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2012-03-09

「意識の低い」学生だった僕

最近の傾向なのか、仕事の関係でそういった情報が目に入るフィルターがかかっているのかわかりませんが、「意識の高い学生」というものが多いですね。

眩しいくらいにキラッキラッとしてます。
心底すごいなと思います。

先日、学部時代にお世話になった先生と話す機会があり、そこでも
「君は学生の頃そんなタイプ(自分で考えてドンドン動くタイプ)じゃなかったもんね?」と言われて、「そのとおり!」と答えてましたから。

周りには数人はそういう学生はいたし、自分もそういう空気に憧れないわけでもなかった。

でも、バイトをして、ゲームをして、マンガを読んで、映画借りて見て、たまに映画館で見て、という生活でした。
そういう世界に興味がないわけではないが、どこか遠い世界というイメージでした。

要するに、ダメ学生でもない、ずば抜けて優秀な学生でもない、ごくごく平凡な学生でした。


誰かが言ってましたけど、「コンプレックス」が働く原動力になることがあるそうです。

僕の場合、彼ら「意識の高い」人々へのコンプレックスが原動力かもしれないな、と最近思います。
本当に眩しいです。


ただね、そんな意識が低い、平凡な学生だった自分が今、まちづくりだの地域再生だのやってるというのは不思議な縁です。

今の自分がより高いレベルにあがった、とかそういうことじゃないんですが、「働く」とか「公共」とか「地域」とかいったことに目を向ける仕事をできている、というのは「人は変われる」という証左じゃないかと。

平凡でも、人から頼りにされることはあり得る。
自分には何も特徴がない、と思ってる学生には前を向いて目の前にあるチャンスを追いかけてみてほしいなと思います。

周りに恵まれていたという幸運はありますが、超平凡であっても、自分の居場所は作れますよ。

「意識の高い」学生、ライバルに気圧されず、ともにがんばりましょう。