2011.03.27 会場 |
そこにはいつも「やる人」と「やらない人」との間に壁があるように思います。
そして、やる人がその想いのままに突っ走ることで物事は動いていくのだけど、反比例するように、一般的な人は活動から離れてしまいがちです。
仕事をはじめてまる7年と、まだまだ経験は限られていますが、それでも“中堅”という立場になりつつある今、まちづくりとは何なのか、どういうムーブメントが起きればいいのか、なぜ壁があるのか。
そういった問題意識について、少し整理しておきたいと思います。
幸いにも、2011.03.27(Sat)に、東出雲町の某公民館でそのようなことを話す機会をいただいたので、その時に使った資料なんかも使いながら、まちづくりを進める上での課題と、自分なりの「まちづくり」について明らかにしておきたいと思います。
少々長文になりまそうなので何回かに分けて書いていこうと思います。
まずは第一弾。
1.紹介した事例
- 風待ち海道倶楽部
僕の主な仕事先は、島根県内に限られています。その中でも特に関わりが深いのが隠岐の島町です。
隠岐の島町では、合併前の旧西郷町時代からお世話になっているまちづくり団体があります。
風待ち海道倶楽部(かぜまちかいどうくらぶ)さんです。
風待ち海道倶楽部は、地域振興を目的として設立され、当初は朝市などのイベント開催を主に行っていましたが、現在は住民が隠岐のことをもっと知らなければならないと考え、地元学講座としての「エコツーリズム大学」を推進しているグループです。
付き合いがもっともながく目指すものが一致しているので、このグループから紹介させてもらいました。
- @歩夢(あっと!ふ~む)
2番目に紹介したのが、近年注目を集めている新しい自治組織の模索をしている@歩夢です。このグループは、島根県の事業を活用して2008年度から活動をスタートさせたグループです。
隠岐の島町の北端に位置する「武良」という地域と「布施」という地域で人口減少と高齢化が進み、地域活動をこれまでのように行えなくなるおそれがある、ということと、合併にともない行政の支所・出張所から人が減っていくため、以前のように行政頼りではいられない、という理由から今のうちに住民自身が考え、行動し、支え合う組織をつくろうという取り組みです。
- 隠岐×学生プロジェクト
3番目に紹介したのは、グループではなくて2010年度に隠岐の島町内で取り組んだプロジェクトです。
これは、島の将来の担い手が減る中、いかに担い手や担い手となり得る候補を見つけ、キャッチしていくか、ということを意識した取り組みです。
視点は、島の子どもたちに隠岐を誇りに思ってもらえるように伝えること、そして島外の大学生に来てもらい、島を知ってもらい、住民にその魅力を伝える企画を実践してもらうことを通じて隠岐を好きになってもらおうというものです。
2. 異なる目標・手法・主体 しかし、目指すものに大きな違いはない
ここで挙げた事例はいずれも隠岐の島町での取り組みです。
ただし、すべて活動主体は異なり、それぞれの性格も志向する地域の姿も手法も異なります。
風待ち海道倶楽部は主要産業且つ産業としての裾野が広い観光を魅力あるものにしない限り、隠岐が危ないという認識です。そして「魅力ある観光地とは ?」を自問し、得た結論が住民が誇りに思える地域は外から見ても魅力的である、というものです。
だから、エコツーリズム大学をスタートさせ、住民が学び、ときに住民自ら講師となる仕組みを構築しています。
まだまだ成果はこれから、といったところですがその姿に僕は共感しています。
また、@歩夢は少子高齢化が進行する中、行政にも頼ることができなくなることを想定し、なんとか住民でできることを模索し、やっていこうとする取り組みです。
今まで祭りなどの伝統行事はやっていても、新しい自治なんて言われてもわからないのが一般的な人だと思います。
だからこそ、僕らみたいなコンサルタントが一緒に考え、行動することで推進剤となれればと考えています。
@歩夢の存在は確実に参加された人たちを変えています。環も広がっています。
だからこそ続けていかなければならないでしょう。@歩夢にやる気があるなら、協力を惜しみません。
隠岐×学生PJは、島根大学の卒業生が在学中に隠岐に来たことがきっかけで企画されました。アツい思いを持った学生とアツい思いを持った住民が出会うとき、何かが生まれるかもしれない。そういう期待が持てるところが魅力であると考えています。
すぐに何か効果が出るわけではない。だけど、こういう種まきも必要だし、そこをおろそかにしては次世代へとつなげることはできないだろうと思います。
そして、大きな狙いは大学生ではなく、やはり地域の子どもたち。子どもたちが外から来た大学生のお兄さん、お姉さんから「隠岐ってすごいね~!!」なんて聞かされたら、少しくらいは嬉しく感じてもらえるのではないか。そういう経験の積み重ねが隠岐への思いと誇りを育てるのだろうと思います。
そして、島を出た子どもたちが将来戻ってくる可能性があるとしたら・・・。そういう誇りを感じ、隠岐を好きでいてくれる子どもたちではないか。そういう種まきです。
第一弾はとりあえずここまでです。
新しいブログなんで焦って書かず、ゆっくりと書いていければいいかなと思います。