ページ

2011-12-12

図解『キュレーションの時代』 ライフログとチェックイン2

前回、『キュレーションの時代』より、ライフログとチェックインについて書きました。

図解『キュレーションの時代』 ライフログとチェックイン1

ざっとおさらいをしておくと、

  1. マーケティングの新しい手法としてライフログが注目される
  2. ライフログ収集にあたって、プライバシーの問題が発生する
  3. プライバシーの問題をクリアしたのは、自ら情報公開を宣言するforsquare式「チェックイン」サービス
  4. 特定の視座への「チェックイン」では情報の「タコツボ化」の問題を引き起こすのでは?
といった流れになりますね。

ワタクシと「視座」とのズレがセレンディピティに導いてくれる


しかし、本書では「タコツボ化」は回避できる、としています。

その理由は、自分が興味・関心を持つ「視座」は、たしかに自分(ワタクシ)と同質性が高い。しかしながら、完全なる一致ではなく必ず、微妙な「ズレ」を伴っています。
それは、ワタクシとチェックインした視座との間には考え方やモノの見方の違い、過去や背景の違いなどがあるためです。

そして、この「ズレ」によって、視座から得られる情報には必ず何らかの「ノイズ」が混じります。

たとえば、
「この人は組織論やチームワークの話が面白いからチェックしておこう」
とチェックインした視座から、ふとした拍子にAKB48だと篠田麻里子がかわいい、などといった情報が流れてきたりします。
これはまぁ、極端ですが、こういったノイズが普段の「組織論」とは違う側面を見せてくれて、幸運の偶然=セレンディピティが発生する、というのです。


ここからは僕の経験談になりますが、なるほどチェックインという仕組みは面白いな、と思います。
誰に強制されるでもなく、自らの発意で自分の居所をオープンにするわけですから。
その発展型として、一時期「ソーシャルランチ」なるものまでPRされていたことも記憶に新しいところです。

それでも当面はRSS取得とgoogleアラート中心の「チェックイン」で行こうと思いますけれど。

欲を言えば、このブログが誰かの視座となれたら、最高ですね。

2011-12-10

図解『キュレーションの時代』 ライフログとチェックイン1

図解『キュレーションの時代』 第2弾です。

前回は、「応援消費」について触れられている箇所を図解してみました。
図解リーディング 『キュレーションの時代』より「応援消費」

今回は、マーケティングという視点とライフログという視点について、整理してみました。
ライフログとマーケティングということについては、大きく二つの問題が生じます。

ひとつは、「プライバシーの問題」でもうひとつは「タコツボ化の問題」です。


ライフログをマーケティングに活かしている企業の代名詞といえば、Amazonですね。

多くの方が「こんにちは、◯◯さん。おすすめ商品があります」という表示を見たことがあると思います。
これは、Amazonから過去に買った商品データが蓄積、分析されておすすめ商品を提案してくるシステムで、利用する方としては便利ですよね。

でも、ふと冷静になって考えると、「その情報って本当に大丈夫?」と思います。
プライバシーの問題ですね。

このプライバシーの問題を軽やかに乗り越えていったのが、forsquareの「チェックイン」式サービスなのかもしれません。

チェックインで「プライバシー」はクリアできるが…「タコツボ化」はどうか



自分がどこにいるのかということを、自らの意思で宣言(チェックイン)するわけですから、プライバシーという問題はクリアされているように思われます。

この「チェックイン」は、何も場所だけに限ったことではなく、「検索キーワード」や「面白いブログ」というものへのチェックインもあります。

キーワードなら、例えばgoogleアラートというサービスで、あらかじめ登録しておいたキーワードに関する情報が自動的に取得できます。
ブログならRSSを登録しておけば、更新されたことが通知されます。

本当に情報を集めることに関しては楽になってるなと思います。


しかし、僕もずっと気にしていたことであり、ネットに関する批判のひとつとしてもよく指摘される
検索エンジンは情報をタコツボ化してしまう
ということについての問題が残ります。

一応、タコツボ化ということについて説明しておきます。

イメージしやすく、googleアラートを使った想定でいきますと、僕は現在googleアラートに、次のキーワードを登録しています。
  • ジオパーク
  • ライフハック
  • 地域再生
  • マーケティング
こうしたキーワードに引っかかったブログやウェブサイトがあると、毎日1~2回自動的にメールで概要とリンク先を教えてくれるナイスなサービスです。

がしかし、ここで「タコツボ化」が生じているのです。
つまり、ジオパークやライフハック、マーケティング等に関する情報はある程度これで得られてしまうため、どこかで「満足」してしまう虞があるのです。

本来なら他にも必要な情報、たとえば「エコツアー」だとか、もっと広く「観光産業」といったキーワードで集めるべきかもしれません。
もしかしたら、「著名人」といったキーワードで著名人の関心がどこにあるのか、社会のトレンドがどうなのかを把握することが必要かもしれません。

必要かもしれませんが、今の僕の仕組みでは、それらは漏れてしまいます。
これこそが、「タコツボ化」の問題です。

自分の興味・関心のあることしか情報を得ない、他の情報が入る機会さえ用意しないようになっている、というものです。

よく、新聞はあらゆる情報が掲載されているので、一読しておけばざっと社会情勢が理解できることと対比されますね。


長くなりましたが、ライフログとマーケティングという視点について、まず二つの問題が生じることと、「チェックイン」で一つ目の問題は乗り越えられることがわかったと思います。

次回はチェックインとノイズについてです。




2011-12-08

ネットワークはあるべき時に生まれる


出会いに感謝 - イラスト素材
(c) こんにち和イラスト素材 PIXTA



今日は、ネットワーク(人脈)づくりのお話。

仕事をしていれば、それなりにいろいろな方とお会いする機会があり、名刺交換などもさせていただきます。
また、そこで知り合った方がまた新しい方を紹介してくださる、ということもあります。


時間を少し戻して。。。

社会人1年生~3年生ころまでは、このネットワークづくりというものがどうしても性に合いませんでした。
性に合わない、というよりも自分の考えとして「ちょっと違うんじゃないか」という思いがありました。

それは何かというと、
社会に出たばかりの今の自分がいろんな人に会って「人脈づくり」と鼻息荒くしても、意味ないんじゃないか?
というものでした。

これには多分に人見知りというコンプレックスの影響もあります。

でも、それ以上に
人は出会うべき時に出会う
という考え方だったので、無理してネットワークづくりに励むことができませんでした。

この考え方自体は今もさほど変わりません。

とは言え、いろいろな出会いを通じて積極的にネットワークを作っていくことも「アリ」だなと思うようにはなっています。

だから、ネットワークづくりにガンガン動ける人を見ると、自分にはできないことを平然と乗り越えていく様を見ているようで、「あー すごいなこの人」と素直に感心します。
これは無理やりやっている、というよりも、その人が「いま」と感じてるから、良いネットワークが生まれていくのだろうと理解しています。

それと、「ひとと出会うことが好き」という人なんだろうなと思いますね。


要するに、自分のペースで人と出会っていけばいいんだ、というお話。

2011-12-07

図解リーディング 『プロジェクトマネジメントの基本』より「ミッションとモチベーション」

前回、『プロジェクトマネジメントの基本』の中から、ドラッカーの5つの質問の応用について書きました。
図解リーディング 『プロジェクトマネジメントの基本』

今回は『プロジェクトマネジメントの基本』第二弾。

ミッションの理解とモチベーションについて。

ミッションの理解について、というとちょっとわかりにくいかもしれませんが、要は自分の作業・役割が、全体の中でどう貢献しているのかということを、どれだけ自己認識できるか、ということです。

