫く、ちょっと変わった言葉「プレイフル」とは何でしょうか。
著者の言葉を引用するとこうです。
プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。(P.16)

そして、この心の持ちようは、やや後ろ向きなタイプの人でも、新しいことになかなか踏み出せない臆病な人でも習得できる思考法だとも言っています。

このプレイフルシンキングをうまく活用することで、今まで自分の中で「こうだ」と思っていた世界が違った見え方をしてくる。その変化がまたワクワクドキドキを呼び込む、それがプレイフルシンキングなのかもしれません。


ただ、本書の序章の最後には、「プレイフル」という単語が繰り返し繰り返し連発されているので、初見ではやや鬱陶しさを感じました。


プレイフルシンキングを「仕事」に活かす

著者はもともと「学びの場」についての研究者ですが、仕事の場面も「学びの場」ではないかと考え本書を書いたらしい。

まず気になったワードを拾いながら「振り返り」をしてみると、“プロフェッショナル”であるために2つの重要なキーワードを示しています。

  • 新しい状況にためらくことなく飛び込む「知的好奇心
  • 自分の行動を振り返ってみる「俯瞰的で省察的な視点

この2点です。
知的好奇心に突き動かされながらも、第三者的な視点を持ちあわせて、スパイラルアップを果たしていけるのがプロフェッショナルだということですね。

さらに、人間の心のあり方は大きく2つのパターンに分類されるようです。

  • フィックストマインドセット(fixed-mindset)
  • グロウスマインドセット(growth-mindset)

簡単に言い換えれば、前者は「コチコチに硬直した心」のあり様で、後者が「伸び伸びとしたしなやかな心」のあり様です。

フィックストマインドセットの人は、新たな局面に立った時、「自分にできるだろうか?」と考え、グロウスマインドセットの人は同じ場面で「どうしたらできるだろうか?」と考えるタイプ。

そして、この心理的な差は失敗した時には次のようにあらわれるようです。

  • fixed→自分の“能力が”足りなかったから
  • growth→自分の“努力”が足りなかったから

と。

ここは初見ではよくわかりませんでした。
が、よくよく考えれば、単純なこと。

fixedの場合は、自分の能力に限界があり、どれだけ無力感を感じる。
一方でgrowthの場合、失敗は悔しいが、努力が足りないのだから次は何とかなる、と考える。

この差は仕事をしていく上で、思いのほか大きいのだろうと思います。
なぜなら、僕のような仕事の場合、「同じ仕事」というものは存在せず、常に新しい何かに挑戦せざるを得ないのだから、マインドセットをどう自分の中で仕上げるか、はパフォーマンスに大きな影響を与えます。


自分の場合

自分はどちらのマインドセットも経験したからわかるけど、この心理的な差は大きい。

中学生頃から仕事をし始めて2、3年までは、今にして思えば僕は完全にfixedでした。

とにかく、自分は頭の回転が遅く、人の役に立たない無能であると、かなりネガティブなマインドセットです。
だからというわけじゃないけど、ネガティブであることが悪いことだとは思わないし、ネクラなことも悪いと思わない。

ただ、仕事を始めて数年経った頃、気づくとgrowthな心理になってました。
なぜかはわからないけど、仕事自体が楽しいものだと腑に落ちたことや、楽しみながら仕事をしていいのかもしれない、と少しずつ思えたからかもしれません。


メタ的視点

メタ的に考える人は、上司がなぜそう言ったのか、言葉の奥にある本質を探ろうとする(P.60)
これは、僕は普段からしてしまいますね。
よく言えばメタ的に考えることができている、とも言えますが、自己評価的には相手の奥ではなく、ウラを探ろうとする心理が働いているような気もします。

ただ、こういう風に考えられるようになったのは以前の上司のおかげです。
常に評価されていると考えたほうがいい、といったようなことを教え込まれました。


1人で仕事をするわけではない

これは自分が一番気を付けなければならない点なんですけどね。
いろんな特技を持つ人、ネットワークを活用することでひとりでやるよりもはるかに良好なパフォーマンスが発揮できる。
これは頭ではすごくよく理解しているし、やろうともするんだけど、はっきり言って得意分野ではないです。
この辺をうまくできる人は周囲にもいますけど、本当に尊敬しますし、羨ましくもあるし、悔しくもある。

そういう意味で、本書でいう「最近接領域」という概念はおもしろい。

これは要するに、「あの人が一緒ならうまくやれそうだ」という頼れる他人ありきの自信。

こういうイメージはすぐに持つんだけど、実践が難しいー^^;


