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2012-03-18

「研究」という活動

先日、とある研究会の会合に参加してきました。

正直なところをいえば、その場で僕は場違いなんですが、首を突っ込んだ以上そうも言ってられないし、いろんな視点、考え方を聞けるのは非常に魅力的なので参加したわけです。

そこで僕はソーシャル・キャピタルについて今後これこれこういった考え方で研究を進めたい、という話をして、現状認識についても少し報告したんですけど、「あ、これじゃイカンわ」と感じたのです。

何がイカンのか。

一言で言えば、これまでのおよそ10年近い経験に基づく「ビジネスの視座」から「研究の視座」にうまくスイッチを切り替えられていない、ということです。

スイッチを切り替えるってどういうことかを、簡単に説明すると。

前提:目の前にハードル(何らかの問題/課題)があり、それをどうにかして超えていかなければならない(問題解決)


この時……

■ビジネスの視座
ハードルを「跳んで」乗り越えるのか、逆に這いつくばって下を潜るようにクリアするか、はたまた右か左に避けてクリアするか、といった「方法」を導き出して、どれを採用するか「意思決定」ができるレベルの情報があればいい、ということだと思います。

■研究の視座
ハードルの高さは何センチなのか、自分の跳躍力はどれくらいか脚力はどれくらいか、そういったものをすべて厳密に導き出して、ようやく、「では、クリアのためにはどれを選択しましょうか」となるイメージ。
さらに言えば選択するにも、合理性、論理的に適っている必要がある。


ビジネスだと「何センチ」とか細かい数字は不要で、飛ぶべきか、くぐるべきかという大枠の方向性が決められればそれでいいし、そうでないと刻一刻と状況が変わる場合何も意思決定できない、という状況に陥りますね。
そして、何も決められないということは問題を先送りし、かえって事態を悪化させてしまう。

つまり、厳密である必要はさほどない。むしろ厳密さを求めて時間をかけるよりも早め早めの判断ができるようなデータがあればいい、というものだと思います。

異論はあるでしょうけれど、ビジネスだとしても戦略を立てるには、当然データは抑えるし、論理的に計画をつくりますからね。


で、僕は基本的に前者のスタンスでやってきたので、研究という視座になかなかスイッチを切り替えられないであえいでいるところです。

頭の中ではイメージできてるんだけど、それがアクションにうまくつながらない感じです。

それこそ、そうも言ってられないので、しっかりとやっていきたいと思います。

ビジネスはしっかりとやりつつ、「研究」でもきちんと認められる成果が出せるようになりたいなぁ。