ドラッカーの寓話として本書では、教会建設現場でドラッカーが石工に質問をします。

「あなたは何をしているのですか?」

それに対する答えが、石工たちのミッションに対する理解度にあらわれています。


ミッションの理解度が高いモチベーションを誘い、創意工夫を生み出す


僕の場合、自分が任された、あるいは今やっている仕事が、一体何のためにやっているのかが不明確だとやる気(モチベーション)はあがりません。

何のための作業かわからない状態では、その作業はあくまでも「他人の仕事」の手伝いでしかありませんので、「こうしたらいいんじゃない?」とか「こういう考え方も取り入れたらいいかも?」なんてことも考えません。

そしておそらく、こういう感覚は多くの人に共通するのではないでしょうか。

僕ができているかどうかはさておき、意識しているのは、チームで動く場合には、本来の目的を伝えるように心がけています。(←多分できてない)







2011-12-06

図解リーディング 『キュレーションの時代』より「応援消費」

図解リーディングシリーズ2回目です。

今回は、佐々木俊尚の『キュレーションの時代』から、個人的に今キーワードとして考えている「共感」について触れられている箇所です。




モノに対するお金の払い方、価値観は人それぞれだと思います。

「かっこいいから」、「かわいいから」、「見栄えよく」、「他の人も使ってるから」……。

こういう欲求から実際の購買につながってきたのがこれまでの社会だとしたら、これからは?
いや、今すでに変革が起きているのかもしれません。

そのキーワードこそが、「共感」であると感じています。



僕が「共感」の重要性を認識したのはほんとつい最近のことで、2010年10月、島根県で開催されたNPO活動推進全国大会が契機です。
その中で、日本ファンドレイジング協会の鵜尾雅隆氏の講演の中で強調されていて、自分の中での感覚にピッタリときた、という経験がきっかけです。

図では「モノ」と書いていますが、「コト」と置き換えてもいいと思います。

モノでもコトでも、「良いもの」であることは大前提ですが、そこから対価を支払いたい、と思ってもらうためには、作り手側の高いプロ意識や、ポリシー、こだわりがあることが求められます。

自分はどうか?

僕も、仕事のスタイルにはある程度ポリシーを持ってやっているつもりですが、まだまだ甘いところもあります。

2011-12-05

図解リーディング 『プロジェクトマネジメントの基本』

いつも参考にしているビジュアルシンキングというサイトがあります。

ブログのネタに困るということもあるのと、自分の本を読んだ内容をアウトプットしたいという願望をひとつにするため、図解リーディングのすすめ – ビジュアルシンキングという手法をちょっと真似てシリーズ化してみようかと思います。

ということで、第一弾は『プロジェクトマネジメントの基本』から。





ドラッカーは、非営利組織の活動とその評価のために、5つの質問を設定しました。

その質問とは次のようなものです。

  1. 私たちの事業の目的は何か
  2. 私たちの顧客は誰か
  3. 顧客が求める価値とは何か
  4. 私たちの成果は何か
  5. 私たちの計画は

本書では、この5つの質問をベースに、プロジェクトマネジメントに応用して、プロジェクトの目的を明確化し、共有する試みを提案しています。

今取り組んでいるプロジェクトは「何を達成したいか」、その成果を求める「ステークホルダーが誰か」が明確になっているでしょうか。そして、それはプロジェクトチームで、しっかりと共有できているでしょうか。


CSFとは Critical Success Factor の略で、プロジェクト達成のための重要な要因

いろんな場面でプロジェクトは動いていきますが、チームで目的やミッション、成果などを共有できていることは非常に重要ですね。

この本はプロジェクトをマネジメントする、というタイトル通りの内容が淡々とわかりやすく書かれているので、プロジェクトマネジメントをする必要がある人にはオススメの一冊です。

2011-12-02

ソーシャル・キャピタルとまちづくり




1年以上前に書いた文章ですが、ソーシャル・キャピタルに関する文章なので、自分で思い出すために、整理するためにももう一度書きだしてみます。


ソーシャル・キャピタル(Social Capital)という言葉は、日本語にすると主に、社会「関係」資本と訳されます。
これは直訳の「社会資本」とすると、日本ではインフラを想起させるためと言われています。
では、この社会関係資本とは何なのか。
様々な定義があり、一本化された定義はありません。
しかし、いくつか有力な定義が出されているので、そこから整理してみたいと思います。


■ソーシャル・キャピタルの定義

  • R.パットナム

人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワーク*1といった社会組織の特徴

  • F.フクヤマ

信頼が社会全体あるいは社会の特定の部分に広く行き渡っていることから生じる能力

  • 世界銀行

SCとは、社会的なつながりの量・質を決定する制度、関係、規範である。社会的つながりは経済の繁栄や経済発展の持続に不可欠である。SCは単に社会を支えている制度ではなく、社会的つながりを強くするための糊の役割を果たしているのである。

  • OECD

規範や価値観を共有し、お互いを理解しているような人々で構成されたネットワークで集団内部または集団間の協力関係の増進に寄与するもの

  • W.ベイカー

個人的なネットワークやビジネスのネットワークから得られる資源であり、情報・アイデア・指示方向・ビジネスチャンス・富・権力や影響力・精神的サポート・善意・信頼・協力

  • P.ブルデュー

多かれ少なかれ制度化された相互面識および相互承認の持続的ネットワークの所有、あるいはいいかえると、全体で所有する資本の支援を各メンバーに提供するような集団のメンバー資格に結びついた現実的あるいは潜在的資源の総体

  • J.コールマン

それが存在しなければ不可能であるようなある種の目的の達成を和にする
他の形質の資本とは異なり、ソーシャル・キャピタルは人々の間の関係の構造に内在するもの
個人や生産の物理的装備に備わっているものではない

  • ナン・リン

市場における見返りを期待してなされる社会的関係への投資
社会的構造のなかに埋め込まれた資源
目的とをもった行動のためにアクセスされ動員されるもの

  • A.ギデンズ

個人が社会的支援を得るために頼ることのできる信頼のネットワーク


■雑感

まず目につくのはやはりパットナムが定義した3つの側面「信頼」、「規範」、「ネットワーク」です。
アスレイナーはこの中で、信頼に着目しました。

しかし、いずれの定義を見ても、実はネットワーク(人々の間の関係等)が共通していることがわかります。
ネットワークという人と人との関係性が前提としてあり、その上に信頼や規範といった側面の強弱が加わるのかな。
場合によっては経済的成長、経済効果への投資、といった側面を考えている人もいるようです。

自分の関心としては、ソーシャル・キャピタルが地域の活性化に資するか、どのように培養できるのか、地域への愛着や誇りはどのようにすれば育まれるのかという視点で出発しています。
そうすると、なんとなしに経済効果というような側面は弱いのではないか、と考えます。
こう考えると、果たして「ソーシャル・キャピタル」という言葉自体が良いのか?という疑問もあります。

実際、ボウルズとギンティスは、ソーシャル・キャピタルのアイディアは良いが、用語としてはよくないと言っているようです。
しかしボウルズ=ギンティスは,ソーシャル・キャピタルはアイデアとしては良いが,その用語は良くないという.キャピタル(資本)とは所有できるものをいう言葉であるが,ソーシャル・キャピタルは人々の間の関係を意味するとされているからである.『ソーシャル・キャピタル』,P.16,宮川公男

