いろんな成功事例の情報はウェブ上にもたくさんありますが、個人的な感覚ではどれもピンとこない。
行政としては「成功」事例からヒントを得てほしくて公開してるんでしょうけど、そもそも瞬間的な「成功」を切り取って云々は僕の中では「ないな」といった感覚だし、行政の姿勢としてそれ以上に働きかけよう、という熱はあまり感じないですね。
まぁ、有力な団体等への話はいろいろとあるようですが、そのへんのカラクリは下で紹介している本の2章などを読めばなんとなくわかるかな。
ということで、『地域再生の罠』を読み始めてます。
2章では、松江市の天神町商店街も取り上げられています。
取り上げられている、といっても『失敗』という位置づけで、ですが。
著者は、『日本版スローシティ』の久繁哲之介。
『日本版スローシティ』は正直、がっかりした部分もあったので、こちらはどうかな?と期待半分。
2章の途中まで読んで重要だなと共感した点は、問題の「本質」を考えない施策が多く、しかもそれらが大した検証もされずに専門家によって「成功事例」としてまつり上げられ、劣化・模倣した「地域再生策」を拡大再生産している現状。
問題の本質
本質ってなんだろうと考えた時、やっぱり行きつくのは「ひと」だと思う。
ちょっと話は飛ぶけど、前々から気になってるのは子どもの教育・学習環境。
いわゆる「ゆとり教育」はずいぶんと批判され、もとに戻ったわけですが、これも検証なんてしてないよね。
あえて言うなら学力テストで順位が落ちたとか何とか。
でも、不思議なのは学校の成績なんて社会に出てからの能力とはぜんぜん違う、という大人たちが教育に関しては学力を重視していること。
いや、違うだろ、と思ったりするわけですよ。
これも問題の本質を考えない好例だと思います。
さて、ひとという本質を見ずに、町並みの化粧、うつのみや109だとかうつのみや表参道スクエアといったハード整備に対する批判が本書第1章でされてます。
異論を取り込む気があるか否か
少ない経験ながら、いくつかの仕事を通じて感じるのは、ある程度のレベルで「結論ありき」で話が進む点が問題だろうと思ってます。
たたき台があることは必要だろうと思うけど、そこで出た意見、異論を受け入れるつもりで議論してる場合とそうでない場合とでは、その後に大きな影響を与えることになると感じてます。
事務局案としてはこれはこうですから、一応話は聞きますが事務局案で進めさせていただければ……
なんて言われたら、議論する必要ないじゃんて思うでしょ。
地域の中で共有すること、見方の違いを認識すること
先日、某町で、町の宝さがしまち歩き・ワークショップを行なってきました。
当日までの1週間程度は天候も悪く、果たして人が集まるのか?という不安は本番直前までありましたが、蓋を開けてみれば15名程度の人が参加してくれました。
3班にわかれてまち歩きをし、好きなところ、子どもたちに伝えていきたい/遺していきたい町の宝をマップに落としこんで行きました。
参加していただいた方からも「楽しかった」という言葉が聞こえて、スタッフとしては反省しつつも良かったなと思いました。
印象的だったのはWSの最後に「他の班のマップも見せてもらえるのか?他の人がどんなものを見つけたのか知りたい」と仰っていたこと。
この地域では20年ほど前にもまち歩きをされた実績はありますが、それ以後あまりそういう機会はなかったようで、地域の方にとっても他の人がどういう目線で歩いたのかが気になるようでした。
この、「他の人が地域をどう見ているか」を、共有することが大事だと思っています。
違いを認識し、それを踏まえてはじめて次の段階に移行できると思ってます。
スタート地点の違いに気づいていれば、ゴールさえ共有できていればあとの問題はなんとか乗り越えられるだろうというのが僕の持論。
中山間地域にしろ、商店街にしろ、そこに人が住み続けなければ、“暮らし”とそのための空間や機能が維持されることはありません。
であるから、ひとが大事で、ひとに焦点を当てなければならないと考えています。
最後に
本書2章の途中に、起業リスクについても触れられていました。
最近はこの問題についてふと考えることが多く、どういうセーフティネットがあれば起業に踏み切りやすくなるんだろうなーといろいろ勉強しないといけないな、と思ってます。