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2012-03-21

観光統計データ

データの話。

Ustreamを見てたんです。
島根県の県議や松江市、雲南市、奥出雲町の若手議員さんが出演して、いろんなテーマで議論します、という番組を。

そこで、ふと松江開府400年祭の効果ってどうでした?みたいな話の流れになって、思い出した。

あ、そう言えば観光動態調査結果の数字ってどうなんだろ??ということを。


どうやってデータを出しているのか

県の観光動態調査結果ですが、いくつかの手法を組み合わせて推計値を出しているはずです。
違っていたら指摘いただきたいんですが。

一応エクスキューズしておくと、島根県は日本観光協会の基準を用いて調査をしているようです。

では以下、ざっくり説明しておくと3つのパターンになるのかな。

  1. 施設でのカウント
  2. 観光地(Not施設)での実勢調査
  3. 実勢調査から年間来訪者を推計
1.施設でのカウント
1については、簡単。
たとえば島根県東部なら、県立美術館とか足立美術館とか有料で、お客様が何人入ったかというデータが毎日、毎月取れる施設。
西部だとアクアスとかサヒメルがあるし、隠岐だと自然館とか碧風館なんかだよね。

これはチケット販売数等でほぼ正確に抑えることができる。

2.観光地(Not施設)での実勢調査
次、2番目。
これは、年間に何日間か調査日を設けて、その日に一気に、実際に調査を実施するタイプ。
一応、県の観光振興課のHPから確認しましたが、おおむね春夏秋冬に一回ずつ設けられています。

http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/report_h21.data/H21_1.pdf


平成21年 2月 6日(金)   2月 8日(日)
平成21年 5月 1日(金)   5月 3日(日)
平成21年 7月17日(金)  7月19日(日)
平成21年11月20日(金) 11月22日(日)


これ、一見するとその調査日においては正確な数字が出ると思いがちですが、危険です。

実は、ひとりが何箇所か観光地を周遊すると、回った箇所数、「観光客」としてカウントされてしまいます。

たとえば、僕が調査日初日に松江城周辺をうろちょろし、その後由志園へ行き、玉造温泉に行くと初日だけで3人分カウントされることになります。

二日目、フォーゲルパーク行って、出雲大社行って、石見銀山行って、三瓶山でゆっくりして、玉峰山荘行ったら、4人分カウント。

三日目。隠岐のりょうばに行って、国賀海岸に行ったら2人分カウント。

実際に動いているのが僕ただ1人だとしても、です。

すごくないですか?
計9人カウントされるんですよ?間違ってたらゴメンだけど、たしかこの考え方で良かったはず。

3.実勢調査からの年間来訪者を推計
さらに問題だと思うのは3番目の工程。

1人しか動いていないのに9人とカウントされるこの数値ベースで、1年間の観光客数を推計してしまえってなもんです。

もうね、ブレが大きすぎるんじゃないかと。
他に方法がないのか、数値をできる限り大きく見せたいのかわかりませんが、一番の問題は事業にかかったコストに対してのベネフィットが実は評価できない、という点にあると感じます。

評価対象となるデータがデータとしてキビシイんですから。

それに、考え方、やり方としては、この調査スケジュールが事前にわかってれば、工程2の段階で、この調査日にイベントぶつけて短期間でもドンッ!と観光客を増やしておけば推計には相当有利に働きますよね。。。

いや、これもひとつの客観的なデータといえばそこは否定出来ないかなとは思います。
事前にルールを決めてその手順に基づいて調査・推計するわけですから。

ただ、なんとなく違うんじゃね?感が拭えない、というだけで。


隠岐諸島はその点有利

隠岐諸島は、アクセスが船(フェリー/高速船)か飛行機かしかなく、どちらもフリーライダーはできないので基本的にほぼ100%把握できるんですね。

隠岐汽船だと乗船目的にも印を付けるようになってて、「観光」という項目もあるので、データとしてはすぐに出せるはずですし、隠岐支庁もそのデータに基づいて作成された数値を使っているそうです。