ソーシャル・キャピタルというものを考えるにつけ、これは一体何なんだろうという思いに囚われてしまいます。

ところで、キャピタルというものはボウルズ=ギンティスが言うように所有できるものと見做すことはできますが、一方で、こう考えることもできるのではないでしょうか。

つまり、キャピタルとは「貯蓄可能なもの」(蓄積)であると。

そう考えると、ソーシャル・キャピタルというものが「キャピタル」という用語であることに不都合はないかなと思います。
むしろ、ソーシャル・キャピタルという用語ではなく、やはり何なのかがわかりにくいことが問題点であると。

やはり僕はネットワークからソーシャル・キャピタルを考えてみたいと思います。


■現時点での追記

以上が、1年以上前に書いた文章だけれど、ソーシャル・キャピタルを「蓄積可能なもの」と見る見方は少し違うのかな、という気がしています。

むしろ「蓄積された結果」がソーシャル・キャピタルであり、ソーシャル・キャピタルのあり様が、そこの地域の人びとの生活様式、コミュニケーション態度として表出している。
だから、Iターン者を受け入れやすい地域もあればクローズドな地域もあるし、商売を良しとする地域もあればそうでない地域もあるのでしょう。

Iターン者が地域に新たに加入することで、地域に存在していなかったDNAのようなものが注入されたとき、アレルギーのように過剰に反応して攻撃してしまうのか、うまく取り込んで新しいソーシャル・キャピタルの方向性を見出すのか、といった違いも出ているのではないでしょうか。


■ソーシャル・キャピタルとまちづくり

先般、ブータン国王が来日したことを契機に、ブータンの「GNH」に対する注目度も、瞬間的に高まりました。

GNHという概念とソーシャル・キャピタルという概念は少し重なりあう所があります。
それは、「経済価値」を過剰に重視しない、という考え方に表れているように思います。

ソーシャル・キャピタルという概念に注目が集まったのは少し前で、地域振興・再生に応用できるのではないかという研究、議論もなされてきていますが、現在のところ有効な施策は打ち出せていません。

個人的な考えにはなりますが、日本の社会システムも今後5~10年程度で大きな変革の局面を迎えるのではないかと思っています。
その時、ソーシャル・キャピタルという概念を認識し、地域としてどのようにソーシャル・キャピタルを醸成していくのか、という戦略を持っているかいないかが分かれ道になるのではないか、という気もしています。

まちづくりに対して、「幸福度」やソーシャル・キャピタルを用いた提案は今のところうまく行ってませんが、今後も提案できる場面があれば、提案したいし、そのためにも自分の中では考え方を整理し完成度を高めたいと思います。


2011-11-26

2009年のフォーラムが今つながった


2009年のこと。

三次市で開催されたフォーラムに参加した時、パネリストのひとりがすごいことを報告されていて、大変驚いたことを記憶しています。

驚いたこととは、アンケート調査の回収率。
高齢者の方を対象としたアンケート調査で7割の回収率だった、というような話だったと記憶していますが、2年も前のことなのでちょっと不確実かもしれません。


普通、郵送のアンケート調査だと3~4割が一般的ですので、7割の回収率というものに「は?」と言葉を失ったものです。


そして、今年。

そのアンケート調査をされていた方とふとしたことから知りあう機会をいただきましたが、つい先日まで同じ方だという認識には至ってませんでした。


何が言いたいかというと、どこでつながりが生まれるかわからんなぁ、ということです。

秋から冬へ


秋も深まって、冬がすぐそこまで来ているような、そんな寒さが感じられますね。

この時期、寒さが厳しくなる一方で、空気が澄み渡り、遠くまで見通せるようになります。
散歩などをしてても、ドライブをしていても、遠くに大山が見通せたりするとなんとなく気分が良くなるものです。


この静かな水面はいいな~。気持ちが落ち着く景色です。



「大山」と言いながら大山の写真は撮ってない、というw

2011-11-21

企業組合普及セミナー


インテリア 組織 白色  - イラスト素材
(c) ツルカメデザインイラスト素材 PIXTA


おひさ~。
ブログって間を空けると本当に書かなくなってしまいますよねぇ。気を付けないと^^;

てことで、久しぶりに書こうかなと思います。

ちょうどいいことに今日は、企業組合という組織形態について普及するセミナーに参加してきたので、感じたことなどをご紹介。


構成

今日は大きく3部で構成されてました。
第1部は、中小企業診断士による企業組合の特徴などを事例も交えて紹介。
第2部は、企業組合形態を採用して、まちづくりに取り組んでいる事例として、平田の木綿街道で活動する企業組合からの報告。
第3部は、社会保険労務士による組合などにおける労務管理について。


企業組合の特徴

株式会社は、「所有」と「経営」を分けることで合理的・効率的な経営を可能にした組織。
一方、企業組合は「所有・経営・労働」をひとつにした形態である、とのこと。

言い換えれば、組合員一人ひとりが使用者であり労働者でもある、ということらしいけど、ここは正直、もうひとつイメージがつかめなかったところです。

また、1人1票の議決権を持っていて、出資の多寡によって発言力が定められることはありません。

もう一つの特徴に、内部自治の原則というものがあります。
これは、出資額の多寡に応じて利益配分を定めるのではなく、持っている能力、提供できる労力に応じて弾力的に利益配分を定めましょう、という取り決めを内部の合意で決められる、ということ。
(かなり意訳して書いてますので、詳細はきちんと勉強して下さい)

さらに、加入・脱退の自由というものがあります。
これは気になる点なので後で質問をしました。


「非営利」の定義

NPOのような「非営利」は、よく“儲けてはいけない”と誤解されています。
しかし、「非営利」の定義は、儲ける儲けないではなく、次のようなもの。
いかなる場合にも、構成員(出資者)に利益を分配しない
これが、「非営利」の定義。
つまり、NPOだろうとなんだろうと、事業として利益を出す事業をしてはならない、なんてことはなく、出た利益を出資者に分配することがNGだ、ということですね。

ただし、役員報酬については定めがないらしく、天下りはゴニョゴニョ…。みたいな話もあるらしいです。


求められる組織の力

あえて「組織力」とは書きませんが、

  • 本気の人
  • ある程度自由になるお金
  • 団結する核
  • 協議スキル

これらが求められるということです。
講師の先生も仰っていましたが、最初の「本気の人」が一番難しいのではないでしょうか。
ここで言う「本気」とは理念だけじゃなく、腹をくくって全部自分で責任かぶるから、と断固たる決意で動ける人のことです。
これは本当に難しい。

団結する核は、技術面では、言ってみればコア・コンピタンスということでしょう。

Wikipedia|コアコンピタンス

その他、「理念」で凝集することも考えられますね。

協議スキルは、深刻です。
設立後の継続的な運営/経営に大きな影響をもたらします。
声の大きな人に流されず、声なき声を吸い出すことができるかどうかが不満のマグマを処理できるかどうかに関わる、ということです。


卸売り場 作業 男性 市場  - 写真素材
(c) ungraphixストック写真 PIXTA



質問! 加入は拒否できる?

気になってたことを質問しました。

ある企業組合を設立して、軌道に乗ることができました(と仮定する)。
すると、旨みがあると思った第三者が組合員になりたい、と申し出てきましたが、明らかに理念を理解する気も、協力する気もなさそうです。

そのような人の加入を拒否できますか?