最後に

冒頭で書いたように、わずか二晩で読みきってしまうくらい読みやすく、また内容自体がワクワクドキドキモノですので楽しく読めると思います。

内容的には、同じタイミングで読み終わった『キュレーションの時代』と重なる考え方も多く、「うーん、仕事のあり方や仕事との向き合い方が変わってきてるのかも~」と感じることも多々ありました。

新しい環境に立ち向かうというコンテキストは『キュレーションの時代』ではそのままキュレーターという役割と重なるし、ワークショップの主催者だけじゃなく参加者も一緒に準備するというコンテキストは『キュレーションの時代』でふれられた禅や「主客一体」と重なります。

そういう点でも、今この時にこの2冊を読んだことに何か必然性を感じます。

個人的には最近の自分の頭の回転の遅さに今まで以上にイラつき情けなく感じていたので、ある意味で救われ、良い意味で気合をもらえました。

あと、仕事は楽しんでいいんだ、楽しい方がパフォーマンスがあがるんだ、と少し自信を持てる内容ですので、仕事でもプライベートでも「今のままでいいのかな?」と悩んでる方、悩み始めてる方は一読の価値ありです。



上田 信行
宣伝会議
発売日:2009-07-03

2011-10-15

『銀河鉄道の夜』読了

『銀河鉄道の夜』を読み終わりました。

表現や言葉は、さすがに古さというのかノスタルジーを感じさせるところが多かったですが、良かったです。

なにより、銀河を川に見たててそこを鉄道で旅するという話に、ワクワクさせてもらいました。

銀河の中の星をサファイアやトパーズと表現したり、三角標と表現したり、光景が目に浮かぶようで、「これが宮沢賢治か」と今さらながらに感動しました。

汽車の中でのジョバンニの居心地の悪さは、ただひとり車中にいた人たちとは違う存在だったからなんですね。

幸い、他の短編もいくつか掲載されているのでそちらも読んでみたいと思います。




銀河鉄道の夜 (角川文庫)
宮沢 賢治
角川書店 ( 1996-05 )
ISBN: 9784041040034


島根で暮らしているということ


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なぜ自分は島根で生まれ島根で育ち、今なお島根で暮らして、さらには地域振興を仕事としているのか。


「好景気」と縁のない人生

高度経済成長期、バブル経済を通じて形成された価値観は、一般的にはこう。
「いい大学に入り、いい会社に入れば、一生安心して暮らせる」
たしかに、当時はこういう空気があったのだろうと思う。
だけど、自分の場合高度経済成長期なんて生まれる10年も前の話だし、バブル経済にしたって、島根という地方で十分な影響を受けたわけでもないだろうし、そもそも小学生~中学生くらいで崩壊している。
なので、「好景気」というものに縁がなく、心のどこかで、「一生安心」ということに対して疑っている部分がある。


子どもにとっての親の言葉

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以前、弥栄で仕事をしている時によく聞いた話がある。

「自分の子どもには、ここから出て都会で就職しろと言ってきた。今さら戻って来いとは言わんし、思ってもない」

と。ふむ、なるほどなぁ。と思ったものです。

そして、自分はどうだったのかな?と振り返ると、両親から「島根はつまらんから都会へ出ろ」というようなことを言われた記憶はない。

と言うより、いい大学に入れとも言われたことはない気がするなぁ。


地方から若い人間が減った理由は親の教育か

今考えてみると、両親は比較的現実的とでも言うのか、さほど頭の回転が早いわけでもない自分がいい大学に入って良い企業に入る、なんてことは描いてなかったんだろう。
そこそこの学校を出て、それなりの会社に就職してくれればそれでいい、とそれくらいの現実的な思考だったんじゃなかろうか。

やはり、親の教育は子どもに相当影響を与えると思う。
それは価値観の形成という点で大きく表出してくるのではないかな。
住んでいる所が「つまらない所」だと小さい頃から教え込まれれば、そんなもんかと受け入れてしまう。その結果、一度出てしまうと、「戻ろう」という気持ちを喚起できなくなる。

教育だけに原因を押し付けるわけにはいかないけど、根本的にはここは大きいと思ってる。

もちろん、仕事がない、住むところがない、不便、病院が脆弱などいろんな要因がからみ合ってることはわかるけど、最後は個人の価値観に基づく判断となるのだから。


人がいなくなる

いわゆる「限界集落」はこれから「消滅」していくのかもしれない。
だけど、それは決して人の手で人為的に進めていいものではない。
今そこに住んでいる人は、そこに住みたいから住んでいる。