全国各地が同じ推計方法を採用しているのかもしれませんが、印象としてはゲタはかせ過ぎじゃないのか、と思います。

それなりに正確なデータを出して、それをベースに計画しないと効果も図れない。
それが一番問題であろうと思います。

2012-02-20

ゼニと笑みのバランスシート

NHKの『プロフェッショナル』、梅原真氏の回を見た後、風呂に入りながら考えていたこと。

もうアイディアとしてはおおやけに出して没になったから一応書き記しておこうかなと思う。


梅原さんの仕事ぶりは、日経BPだったか日経ビジネスオンラインだったかで10回近い連載記事を昨年か一昨年、たまたま目にしたのが最初。
そのスタンス、考え方に共感してシリーズを一気に読み切り、本も買ってみた。

産業振興、というところと僕の立ち位置とは、若干違うんだけど、パートナーの志や熱意に共感し合い、気持ちを高めあいながら、アイディアを出していく、というのは恐れ多くも似てるなと感じる。
能力の差は歴然としてるんだけどね。。。


さらに何に共感したのかというと、梅原さんの根本になるんだろうか。
地方の風景を残すという意識。

条件不利地域だの何だのと言われながらも、そこに暮らす人たちが楽しくなるような、自信を持てるような、笑顔が咲くような、そんな風景を次の世代に残したい、と僕は思う。


この「楽しい」とか「自信を持てる」とか「笑顔が咲く」といったコンセプト、視点をM市の総合振興計画のプロポーザルに盛り込んだんです。
具体的には、「幸福度」のような指標化を今後の市政に盛り込むべきである、と。

なぜなら、「幸福度」という観点は、大都市東京の荒川区やマーケティング上、日本の縮図と言われてる静岡県のような場所ではなく、日本海側の一地方都市であるM市でこそ旗手として掲げるべきであると考えたから。

もちろん、この「幸福度」指標化には課題がたくさんあることは承知しています。していますが、今、時代が変わりつつある潮目がハッキリしているのに、それを見過ごして、従来通りの「経済指標」や「産業振興」を謳ってればいいのか?という疑問に対して、僕ははっきり「ノー」という答えが出てしまう。
それらが大事じゃない、とは言わないけれど、それらを追い求めて来て、ふと「これがベストだったのか?」と立ち止まってるのが今でしょう、と。

結果的には、プロポには負けました。
自分のプレゼンテーションが悪かったのかもしれないけど、ショックでしたね。


一応、ここに書いておきますけど、島根県の総合計画にも盛り込むべきであると考えてます。
いきなり盛り込むのが難しければ、せめて指標化の検討、研究会立ち上げなどしておくべきではないかと思います。

だって、どんな政治であろうと住民・市民が「幸せに暮らす」環境を整えていくことが目的でしょう?
そのために産業振興があり、企業誘致があり、起業促進があり、UIターン促進があり、医療・保健・福祉の充実化があり、子育て支援があるわけです。
それらの究極的な目的は、誰もが「幸せ」を感じられる社会でしょう。


はぁ。ニケ並にくさすぎてギップルを召喚してしまいそうですが、いきおいでポスティング。


※ギップルとは

マンガ『魔方陣グルグル』の登場人物で、ニケとククリに同行する、風の精霊。外見はかわいくも見えるが、ふんどしの上にマントを着用しているのみ。着ているマントは伸ばせばテントになり、野宿に便利(※上を見あげれば褌が丸見え)。クサイせりふを極度に嫌い、聞き続けると死亡するらしい。

2012-02-17

ひとの「つながり」の創出と強化が地方が目指すべき方向

地域再生を仕事にしながら感じていることは、地域においては何よりも「ひと」の存在が重要である、ということです。
それは以前にもこのブログで書いてきたことです。

2011.06.15|Styles: 最後は”ひと”