と質問してみました。

加入と脱退の自由が特徴の一つであり、加入したい人は原則拒否できない?と考えたからです。

答えは、「できる、と考えられる」ということでした。
原則的には、「正当な理由なく拒否することはできない」そうですが、組合の理念、いわば組織秩序を乱すおそれがある、ということは「正当な理由」にあたるであろう、と。

ただし、訴えられて裁判などになると、判断は分かれる可能性があるということのようです。
この辺は難しいところかなぁと思います。


雑感 最後は「自分が/自分たちがどうありたいか」を見つめること

いま、まちづくりを志向する中で「やっぱり法人格持ってないとキビシイな~」と思われる方の多くは、NPO法人を第一候補と挙げられるのだろうと思います。
企業組合は、ここに第二候補として名乗りを上げたい、ということだろうと感じました。

ここで問題になるのは、NPO法人と企業組合の性格の差が、そのまま制度的な差として表れているのではないか、ということです。

現在のまちづくりのトレンドは、いかに多くの人に共感してもらい、巻き込んでいけるか、がある意味で成功の鍵を握ると考えられています。
そして、これは僕も同じ考えです。

組織は、多くの人から支持を受けることで継続的な存続が可能になる、と考えます。

ここがポイント

NPO法人は昨今の法改正にともない、「多くの人から支持を受ける」ことを評価する仕組みになっています。
認定NPO法人になるためのPST要件の緩和、仮認定制度の導入、その認定のメリットとしての寄付税制改革、と言った具合に連動して、幅広く支持を受けることを志向させ、その旨味も用意されています。

他方、企業組合は?というと、税制上の優遇措置はありますが、それと幅広い支持の取り付けとは一切関係ないわけですね。
講師の先生も仰っていましたが、企業組合は営利組織とボランティアの中間に位置するのですが、制度的にはビジネスライクに寄った形の制度設計を取っている、と感じました。

どちらが良い悪いではないです。
「幅広い支持」ではNPOの旗色がいいけど、企業組合は4人から設立可能と、機動力に優れます。
そして、優れた経営には機動力もまた重要なファクターであると思いますので、どちらもいい面、不満な面があるわけです。

では、どちらを選択すべきか、というと、これはもう仲間で議論するしかないでしょう。
メリット・デメリットを洗い出し、他の組織形態も研究し、自分たちが、自分たちの組織がどのような組織でありたいかを明確に意識した上で、いずれかを選択する。

これが大事かな。 以上!

2011-11-08

コミュニケーションは「コスト」か「投資」か

コミュニケーションて本当に大事ですね。

そりゃそうだ、と思いますよね。

でも、ちょっと考えてみるとどうでしょう。
コミュニケーション、意識してないとドンドン没コミュニケーションになってませんか?

僕は意識しないと本当に自分ひとりですべてをやろう、としてしまう悪癖があります。
クセ、というよりも、他人の力を借りることが苦手なんですね。

そんな僕とは対極のような人が世の中にはいます。
がんがん人の中に入って、人と人とつないでウネリを創りだしていく人。
自分にはないその行動力には尊敬8割、羨望1割、悔しさ1割、みたいな感じで見ています。

さてさて、そんな(僕にとっては、ものすごく大変な)コミュニケーションですが、コミュニケーションにかかる労力を「コスト」とみるか「投資」と見るかで、意識は大きく変わると思いませんか?

ドラッカーはどれかの本で指摘してたと思いますが、「ひと(人材)」をコストとみるか投資と見るかで組織は大きく異なってくると。

たしかに、コミュニケーションを取ろうと思うと、天然コミュニケーターでない限りは、相当な努力が必要で、調整ごとって本当に難しいので心理的な負担もまた大きくなります。
その負担分をコストとマイナス評価するのではなく、中期的に見ればコミュニケーションを活性化しておくことで、より円滑な展開を呼び込むことになる、とプラスで見ることが大事なのではないでしょうか。

まさに、コミュニケーションは将来への投資です。
自分が達成したい目標、成功させたいプロジェクトには、他人の協力は不可欠です。
そこで没コミュニケーションに陥るのではなく、多少手間がかかろうとも、コミュニケーションを組織の中でしておくこと。

ま、自分の力不足で議論の手戻り、なんてこともあるんですけどね^^;

2011-10-30

パラダイムシフト(TPP、昭和一桁世代etc)を受けての地方都市の戦略とは



”日本人”が好みそうなフレーズの前では「思考停止」


携帯電話通信_964843_yy - イラスト素材
(c) Asadal☆イラスト素材 PIXTA


風呂に入りながら『TPP亡国論』を最初から読み直してみた。と言っても、序章と1章の最初くらいだけど。

その中に、日本人は「開国/鎖国」や「自由貿易/農業保護」といったキーワードが出てくると途端に思考停止に陥り、論理的かどうかは関係なく、「だからTPPに参加しなければならない」という結論になる、という批判がありました。

グローバル化も”開国”も自由貿易もすべて一見すると、「良いこと」のように見えますが、「本当にそうか?」とふと立ち止まって考えることこそが大事なんだと思います。


これと似た構造で僕が不思議に思っているのは「ネアカ/ネクラ」、「明るい人/暗い人」。これも、「暗い人より明るい人の方がいいよね」というなんだかよくわからない”感覚”で判断して、「本当にそうか?」と考える人って少ない。
自分がネクラだから、というわけじゃないけど、ネクラは悪いのか?ネアカはそんなに素晴らしいのか?と思うわけです。

僕から見ても、TPPに関する議論、特に賛成派の論点て、そのレベルにしかなってないと思うんです。


スポーツのルールでさえコントロールできてないのに、よりシビアな経済ルールをコントロールできるとでも?


子供 スケート 氷上     - 写真素材
(c) デジ009ストックフォト PIXTA



中野氏もどこかの動画で触れてましたけど、鈴木大地以降バサロ泳法が禁止になり、長野オリンピックの日の丸飛行隊以降、スキージャンプのレギュレーションが変わったり、近年のフィギュアの採点基準が変わったり、とにかくルールを都合よく変えたものが勝てるようになることは明白です。

もちろん、安藤美姫や真央ちゃんのように、不利益を被るルール変更にも負けずに乗り越えて大きな感動を与えてくれましたが、基本的なルールの部分は何も変わりません。

このルールの部分が、TPP以降で変わってくる可能性があるんですね。
それは極論すれば、僕も含め、あなたも「安藤美姫」なり「浅田真央」なりのレベルになることを求められるのと同義です。
でも、いろんな事情でそんなレベルになれない人、産業がほとんどだと思います。
だからこそ、それぞれの国では弱い産業や自国にとって極めて重大な産業を保護したりする一方で、強みが発揮できる産業を開放するわけですよね。

その交渉をクリアしていくのが外交政策であり経済政策だと思います。

そして、今回のTPPや、FTA、EPAだったりが国際交渉の場として用意されています。
FTAは基本的に2国間で、利害調整がし易い枠組みと言われていますが、そのFTAでさえ調整は難航しますし、米韓FTAのような事態が発生することもあります。

一方、TPPは10ヶ国程度が参加して議論するわけですが、まとまるのでしょうか?
まとまるとして、日本に有利なルール作りができるのでしょうか?中野氏が明らかにしたように、TPPは実質的に日米間の協定ですが、単純な政治力で言えば、アメリカに軍配が上がることは明らかです。
では、他の参加国がアメリカを向こうに回して日本を応援するのでしょうか?
これについては、中野氏が触れているとおりだと思います。