そこに暮らしたい人、そこでしか生きていけない人、いろんな事情があり、他人には決してわからないモノがある。

効率性や経済性だけで判断されることの辛さは今となっては「限界集落」に暮らす人だけでなく、3.11以降の被災地に暮らす人、福島に今なお暮らす人も同じだと思う。


どこで生きていくかという選択

自分自身、県外に出られなかったことをたまに残念に思ったりすることはあるけど、それが今の自分にマイナスになっているかと問われれば、それはない。

結局、無数の選択肢から”選ぶ”のは自分以外の何者でもない。
好き嫌い、事情の有無はあっても、選んだのが自分なら、そこでできること、やれることをどれだけできるかに注力すべきかなと思う。

いつも感じることがある。
主に仕事を通じてだけど、自分は周りの人たちに本当に恵まれている、と。
信念を持って動き続ける人、黙々と仕事を推し進める人、ロジカル重視の人、組織を重視する人、組織より個を重視する人いろんな人がいて、いろんな人から教えをいただける環境にいられることが嬉しい。

2011-10-10

有珠山噴火の跡にふれて感じるジオパークの意義


洞爺湖遊覧船の後は、有珠山噴火の爪あとをコースとして整備したということで見学に向かいました。



上の写真でこんもりと山になっているところは、溶岩ドームだそうです。


遊歩道整備

災害遺構として、遊歩道も整備されています。
これは後日、地元の方が話されていたことですが、災害遺構として遺し、観光に活用することで、火山と共に生きていることを認識し、乗り越えるためということでした。

あとで出てくる団地を遺すことについては反対意見もあったようです。


遊歩道起点には案内所

災害遺構を巡る

それでは少しばかり災害遺構を巡ってみましょう。

温浴施設

下の写真は、噴火により破壊された公衆温浴施設跡です。
施設そのものは残っていますが、施設内には火山灰らしき土砂が入り込んでいます。


サッシが曲がっているのは、土砂の圧力か噴煙などの熱によるものか……。




流された橋

次の遺構は、上流部から流されてきた橋。
なんというか。言葉が出ないです。



元桜ヶ丘団地

ここが遺すことに対して反対意見も出たという団地です。
もともと住んでいた方からしてみれば、何とか逃げ出してきたわけで、ある意味で生活がそこでストップしているわけですね。
そこをそのまま見せる、ということに対する抵抗感だったのか、あまり思い返したくないから取り壊してほしい、という思いだったのかわかりません。
しかし、当時4,5棟あったうち、ただ1棟だけが残されています。

反対意見もあったということで、あまり写真は撮っていません。



1階部分は埋もれてしまっています。




自然の中で生かされているということ

日本のジオパークには火山に関するジオパークが多い、ということは知っていました。
それにしても、災害遺構のような場所に来ると、人間と自然との共生とは何なのかということをつくづく考えさせられます。

それに対する答えの一つが、ジオパーク全国大会の中で披露されて、北海道の人すごいな、洞爺湖の人はすごいな、と感銘を受けました。

それは端的に言えば、ここに住んでいる人たちは火山の恵みをいただいて生きている、ということ。
だから、ここに暮らし続けるし、火山との付き合いも避けられないものと認識されていました。

そういう背景がある中で、ジオパークである意味というのは大きいです。
と言うのも、「火山の恵みで生活している」と感じる人は、そうは言っても多数派ではないでしょう。しかし、こうした考え方を子どもたちや地域住民に伝える枠組みとして、ジオパーク活動が果たす役割は小さくないはず。

ジオパーク活動を通じて、自分と地域、自分と自然環境、人間と大地の関係性を知ることに必ずつながり、それがまた次の世代へと受け継がれていく。
それこそジオパークです。

現地を実際に見るということの大事さは、毎回再確認させられます。


こちらもあわせてご覧ください。


2011-10-09

洞爺湖遊覧船で感じた地域ブランドを守るということ

左奥:羊蹄山 中央~右:中島@洞爺湖

数日前から急激に首から肩、頭にかけての痛みが出たため、北海道行きの様子をまとめられませんでした。
昨日、病院に行って薬をもらったところずいぶんと軽くなったので、改めてジオパーク全国大会の様子をお知らせします。

今回のポストでは、北海道滞在中ほぼ唯一といっていい自由時間の様子 その1です。

自由時間は半日で、朝一で洞爺湖遊覧船に乗船した後、火砕流跡やビジターセンターなどを見学しておりました。


遊覧船の様子

普段乗り慣れているカーフェリーと比べれば相当に小さな船ですが、1等客室があったりして少し昔の雰囲気を漂わせていました。






乗船客の様子

乗船客は僕たちだけでなく、どこかの修学旅行生のような雰囲気の一団、個人旅行者の方なども少数乗船されていました。



なお、船には無賃乗船する客までいる始末……。
こやつです ↓↓(ウミネコ)


なんと乗りなれた雰囲気。。。


餌付けはいいのか・・・?

