ページ

2012-01-30

微かに覚える違和感と共感|『地域再生の罠』(3,4章)

昨日の続き。
Styles: 地域の本質は「ひと」だと思う

『地域再生の罠』の3章4章に来てます。


揚げ足取りというか、重箱の隅をつつくような感じでちょっとイヤなんだけど、どうしても気になるので書いておこうと思います。


土建工学者という括り

この本の中でおそらく都市工学の専門家等を中心にした地域再生に関する学者を「土建工学者」と一括りにして、彼らのポジショントークを批判しています。

でも、彼らを「土建工学者」と一括りにして批判、自らを市民派・現場主義の地域再生専門家である、というのが筆者のポジショントークではないのか?と読んでてどうしても感じてしまう。


「成功」の括り

宇都宮の章(1章)で、うつのみや109が数年で撤退したから成功とは言えない、としつつ第4章の佐賀県武雄市の事例では「がばいばあちゃん」のロケ地誘致成功し観光客が増加している、とあたかも「成功」したかのように示しているのもちょっとなぁ……。

宇都宮109は4年ももたずに撤退した。撤退時の年間売上高は16億円前後である。だが、開業時の来客数は開業2日目で5万人を超え、売上高は開業3日目で1億円を突破した。(P.39)

くさすわけじゃないけど、テレビの効果なんてそれこそもって数年てレベルだろうから、片方を「大きな失敗」として一報を「成功」と印象づけるのは違う気がしますね。

同ドラマの視聴率は20%を記録した。武雄の自然豊かな景観、ひなびた温泉地情緒が全国に知れわたり、武雄への観光客は急増することになる。(P.128)

ロケ地誘致だってそれなりの予算を組んでいるはずでしょう。
ま、ハード整備するような億単位にはならないかもしれませんから、費用対効果で考えれば、という話かもしれないし、本質はそこではないような気もします。


以上2点は気になる表現があったところですが、以下は逆に「あ、いいな」と共感できる点です。


アイディアはスマートに

地域再生、地域振興にはどうしても錦の御旗のように「地元産野菜を食べましょう」とか「地酒を飲みましょう」とかいった類のメッセージが出されるけど、これは食べる方からしたら、全面に出過ぎると押し付けがましさを感じる。
気づいたら地物野菜使ってた、気づいたら地酒使った料理食べてた、とかそういうさり気なさがあると、洗練された感じが出ていいなと思います。

「地酒を飲んで地産地消に貢献しろ」と若者に強要するよりも、スイーツやラーメンに地域産品をさりげなく、だけど大量に使うような、スマートな発想を期待したい。(P.114)

僕個人がグイグイ押されるのがあまり得意じゃないので、さりげなさの演出が好きという単に趣味嗜好の問題かもしれないなと思いつつ。


どこに住むのか

筆者が批判している「土建工学者」は「コンパクトシティ」を標榜し、まちなか居住を推進していながら、その多くは快適な都市郊外に生活しているそうです。
言ってることとやってること違うやんけ、と思うのは誰しも同じでしょうね。

ま、筆者がどこに住んでいるかはわからないのでこれについては何とも。。。

自分を振り返ってみると、やはり批判されているように都市郊外に住んで中山間地域だとか離島だとか言ってるんだから説得力はそりゃあ、住んでいる人ほどないよなぁ、と。
なので、いずれは引っ越したいと思う。

2012-01-29

地域の本質は「ひと」だと思う

地域再生ってどうすればいいのか。難しい問題です。
いろんな成功事例の情報はウェブ上にもたくさんありますが、個人的な感覚ではどれもピンとこない。

行政としては「成功」事例からヒントを得てほしくて公開してるんでしょうけど、そもそも瞬間的な「成功」を切り取って云々は僕の中では「ないな」といった感覚だし、行政の姿勢としてそれ以上に働きかけよう、という熱はあまり感じないですね。
まぁ、有力な団体等への話はいろいろとあるようですが、そのへんのカラクリは下で紹介している本の2章などを読めばなんとなくわかるかな。

ということで、『地域再生の罠』を読み始めてます。

2章では、松江市の天神町商店街も取り上げられています。
取り上げられている、といっても『失敗』という位置づけで、ですが。

著者は、『日本版スローシティ』の久繁哲之介。
『日本版スローシティ』は正直、がっかりした部分もあったので、こちらはどうかな?と期待半分。






2章の途中まで読んで重要だなと共感した点は、問題の「本質」を考えない施策が多く、しかもそれらが大した検証もされずに専門家によって「成功事例」としてまつり上げられ、劣化・模倣した「地域再生策」を拡大再生産している現状。