そもそも、スポーツのルール作りでさえ、いいようにされているのに、さらに大金が動く経済のルール作りではなぜ「日本の有利なルールとなるように働きかければいい」などと言えるのでしょうか。
日本が政治力・交渉力を発揮できるとは到底思えません。


人それを「匹夫の勇」という

TPPに関しては非常に悲観的な話ばかりしていますが、別に競争を否定するつもりはないのです。
ただ、思考停止した状態で、相手に有利なルールのマットにノーガードで突っ込むことは勇敢でも何でもない、ただの無謀。匹夫の勇というものです。

そんな無謀が許されるのは「神様にケンカをうってる一族だ」と嘯ける陸奥九十九だけです。

が、野田総理は議論に参加することは決めたらしいので、もう交渉から降りることは不可能でしょう。
走り始めたバスは終着駅まで決して止まりません。



あと、中野氏の出演されていた番組をYouTubeで見てがっかりしたことが一つ。
なぜ野田総理が結論を急いでいるのかといえば、オバマ大統領が国内で厳しい状況にあるので、TPPを手土産にして覚えを良くしたい、とそんな程度ですよ、と別のコメンテーターが話してたこと。


今後の地方都市の戦略

では、こうした社会情勢を受けて、基本的に打撃を受けることになるであろう産業を多く抱える地方都市は、今後5年あるいは10年の戦略をどう考えるのか。


水 波紋 水面 背景素材  - 写真素材
(c) Graph-S写真素材 PIXTA



それは、今パッと思い浮かべるとしたら、大字(=概ね公民館区)程度を基本単位として、

  1. 食料自給
  2. エネルギー自給
  3. 水(地下水)自給
  4. エリアにおけるソーシャル・キャピタルの分析と醸成

を段階的に実現していくことを目指すことが必要でしょう。

1,2は言わずもがな。生きていくために必要となりますし、3は今後ますます重大な問題として顕在化してくると思います。

北海道では既に問題化しているという話も伝え聞きますが、水も無限ではなく、しかも一度汚染されるとクリアされるまで数十年単位の時間を必要とします。口にできる水の自給圏を確保することは、生きていく条件であり、世界を相手とした時のビジネスの切り札にもなるかもしれません。

4は、要するに地域の強味と弱味を、一般的な地域資源ではなく、そこに暮らす人の「こころ」から明らかにしましょう、ということです。

こういうの、いろんな人と一緒に考えてみたいんですよね。


パラダイムシフトが現在進行形で起きている


CHANGE - 写真素材
(c) ちょび画像素材 PIXTA


個人的な考えとして、これまでの5年間でパラダイムシフトが起き始め、と今後の5年間でパラダイムシフトがどうなるかがある程度見えてくる、重要な10年間だったと振り返るようになるのではないか、そんな風に感じています。


国内的には、昭和一桁世代がますます地域から減っていきます。人生の、日本の先達が持っているさまざまなノウハウ、生き様、知恵、知識が失われ、新しい局面に突入します。
さらに、エネルギーや食料の価格高騰も懸念されます。

そして世界に目を向けると今回のTPPです。

国の内外で大きな揺さぶり要因がこの5年10年に集中している、というのがパラダイムシフトが起きつつあると考える理由です。

2011-10-28

TPPには反対しています


別のところにアップしようかと思ってたけど、まずはブログかな、と思いこちらに記します。

中野剛志氏がフジテレビに出演したことでネット上で比較的話題をさらっています。

中野剛志氏は、TPPに関しては至極まっとうなことを言ってると思ってるんだけど、民放地上波初登場?が鮮烈すぎてさすがだなとしか言えない。

態度云々もあるかもしれないけど、言ってることはわかりやすいと思います。

僕は中野氏の説明と論理に納得しておりますので、TPPに関しては以前から反対だということで書いてます。





以下、長い文章が続きますので、僕のポストを読むより一番下にリンク貼りましたけど、中野氏の動画がありますので、そちらをご覧ください。
わかりやすいことに加えてユーモアもあり、笑っちゃいけないけど笑うしかない状況にあるTPP反対派の状況がよくわかると思います(笑)


中野氏、動画の中で「日本人はバカ」的な発言がありますが、あれは国民がバカと言ってるのではなく、政府がバカだと言ってると理解しています。
国民に関してはむしろ「頭がいい」と知性は評価しているからこそ、政府の政治力のなさとバカさに辟易している、と見えます。


こっかから僕の本編です

デフレが進むよ

自由化で輸入品が安く入ってくるから一般庶民には嬉しいだろ?という議論もあるようですけど、デフレが一層進むだけですからね。
瞬間的には安くなっていいかもしれないけど、国内企業がそれに対抗しようと思ったらコストカットしていくしかないので、結局削りやすい人件費が削られてリストラもろもろが増えることになるのではないかと思います。
その辺、どう考えてるんでしょうか。


途中離脱があり得ないことはわかりきったことでしょ

もう一つ。賛成派が言う、「議論のテーブルにつくくらいいいだろ。日本にとって不利益ならやめればいい」というのも詭弁。
日本の真意がどうであれ、一旦テーブルにつけば、原則途中離脱はあり得ない。それは玄葉氏も言ってましたよね。

ってことは、いったんテーブルにつけば後は、なし崩し的に話を進められてしまいます。

それで本当にいいの?大した考えもなしに、「開国」だとか「グローバル化」だとか一見美しく理想的に見える言葉に踊らされるのがベストなのかと。





年間2700億円(GDPに+0.054%)程度だよ

また、内閣府が最近になって示したTPPに参加した場合の経済効果。
TPPに参加すると、なんと!GDPが!0.54%増!?

金額にして2.7兆円の効果が生まれる!!(ただし、10年間の累計です)

って、1年当たり平均2700億円です。しかも、「10年間の累計」という言葉を一切パネルに表示しないフジテレビに中野氏キレてます。
そりゃ、詐欺的なやり口ですからフェアじゃないし怒るのは当然だと思いますね。

ただ、この内閣府の試算についてはHP見てもソースがどこにあるかわかんないので、引き続き探してみます。(ちなみに、下記リンク先日経新聞にも「10年間」とは一切記載されてません)





国内ルールが変えられたらお手上げだよ

さらに、現代の自由貿易交渉の主題は、関税撤廃だとかそんな話は問題にならない。
まあ、言葉通り問題にならないわけじゃないのは当然として。

何が問題かというと、現代の交渉は相手国の国内ルールをいかに自国に有利に変えさせるかということに移ってるんだ、と指摘します。
実際、米韓FTAでは韓国は大幅にアメリカの要求を呑んだようです。

前にも書いたかもしれませんけど、韓国製品が好調なのは、関税云々以上に、ウォン安が大きいわけですから、米韓FTAでアメリカの関税撤廃された~!!となったところで、大した効果は期待できないでしょう。
しかも、韓国もアメリカなど現地生産に切り替えを進めていて、関税がそもそも適用されない形になってるんだから、韓国は果たして得るものがあったのかは疑問。

中野氏の痛烈な皮肉として、これだけアメリカの言いなりになってくれるんだから、そりゃあオバマもイ・ミョンバク大統領大好きになるでしょ、と。そりゃあ、国賓待遇で出迎えるでしょ、と。





