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2011-12-02

ソーシャル・キャピタルとまちづくり




1年以上前に書いた文章ですが、ソーシャル・キャピタルに関する文章なので、自分で思い出すために、整理するためにももう一度書きだしてみます。


ソーシャル・キャピタル(Social Capital)という言葉は、日本語にすると主に、社会「関係」資本と訳されます。
これは直訳の「社会資本」とすると、日本ではインフラを想起させるためと言われています。
では、この社会関係資本とは何なのか。
様々な定義があり、一本化された定義はありません。
しかし、いくつか有力な定義が出されているので、そこから整理してみたいと思います。


■ソーシャル・キャピタルの定義

  • R.パットナム

人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワーク*1といった社会組織の特徴

  • F.フクヤマ

信頼が社会全体あるいは社会の特定の部分に広く行き渡っていることから生じる能力

  • 世界銀行

SCとは、社会的なつながりの量・質を決定する制度、関係、規範である。社会的つながりは経済の繁栄や経済発展の持続に不可欠である。SCは単に社会を支えている制度ではなく、社会的つながりを強くするための糊の役割を果たしているのである。

  • OECD

規範や価値観を共有し、お互いを理解しているような人々で構成されたネットワークで集団内部または集団間の協力関係の増進に寄与するもの

  • W.ベイカー

個人的なネットワークやビジネスのネットワークから得られる資源であり、情報・アイデア・指示方向・ビジネスチャンス・富・権力や影響力・精神的サポート・善意・信頼・協力

  • P.ブルデュー

多かれ少なかれ制度化された相互面識および相互承認の持続的ネットワークの所有、あるいはいいかえると、全体で所有する資本の支援を各メンバーに提供するような集団のメンバー資格に結びついた現実的あるいは潜在的資源の総体

  • J.コールマン

それが存在しなければ不可能であるようなある種の目的の達成を和にする
他の形質の資本とは異なり、ソーシャル・キャピタルは人々の間の関係の構造に内在するもの
個人や生産の物理的装備に備わっているものではない

  • ナン・リン

市場における見返りを期待してなされる社会的関係への投資
社会的構造のなかに埋め込まれた資源
目的とをもった行動のためにアクセスされ動員されるもの

  • A.ギデンズ

個人が社会的支援を得るために頼ることのできる信頼のネットワーク


■雑感

まず目につくのはやはりパットナムが定義した3つの側面「信頼」、「規範」、「ネットワーク」です。
アスレイナーはこの中で、信頼に着目しました。

しかし、いずれの定義を見ても、実はネットワーク(人々の間の関係等)が共通していることがわかります。
ネットワークという人と人との関係性が前提としてあり、その上に信頼や規範といった側面の強弱が加わるのかな。
場合によっては経済的成長、経済効果への投資、といった側面を考えている人もいるようです。

自分の関心としては、ソーシャル・キャピタルが地域の活性化に資するか、どのように培養できるのか、地域への愛着や誇りはどのようにすれば育まれるのかという視点で出発しています。
そうすると、なんとなしに経済効果というような側面は弱いのではないか、と考えます。
こう考えると、果たして「ソーシャル・キャピタル」という言葉自体が良いのか?という疑問もあります。

実際、ボウルズとギンティスは、ソーシャル・キャピタルのアイディアは良いが、用語としてはよくないと言っているようです。
しかしボウルズ=ギンティスは,ソーシャル・キャピタルはアイデアとしては良いが,その用語は良くないという.キャピタル(資本)とは所有できるものをいう言葉であるが,ソーシャル・キャピタルは人々の間の関係を意味するとされているからである.『ソーシャル・キャピタル』,P.16,宮川公男

ソーシャル・キャピタルというものを考えるにつけ、これは一体何なんだろうという思いに囚われてしまいます。

ところで、キャピタルというものはボウルズ=ギンティスが言うように所有できるものと見做すことはできますが、一方で、こう考えることもできるのではないでしょうか。

つまり、キャピタルとは「貯蓄可能なもの」(蓄積)であると。

そう考えると、ソーシャル・キャピタルというものが「キャピタル」という用語であることに不都合はないかなと思います。
むしろ、ソーシャル・キャピタルという用語ではなく、やはり何なのかがわかりにくいことが問題点であると。

やはり僕はネットワークからソーシャル・キャピタルを考えてみたいと思います。


■現時点での追記

以上が、1年以上前に書いた文章だけれど、ソーシャル・キャピタルを「蓄積可能なもの」と見る見方は少し違うのかな、という気がしています。

むしろ「蓄積された結果」がソーシャル・キャピタルであり、ソーシャル・キャピタルのあり様が、そこの地域の人びとの生活様式、コミュニケーション態度として表出している。
だから、Iターン者を受け入れやすい地域もあればクローズドな地域もあるし、商売を良しとする地域もあればそうでない地域もあるのでしょう。

Iターン者が地域に新たに加入することで、地域に存在していなかったDNAのようなものが注入されたとき、アレルギーのように過剰に反応して攻撃してしまうのか、うまく取り込んで新しいソーシャル・キャピタルの方向性を見出すのか、といった違いも出ているのではないでしょうか。


■ソーシャル・キャピタルとまちづくり

先般、ブータン国王が来日したことを契機に、ブータンの「GNH」に対する注目度も、瞬間的に高まりました。

GNHという概念とソーシャル・キャピタルという概念は少し重なりあう所があります。
それは、「経済価値」を過剰に重視しない、という考え方に表れているように思います。

ソーシャル・キャピタルという概念に注目が集まったのは少し前で、地域振興・再生に応用できるのではないかという研究、議論もなされてきていますが、現在のところ有効な施策は打ち出せていません。

個人的な考えにはなりますが、日本の社会システムも今後5~10年程度で大きな変革の局面を迎えるのではないかと思っています。
その時、ソーシャル・キャピタルという概念を認識し、地域としてどのようにソーシャル・キャピタルを醸成していくのか、という戦略を持っているかいないかが分かれ道になるのではないか、という気もしています。

まちづくりに対して、「幸福度」やソーシャル・キャピタルを用いた提案は今のところうまく行ってませんが、今後も提案できる場面があれば、提案したいし、そのためにも自分の中では考え方を整理し完成度を高めたいと思います。