問題の本質

本質ってなんだろうと考えた時、やっぱり行きつくのは「ひと」だと思う。

ちょっと話は飛ぶけど、前々から気になってるのは子どもの教育・学習環境。
いわゆる「ゆとり教育」はずいぶんと批判され、もとに戻ったわけですが、これも検証なんてしてないよね。
あえて言うなら学力テストで順位が落ちたとか何とか。
でも、不思議なのは学校の成績なんて社会に出てからの能力とはぜんぜん違う、という大人たちが教育に関しては学力を重視していること。
いや、違うだろ、と思ったりするわけですよ。

これも問題の本質を考えない好例だと思います。

さて、ひとという本質を見ずに、町並みの化粧、うつのみや109だとかうつのみや表参道スクエアといったハード整備に対する批判が本書第1章でされてます。


異論を取り込む気があるか否か

少ない経験ながら、いくつかの仕事を通じて感じるのは、ある程度のレベルで「結論ありき」で話が進む点が問題だろうと思ってます。
たたき台があることは必要だろうと思うけど、そこで出た意見、異論を受け入れるつもりで議論してる場合とそうでない場合とでは、その後に大きな影響を与えることになると感じてます。

事務局案としてはこれはこうですから、一応話は聞きますが事務局案で進めさせていただければ……

なんて言われたら、議論する必要ないじゃんて思うでしょ。


地域の中で共有すること、見方の違いを認識すること

先日、某町で、町の宝さがしまち歩き・ワークショップを行なってきました。
当日までの1週間程度は天候も悪く、果たして人が集まるのか?という不安は本番直前までありましたが、蓋を開けてみれば15名程度の人が参加してくれました。


3班にわかれてまち歩きをし、好きなところ、子どもたちに伝えていきたい/遺していきたい町の宝をマップに落としこんで行きました。


参加していただいた方からも「楽しかった」という言葉が聞こえて、スタッフとしては反省しつつも良かったなと思いました。

印象的だったのはWSの最後に「他の班のマップも見せてもらえるのか?他の人がどんなものを見つけたのか知りたい」と仰っていたこと。

この地域では20年ほど前にもまち歩きをされた実績はありますが、それ以後あまりそういう機会はなかったようで、地域の方にとっても他の人がどういう目線で歩いたのかが気になるようでした。

この、「他の人が地域をどう見ているか」を、共有することが大事だと思っています。
違いを認識し、それを踏まえてはじめて次の段階に移行できると思ってます。

スタート地点の違いに気づいていれば、ゴールさえ共有できていればあとの問題はなんとか乗り越えられるだろうというのが僕の持論。


中山間地域にしろ、商店街にしろ、そこに人が住み続けなければ、“暮らし”とそのための空間や機能が維持されることはありません。

であるから、ひとが大事で、ひとに焦点を当てなければならないと考えています。



最後に

本書2章の途中に、起業リスクについても触れられていました。
最近はこの問題についてふと考えることが多く、どういうセーフティネットがあれば起業に踏み切りやすくなるんだろうなーといろいろ勉強しないといけないな、と思ってます。

2012-01-22

TURNING POINT




今日(というか昨日?)、隠岐ジオパークガイド倶楽部が立ち上がりました。
自分が隠岐に関わって7~8年経ち、隠岐でエコツーリズムによる地域振興がスタートして6~7年になるでしょうか。

きっとそれ以前も話は出ていたことでしょうし、関わってきたこの間も度々議論の俎上にあがってきたのが、「ガイドの組織化」という話でした。
それも、島前島後の垣根のない組織が必要なんだ、という話がたびたび出ては立ち消えていきました。

しかし、今日ようやく「ガイド倶楽部」として、まず立ち上がりました。

ガイド同士の親睦を深め、研修会等を通じたスキルアップを図り、最新の研究成果をキャッチアップできる組織として、島前島後でガイドとして活躍している人、これからガイドとしてやっていきたい人、今修行中の人、いろんな人が参加してくれました。