訴訟大国アメリカ怖いよ

さらに、別の動画を見て驚きました。
ISD条項という存在に。

TPPの、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定

ISD条項とは何かを簡単に言うと、たとえばアメリカの企業が日本に進出し、地下水を汚染してしまった、とします。
そんなことになれば、当然現場を管轄する市町村等が開発差し止めなどを行います。
すると何が起こるか。
差し止めされたアメリカ企業は、開発差し止めによって生じた損失の賠償を求めて日本政府を訴えます。
この裁判は第三国で行われ、判例も適用されなければ、日本の環境や住民の健康度合いなども一切考慮されず、単純に「企業に対して、利益損失が生じたのかどうか」という経済的尺度でのみ判断されるとのこと。
しかも、判決に不服があっても一審で結審。覆ることはないのです。

こんな馬鹿な話、いくら何でもねーよ(笑)と言いたいところですが、中野氏によると、実際にこんなケースがいくつも発生しており、累計で200件を超えたらしいです。


たとえばカナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していた。同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。ところが、米国のある燃料企業が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この規制を撤廃せざるを得なくなった。


また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府は環境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、カナダ政府は823万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。

メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。

あり得ないでしょ。
そして、これも中野氏によれば、このISD条項、日本側がTPPに盛り込むよう検討しているとか。
理由は簡単です。
上で示したケースと逆の場合、日本企業を守れるから。
わからんではないですね。
でもね、TPPの主要相手国はあの訴訟大国アメリカですよ。訴訟に長けているアメリカを向こうに回してやりあえると思ってんですかね。

彼の国は、マイケル・ジャクソンしかりレディ・ガガしかり、金持ちにわけのわからない訴訟ふっかけて大金ふんだくろうとする文化?があるのに、バカ正直な日本人では太刀打ちできないでしょう。
こういう懸念は「負け犬的発想」なんでしょうか。。。

さらに、このISD条項については米韓FTAにおいて韓国が丸呑みしたそうです。
この影響がどう出てくるかはFTA発効後にならないとわかりませんけど、うーん……。

以下、中野氏による非常にわかりやすい、論理的なTPPのダメなところ解説です。
ある意味エンターテイナーです。






2011-10-25

『秒速5センチメートル』は心の奥で何かがうごめく


最近、『秒速5センチメートル』を見ました。

これはあまり書きすぎると自分自身をエグることになるのですが。

ヒトコト、はまりました。

きっと見る人によって感じ方は違うでしょうね。

自分にとってはこの作品は甘酸っぱくもあり切なくもあり、以前のいろんな思い出が掘り起こされるようでした。


一応、簡単に紹介しておくとこの映画は3本の短編から構成されるおよそ1時間程度の作品です。

  • 「桜花抄」
  • 「コスモナウト」
  • 「秒速5センチメートル」

作品の細やかな解説や分析は他ブログに任せます^^;


主人公

物語は3編とも、主に2人ずつ主人公が配置されています。

遠野貴樹、篠原明里、澄田花苗がそれぞれ3編に二人ずつ登場します。


桜花抄


貴樹と明里の小学校~中学校時代が描かれます。不思議なタイトル「秒速5センチメートル」とは何のかが冒頭で説明されます。
これは桜の花が落ちて行くスピードだそうです。

同じ転校生同士、精神的にも似通った二人がひかれ合いながらもお互い転校でバラバラになる。
その直前の再開と別れまでが描かれるのですが、なんていうのかな。
小学生の時の初恋や、中学生の頃のなんとも言えない好きな娘への気持ちが思い起こされて、けっこうしんどい^^;

そんなに仲良く女の子と喋れるわけじゃなかったけど、やっぱり極少数は話せる娘がいて、その娘が気になったり、、、なんてことはあったわけで。


コスモナウト


鹿児島県種子島に転向した貴樹と、そこで出会った花苗との主に高校生活が描かれます。
東京から引っ越してきた貴樹に一目惚れした花苗が、好きだと告白することもできずかと言って諦めることもできず、という苦しいほど切ない状況です。
貴樹は、小学校から好きだった明里のことを忘れられずにいて、おそらくは、いつもそこにいない明里のことを思いながら過ごしているのでしょう。
だから、優しくはできても振り向くことはできない。


秒速5センチメートル


タイトルにもなっている3編目は、社会人になった貴樹と明里。
貴樹は就職し、何かもわからない高みを目指して懸命に働いた結果、何のために高みを目指していたのかを見失います。
一方、明里は貴樹ではない誰かと結婚することが決まり……。

進むべき道を見失った貴樹と進むべき道を見定めた明里が、子どもの頃よく通った踏切で邂逅し、遮断器が上がった時……。
貴樹は少し微笑みを浮かべます。まるで、ようやく次へと進むことができるように。


すごくいい映画

ちまたではこの作品は欝発生装置として恐れられているようです。その気持ち、わからなくはないですね。
ただ、僕の場合、この作品は欝エンドではないと思います。

切なさはあるけど次へと向かう決意が固まるまで、男は時としてこれだけの時間を要するのだということなんだろうと思います。
必要なのは時間だけじゃなく、キッカケも、なんですけどね。
それが貴樹にとっては、遮断機があがった後の一瞬であったということなんだろうと思います。

男というのは、かくも引きずるものかとエグラれながら見れますw

気分爽快!というわけには行きませんが、何か心の奥でうごめくものがある、たしかに感じられるそういう映画です。

その他、背景描写がめちゃめちゃキレイ。サクラも、空も宇宙も、ほんとうにキレイです。
あと、好きな山崎まさよしの名曲「one more time,one more chance」が作品を貫いているので、そういう楽しみ方もあるかと。

とりあえずDVDと小説がほしくなったw

『プレイフルシンキング』読了



わずか二晩で読みきってしまった、読んでて楽しい、まさに「プレイフル」な本でした。

まず最初に伝えておくと、僕は本を読むのにものすごく時間がかかります。
『銀河鉄道の夜』を読み終えるのに3日要してますし……。

この本は180ページほどなので、いつものペースなら間違いなく2週間はかかります。
が、実際には昨日、今日の二日間というか二晩で一気に読みきってしまいました。


プレイフルシンキングとは

本書を貫く、ちょっと変わった言葉「プレイフル」とは何でしょうか。
著者の言葉を引用するとこうです。
プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。(P.16)

そして、この心の持ちようは、やや後ろ向きなタイプの人でも、新しいことになかなか踏み出せない臆病な人でも習得できる思考法だとも言っています。

このプレイフルシンキングをうまく活用することで、今まで自分の中で「こうだ」と思っていた世界が違った見え方をしてくる。その変化がまたワクワクドキドキを呼び込む、それがプレイフルシンキングなのかもしれません。


ただ、本書の序章の最後には、「プレイフル」という単語が繰り返し繰り返し連発されているので、初見ではやや鬱陶しさを感じました。


プレイフルシンキングを「仕事」に活かす

著者はもともと「学びの場」についての研究者ですが、仕事の場面も「学びの場」ではないかと考え本書を書いたらしい。

まず気になったワードを拾いながら「振り返り」をしてみると、“プロフェッショナル”であるために2つの重要なキーワードを示しています。

  • 新しい状況にためらくことなく飛び込む「知的好奇心
  • 自分の行動を振り返ってみる「俯瞰的で省察的な視点

この2点です。
知的好奇心に突き動かされながらも、第三者的な視点を持ちあわせて、スパイラルアップを果たしていけるのがプロフェッショナルだということですね。

さらに、人間の心のあり方は大きく2つのパターンに分類されるようです。

  • フィックストマインドセット(fixed-mindset)
  • グロウスマインドセット(growth-mindset)