このウミネコさん、なんでここにいるの?と最初はよくわかりませんでした。
しかし、遊覧船出航後にその理由が明らかに。

その理由とは、船内で販売されている「か●ぱえびせん」などを乗船客が購入して、船上からウミネコさんに向けて景気よくバラまくわけです。


そうするとまあ、こんな感じで遊覧船の後をつけてくるわけです。

しかし、ここで僕はうーん……と思うわけです。

こいつらを餌付けしていいのか?と。

国立公園であり世界ジオパークであるここで、自然界の動物を餌付けする行為はどんなもんだろう、と。
法的に問題がないとしても、ガッカリ感は否めません。

ただ、こういうアトラクション的要素で楽しむ人達がいる、というのもまた事実で何とも言えない気持ちになりました。


浅瀬だとこんなに綺麗な水だと気づきます


船上から眺める昭和新山・有珠山

中島をぐるっと一周した後は帰路へ。
その時、甲板からは昭和新山と有珠山がしっかりと見れました。

天気も良く、非常に過ごしやすい日で良かった。


2008洞爺湖サミットの会場となったウィンザーホテル



地域資源の保全・保護と活用

あまり繰り返し指摘しても、みたいなところはありますが。

餌付けの問題は、単に餌付け行為だけじゃなくて、地域としての価値、ブランドを自らが認識しているかどうか、という点に行きつくと思ってます。

なので、今回の餌付けに関しては、洞爺湖というブランドを自ら傷つけているように感じ取り、残念に思いました。

そういう意味で、保全と活用のバランスというのは難しい問題である、ということを改めて感じます。
なぜなら、エサとなるお菓子の販売は船の運行会社の収入につながるわけで、それを絶つということに抵抗を感じるのかもしれないなと。


もう一つ残念だと感じた点を。
エサをやってたのは主として修学旅行生らしき一団だったんです。
生徒が撒くのはまあわかるんですが、残念ながら引率しているであろう先生がわりと積極的かつ楽しそうにお菓子をそこかしこに撒いてて、これがものすごく残念でした。

そこは教師が洞爺湖の状況とかを説明して、エサをやる行為は実はこういうリスクもあるんだよ、というような話をした方がいいのでは……?と感じました。

隠岐においても参考になるところはあるな、と感じます。
特に、地域住民が隠岐の価値を認識し、外から見られた時のブランド価値をどう守るのか、という考え方をしっかりと持っておくことが重要かと。

2011-10-05

JGN臨時総会と交流会



先にこちらもご覧ください。



もう関連するポスト3つもあげてるのに、まだ1日目が終わらないとかどんだけー。


JGN臨時総会


洞爺湖有珠山ジオパークについたその日の夕方から、日本ジオパークネットワーク(JGN)の臨時総会がありました。
会場はサミット記念館。

昨日も書きましたが、この会場を使わせてもらったということが洞爺湖町の肝いりらしいです。

隠岐ジオパークからは推進協議会の升谷副会長が出席。


議事そのものは滞り無く進行しました。

なお、JGNはNPO法人格を取得しています。


交流会へ突入

臨時総会終了後は場所を移して、交流会。


参加者数がものすごく多い。
聞いたら、昨年の糸魚川では50人くらいだったとか?


とにかく人数が多かったです。


ジオパーク自慢コーナー

そして、交流会では各ジオパークの自慢コーナーへ。


酒の部

どのジオパークからも、「うちのが一番うまい!」と思って持ってきている酒などを飲んでくれ!と、並べてありました。

ただ飲むだけではもったいない、ということで、各ジオパーク担当者がそれぞれ商品を自慢するコーナーまで用意されていました。


このピンクのお酒はアポイ岳ジオパークのお酒ですが、どぶろくです。
コレ飲んでぼくはやられました。
飲んだ感じはそれほど強さはなかったように思いますが、香りが強かった。



我らが隠岐ジオパークからは隠岐誉。


スイーツの部

用意されていたのはお酒だけじゃないんです。

各地域で商品開発されているお菓子類もあわせて置いてありました。
一番上は下仁田ジオパークのくりっぺまんじゅう。






どうですか?
なかなか美味しそうなお菓子も多いですよね。

地元、洞爺湖有珠山ジオパークからは、有珠山の火山灰大地で造られたルビーが。
ものすごく綺麗な赤。



散会後は

そんなこんなで、交流会は散会。
その後、隠岐ジオパーク関係者で少し飲み直そうか、ということで洞爺湖温泉街を歩いていて、フラっと入ったのが居酒屋。

龍汰呼(りゅうだこ)さんという居酒屋でしたが、すごくいいお店でした。

結局、このお店に3夜連続で通っていろんなお話をさせていただきましたとさ。