地元で長年ガイドをされてきた人が言ってました。

呼びかけに対してどれくらいの人が反応してくれるか、今日どれくらいの人が来てくれるかわからなかったけど、これだけの人が来てくれたことは涙がでるほど嬉しい、と。

僕にとってもにわかには信じられない、というか想像できなかった光景でした。

隠岐の中で確実に「ジオパーク」が広がり、地域に目を向けている人がいて、それをさらに多くの人に「伝えたい」と思う人がこれだけいるんだ、と。

設立総会の中で参加者のひとりが言ってましたが、いま時代は大きく変革を迎えている、その時代にジオパークという枠組みが生まれたと。
そして、ジオパークのガイドから島前島後という目に見えない壁を取っ払えるのであはないか、ということを仰った方もいました。

「ジオパーク」という枠組みには、そういうことが期待できるだけの魅力や力があると思います。

きっと今がターニングポイント。

2012-01-16

書きすぎる報告書


とあるアンケート調査の報告書を書いてるんだけど、どこまで書けばいいのか難しいところだなーと考えてしまう。

たぶん、集計・分析結果だけ書けばOKなんだろうけど、いろいろと集計結果などを見ていると、「あれとこれとの関係はどうだろう?」「これはそれに効いてそう」とかどんどん思考が拡散していく。
これは自分の調子がいい証拠で、良い感じで集中できているときに出てくる状態なんだけど、調子にのって報告書に書きすぎる嫌いがあるのだな、と感じた。

なぜそう感じたか。

それは、報告書案を関係者に一度送って確認してもらったところ、「あなたがここまで書く必要はないのでは??」という指摘をもらったから。

すんごい、よくわかる。

たぶん、そうなの。書く必要ない。ていうか、本当なら書かずに、考えてもらわなければならない部分のはず。それをつい調子にのって書いてしまうんだよな。


なぜ書かないほうがいいのか。
そして、なぜ書かないほうがいいと思いつつも書いてしまうのか。

それも実は簡単です。


まず書かない方がいい理由

それは先に書いた通り、「相手先が考えるべきこと」だから。

分析結果から、今検討中のプランに対して、意見・考察を記述すると、かなりの確率でそれがたたき台となってしまい、考えるプロセスを大幅に省略させてしまうから。

それは相手にとっては、一見「考える部分」をアウトソーシングしている効率的なやり方になるのかもしれないけど、やっぱり違うんだろうと思う。


では、なぜ書いてしまうのか


それも簡単で、ある意味でプロとして、仕事として受けた100に対して100のまま返すのか、120にして返すのか、150にして返すのか、というプライドの問題だったりする。

それが結果として次の仕事につながっていけばいいし、そうでなくても自分が考えたプロセスは無駄にならない。


ただ、繰り返しになるけど、そのプロセスは本来、相手先がすべきことであって、自分のプライドでその機会を収奪することが本当に良いのか?という疑問は常に感じてる。

2012-01-11

『文明の生態史観』読んでる途中です。

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

本年も当ブログをご愛顧いただきますよう よろしくお願い致します。


さてさて、しばらく間があいてしまって、これ以上あけると本格的にストップしてしまいそうなので、苦し紛れにポストします。


ただいま、梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』を今さらながら読み始めています。






梅棹忠夫氏の名前をはじめて聞いたのは大学1年の頃だったと記憶しています。
なんの講義だったか……。
フランス語だったような気もするけど、社会学系の講義だったような気もして……。


ま、そんなわけで梅棹忠夫という人がいるのだな、という認識はありましたが、残念な学生だったので読もうなどとは露ほども思わず。

会社に勤めだしてからは記憶の遠いところに行ってしまってましたが、最近お亡くなりになったというニュースもあり、前後して梅棹忠夫という名前をなぜかよく見かけるようになったので、この度購入、読んでみよう、ということになりました。


今ようやく半分くらい読んだわけですが、梅棹忠夫という人は想像していたよりもずっと文章が軽やかで読みやすいですね。

もっとガチガチの文章かと思ってましたが、活字嫌いの人でも比較的楽に読み進めることができそうです。

個人的におもしろいと感じている点は、東洋‐西洋とはまた違う「中洋」という存在や、封建制度を経由したかしていないかで文明(日常の生活様式など)の発展経路が異なる、という話は、アラブの春で北アフリカから中東が大きく揺らいだこの1年を思うに、不思議なつながりを感じます。

もしかしたら、最近梅棹忠夫氏の名前をよく見るように感じたのは、こういった論点がよく知られていたからなのかな?

ということで、引き続き読んでいきたいと思います。

今年もよろしくです!