簡単に言い換えれば、前者は「コチコチに硬直した心」のあり様で、後者が「伸び伸びとしたしなやかな心」のあり様です。

フィックストマインドセットの人は、新たな局面に立った時、「自分にできるだろうか?」と考え、グロウスマインドセットの人は同じ場面で「どうしたらできるだろうか?」と考えるタイプ。

そして、この心理的な差は失敗した時には次のようにあらわれるようです。

  • fixed→自分の“能力が”足りなかったから
  • growth→自分の“努力”が足りなかったから

と。

ここは初見ではよくわかりませんでした。
が、よくよく考えれば、単純なこと。

fixedの場合は、自分の能力に限界があり、どれだけ無力感を感じる。
一方でgrowthの場合、失敗は悔しいが、努力が足りないのだから次は何とかなる、と考える。

この差は仕事をしていく上で、思いのほか大きいのだろうと思います。
なぜなら、僕のような仕事の場合、「同じ仕事」というものは存在せず、常に新しい何かに挑戦せざるを得ないのだから、マインドセットをどう自分の中で仕上げるか、はパフォーマンスに大きな影響を与えます。


自分の場合

自分はどちらのマインドセットも経験したからわかるけど、この心理的な差は大きい。

中学生頃から仕事をし始めて2、3年までは、今にして思えば僕は完全にfixedでした。

とにかく、自分は頭の回転が遅く、人の役に立たない無能であると、かなりネガティブなマインドセットです。
だからというわけじゃないけど、ネガティブであることが悪いことだとは思わないし、ネクラなことも悪いと思わない。

ただ、仕事を始めて数年経った頃、気づくとgrowthな心理になってました。
なぜかはわからないけど、仕事自体が楽しいものだと腑に落ちたことや、楽しみながら仕事をしていいのかもしれない、と少しずつ思えたからかもしれません。


メタ的視点

メタ的に考える人は、上司がなぜそう言ったのか、言葉の奥にある本質を探ろうとする(P.60)
これは、僕は普段からしてしまいますね。
よく言えばメタ的に考えることができている、とも言えますが、自己評価的には相手の奥ではなく、ウラを探ろうとする心理が働いているような気もします。

ただ、こういう風に考えられるようになったのは以前の上司のおかげです。
常に評価されていると考えたほうがいい、といったようなことを教え込まれました。


1人で仕事をするわけではない

これは自分が一番気を付けなければならない点なんですけどね。
いろんな特技を持つ人、ネットワークを活用することでひとりでやるよりもはるかに良好なパフォーマンスが発揮できる。
これは頭ではすごくよく理解しているし、やろうともするんだけど、はっきり言って得意分野ではないです。
この辺をうまくできる人は周囲にもいますけど、本当に尊敬しますし、羨ましくもあるし、悔しくもある。

そういう意味で、本書でいう「最近接領域」という概念はおもしろい。

これは要するに、「あの人が一緒ならうまくやれそうだ」という頼れる他人ありきの自信。

こういうイメージはすぐに持つんだけど、実践が難しいー^^;


最後に

冒頭で書いたように、わずか二晩で読みきってしまうくらい読みやすく、また内容自体がワクワクドキドキモノですので楽しく読めると思います。

内容的には、同じタイミングで読み終わった『キュレーションの時代』と重なる考え方も多く、「うーん、仕事のあり方や仕事との向き合い方が変わってきてるのかも~」と感じることも多々ありました。

新しい環境に立ち向かうというコンテキストは『キュレーションの時代』ではそのままキュレーターという役割と重なるし、ワークショップの主催者だけじゃなく参加者も一緒に準備するというコンテキストは『キュレーションの時代』でふれられた禅や「主客一体」と重なります。

そういう点でも、今この時にこの2冊を読んだことに何か必然性を感じます。

個人的には最近の自分の頭の回転の遅さに今まで以上にイラつき情けなく感じていたので、ある意味で救われ、良い意味で気合をもらえました。

あと、仕事は楽しんでいいんだ、楽しい方がパフォーマンスがあがるんだ、と少し自信を持てる内容ですので、仕事でもプライベートでも「今のままでいいのかな?」と悩んでる方、悩み始めてる方は一読の価値ありです。



上田 信行
宣伝会議
発売日:2009-07-03

2011-10-15

『銀河鉄道の夜』読了

『銀河鉄道の夜』を読み終わりました。

表現や言葉は、さすがに古さというのかノスタルジーを感じさせるところが多かったですが、良かったです。

なにより、銀河を川に見たててそこを鉄道で旅するという話に、ワクワクさせてもらいました。

銀河の中の星をサファイアやトパーズと表現したり、三角標と表現したり、光景が目に浮かぶようで、「これが宮沢賢治か」と今さらながらに感動しました。

汽車の中でのジョバンニの居心地の悪さは、ただひとり車中にいた人たちとは違う存在だったからなんですね。

幸い、他の短編もいくつか掲載されているのでそちらも読んでみたいと思います。




銀河鉄道の夜 (角川文庫)
宮沢 賢治
角川書店 ( 1996-05 )
ISBN: 9784041040034


島根で暮らしているということ


光と水 - 写真素材
(c) taka写真素材 PIXTA



なぜ自分は島根で生まれ島根で育ち、今なお島根で暮らして、さらには地域振興を仕事としているのか。


「好景気」と縁のない人生

高度経済成長期、バブル経済を通じて形成された価値観は、一般的にはこう。
「いい大学に入り、いい会社に入れば、一生安心して暮らせる」
たしかに、当時はこういう空気があったのだろうと思う。
だけど、自分の場合高度経済成長期なんて生まれる10年も前の話だし、バブル経済にしたって、島根という地方で十分な影響を受けたわけでもないだろうし、そもそも小学生~中学生くらいで崩壊している。
なので、「好景気」というものに縁がなく、心のどこかで、「一生安心」ということに対して疑っている部分がある。


子どもにとっての親の言葉

夕日2 - 写真素材
(c) TSUYOSHIストックフォト PIXTA

以前、弥栄で仕事をしている時によく聞いた話がある。

「自分の子どもには、ここから出て都会で就職しろと言ってきた。今さら戻って来いとは言わんし、思ってもない」

と。ふむ、なるほどなぁ。と思ったものです。

そして、自分はどうだったのかな?と振り返ると、両親から「島根はつまらんから都会へ出ろ」というようなことを言われた記憶はない。

と言うより、いい大学に入れとも言われたことはない気がするなぁ。


地方から若い人間が減った理由は親の教育か

今考えてみると、両親は比較的現実的とでも言うのか、さほど頭の回転が早いわけでもない自分がいい大学に入って良い企業に入る、なんてことは描いてなかったんだろう。
そこそこの学校を出て、それなりの会社に就職してくれればそれでいい、とそれくらいの現実的な思考だったんじゃなかろうか。

やはり、親の教育は子どもに相当影響を与えると思う。
それは価値観の形成という点で大きく表出してくるのではないかな。
住んでいる所が「つまらない所」だと小さい頃から教え込まれれば、そんなもんかと受け入れてしまう。その結果、一度出てしまうと、「戻ろう」という気持ちを喚起できなくなる。

教育だけに原因を押し付けるわけにはいかないけど、根本的にはここは大きいと思ってる。

もちろん、仕事がない、住むところがない、不便、病院が脆弱などいろんな要因がからみ合ってることはわかるけど、最後は個人の価値観に基づく判断となるのだから。


人がいなくなる

いわゆる「限界集落」はこれから「消滅」していくのかもしれない。
だけど、それは決して人の手で人為的に進めていいものではない。
今そこに住んでいる人は、そこに住みたいから住んでいる。

そこに暮らしたい人、そこでしか生きていけない人、いろんな事情があり、他人には決してわからないモノがある。

効率性や経済性だけで判断されることの辛さは今となっては「限界集落」に暮らす人だけでなく、3.11以降の被災地に暮らす人、福島に今なお暮らす人も同じだと思う。


どこで生きていくかという選択

自分自身、県外に出られなかったことをたまに残念に思ったりすることはあるけど、それが今の自分にマイナスになっているかと問われれば、それはない。

結局、無数の選択肢から”選ぶ”のは自分以外の何者でもない。
好き嫌い、事情の有無はあっても、選んだのが自分なら、そこでできること、やれることをどれだけできるかに注力すべきかなと思う。

いつも感じることがある。
主に仕事を通じてだけど、自分は周りの人たちに本当に恵まれている、と。
信念を持って動き続ける人、黙々と仕事を推し進める人、ロジカル重視の人、組織を重視する人、組織より個を重視する人いろんな人がいて、いろんな人から教えをいただける環境にいられることが嬉しい。

2011-10-10

有珠山噴火の跡にふれて感じるジオパークの意義


洞爺湖遊覧船の後は、有珠山噴火の爪あとをコースとして整備したということで見学に向かいました。



上の写真でこんもりと山になっているところは、溶岩ドームだそうです。


遊歩道整備

災害遺構として、遊歩道も整備されています。
これは後日、地元の方が話されていたことですが、災害遺構として遺し、観光に活用することで、火山と共に生きていることを認識し、乗り越えるためということでした。

あとで出てくる団地を遺すことについては反対意見もあったようです。


遊歩道起点には案内所

災害遺構を巡る

それでは少しばかり災害遺構を巡ってみましょう。

温浴施設

下の写真は、噴火により破壊された公衆温浴施設跡です。
施設そのものは残っていますが、施設内には火山灰らしき土砂が入り込んでいます。


サッシが曲がっているのは、土砂の圧力か噴煙などの熱によるものか……。




流された橋

次の遺構は、上流部から流されてきた橋。
なんというか。言葉が出ないです。



元桜ヶ丘団地

ここが遺すことに対して反対意見も出たという団地です。
もともと住んでいた方からしてみれば、何とか逃げ出してきたわけで、ある意味で生活がそこでストップしているわけですね。
そこをそのまま見せる、ということに対する抵抗感だったのか、あまり思い返したくないから取り壊してほしい、という思いだったのかわかりません。
しかし、当時4,5棟あったうち、ただ1棟だけが残されています。

反対意見もあったということで、あまり写真は撮っていません。



1階部分は埋もれてしまっています。




自然の中で生かされているということ

日本のジオパークには火山に関するジオパークが多い、ということは知っていました。
それにしても、災害遺構のような場所に来ると、人間と自然との共生とは何なのかということをつくづく考えさせられます。

それに対する答えの一つが、ジオパーク全国大会の中で披露されて、北海道の人すごいな、洞爺湖の人はすごいな、と感銘を受けました。

それは端的に言えば、ここに住んでいる人たちは火山の恵みをいただいて生きている、ということ。
だから、ここに暮らし続けるし、火山との付き合いも避けられないものと認識されていました。

そういう背景がある中で、ジオパークである意味というのは大きいです。
と言うのも、「火山の恵みで生活している」と感じる人は、そうは言っても多数派ではないでしょう。しかし、こうした考え方を子どもたちや地域住民に伝える枠組みとして、ジオパーク活動が果たす役割は小さくないはず。

ジオパーク活動を通じて、自分と地域、自分と自然環境、人間と大地の関係性を知ることに必ずつながり、それがまた次の世代へと受け継がれていく。
それこそジオパークです。

現地を実際に見るということの大事さは、毎回再確認させられます。


こちらもあわせてご覧ください。


2011-10-09

洞爺湖遊覧船で感じた地域ブランドを守るということ

左奥:羊蹄山 中央~右:中島@洞爺湖

数日前から急激に首から肩、頭にかけての痛みが出たため、北海道行きの様子をまとめられませんでした。
昨日、病院に行って薬をもらったところずいぶんと軽くなったので、改めてジオパーク全国大会の様子をお知らせします。

今回のポストでは、北海道滞在中ほぼ唯一といっていい自由時間の様子 その1です。

自由時間は半日で、朝一で洞爺湖遊覧船に乗船した後、火砕流跡やビジターセンターなどを見学しておりました。


遊覧船の様子

普段乗り慣れているカーフェリーと比べれば相当に小さな船ですが、1等客室があったりして少し昔の雰囲気を漂わせていました。






乗船客の様子

乗船客は僕たちだけでなく、どこかの修学旅行生のような雰囲気の一団、個人旅行者の方なども少数乗船されていました。



なお、船には無賃乗船する客までいる始末……。
こやつです ↓↓(ウミネコ)


なんと乗りなれた雰囲気。。。


餌付けはいいのか・・・?

このウミネコさん、なんでここにいるの?と最初はよくわかりませんでした。
しかし、遊覧船出航後にその理由が明らかに。

その理由とは、船内で販売されている「か●ぱえびせん」などを乗船客が購入して、船上からウミネコさんに向けて景気よくバラまくわけです。


そうするとまあ、こんな感じで遊覧船の後をつけてくるわけです。

しかし、ここで僕はうーん……と思うわけです。

こいつらを餌付けしていいのか?と。

国立公園であり世界ジオパークであるここで、自然界の動物を餌付けする行為はどんなもんだろう、と。
法的に問題がないとしても、ガッカリ感は否めません。

ただ、こういうアトラクション的要素で楽しむ人達がいる、というのもまた事実で何とも言えない気持ちになりました。


浅瀬だとこんなに綺麗な水だと気づきます


船上から眺める昭和新山・有珠山

中島をぐるっと一周した後は帰路へ。
その時、甲板からは昭和新山と有珠山がしっかりと見れました。

天気も良く、非常に過ごしやすい日で良かった。


2008洞爺湖サミットの会場となったウィンザーホテル



地域資源の保全・保護と活用

あまり繰り返し指摘しても、みたいなところはありますが。

餌付けの問題は、単に餌付け行為だけじゃなくて、地域としての価値、ブランドを自らが認識しているかどうか、という点に行きつくと思ってます。

なので、今回の餌付けに関しては、洞爺湖というブランドを自ら傷つけているように感じ取り、残念に思いました。

そういう意味で、保全と活用のバランスというのは難しい問題である、ということを改めて感じます。
なぜなら、エサとなるお菓子の販売は船の運行会社の収入につながるわけで、それを絶つということに抵抗を感じるのかもしれないなと。


もう一つ残念だと感じた点を。
エサをやってたのは主として修学旅行生らしき一団だったんです。
生徒が撒くのはまあわかるんですが、残念ながら引率しているであろう先生がわりと積極的かつ楽しそうにお菓子をそこかしこに撒いてて、これがものすごく残念でした。

そこは教師が洞爺湖の状況とかを説明して、エサをやる行為は実はこういうリスクもあるんだよ、というような話をした方がいいのでは……?と感じました。

隠岐においても参考になるところはあるな、と感じます。
特に、地域住民が隠岐の価値を認識し、外から見られた時のブランド価値をどう守るのか、という考え方をしっかりと持っておくことが重要かと。