2012.01.29|Styles: 地域の本質は「ひと」だと思う

さらに、この「ひと」という点に着目して、都市(東京)と地方との格差を認め、重要である「ひと」が集まっている東京の力はすごいよね、ということを書いた。

2012.02.07|Styles: 東京いいね


東京すごいよねと書きつつも、じゃあ地方どうするの?と考えていたんだけど、ふとアイディアレベルですが、つながったので書きなぐってみる。


つながったキーワードをあげておくと「ソーシャル・キャピタル」と「ファンドレイジング」。


NPOセクターの優位性:ソーシャル・キャピタル

地方には、地方再生の最前線には本当に魅力的な人、精力的な人がいます。
だけど、絶対数で言えばやはり東京に人材が多く集まってるんですよね。そこは僕は否定できない。
考えるベクトルが違う、とかはあり得ても能力的には否定できないです。

ただ、これまでに書いてきたことで欠けていた視点があったな、とも気づきました。
それは、「ひと」が集団として組織として動くときの力であり、動くための基礎的な力。

この力はソーシャル・キャピタルと読み替えることができると思います。

「信頼」や「ネットワーク」、「互酬性」といったもので構成されるソーシャル・キャピタルは、都市部の経済組織よりも、NPOセクター、地方における公益的組織の方が醸成されているのではないか、と考えています。

経済組織の強みは、端的に言えば投資に対するリターンをいかに効率化・最大化するか、という点について洗練されているところだろうと思います。
まあ、必ずしもそうとは言えない面もありますけど、一般的に言ってそうだろうなと思う。

対するNPOセクターの強みは、「つながり」を生み出し、拡大させていくことを目的としている点だと思います。
もちろん、投資に対するリターンの効率化や最大化という点においても、つながりの拡大という目的に対してもまだ十分な成果を出し切れていないNPOセクターが大半であろうというのもまた否定できないですが。

NPOセクターの強みである「つながり」の創出と拡大、強化は、おそらく2015年から2020年くらいまでを目途に大きくスポットライトを浴びてくるような気がします。
神田昌典さん(『2022―これから10年、活躍できる人の条件』)や竹井義昭さん(『社会貢献でメシを食う』)の本を読んでいても、だいたいこのあたりで、日本社会のシステム上大きな変革が起きそうだ、ということが示唆されています。

そして、その先にある社会は、懐古的な「つながり」ともまた違う、新しい形での「つながり」の上に成り立つ社会である、と僕は予測しています。

それまでに、地域やNPOセクターにおいていかに自分たちの価値観、理念、目的を共有し、さらに共感してくれる仲間を増やせるか、ソーシャル・キャピタルを醸成できるか、が自力をつけて「その時」に対処できるか否かをわけるのではないか、と考えます。


共感を広げるファンドレイジング

ソーシャル・キャピタル(SC)の醸成については、修士論文を書くときのテーマとしたので今でも気になって考えることがあります。
SCは醸成はできる。しかし、どうすれば良好なSCを醸成できるのかという点については十分に検討できないまま、次のような点を提案しつつ筆を終えたんです。


  • 地域内における「共食」機会を持つ。あるいは増やす


これについて参考になるのは宮崎県えびの市の「モエ(もやい)」という講の一種で、モエでは月に1回から2ヶ月に1回程度、モエの会員同士の食事機会を設け、そこで悩みの共有やグチを言い合うなどメンタルの支え合いなどが行われています。

残念ながら、修論の時点ではこれくらいまでしか書けませんでした。

しかし、最近ふと気になったのは、NPOセクターにおいて、マーケティングの考え方を応用したファンドレイジングの導入が進んでいる点です。

ファンドレイジングとは狭義には「寄付金集め」ですが、これは解釈があまりに小さい。

もっと本質的には、自分たちの価値観や理念をわかりやすく伝え、「共感」を得ることであると考えます。

つまり、NPOセクターにおいて「ファンドレイジング」の各種手法を用いて「共感」を集め拡大する。それがNPOセクターを中心としたSCの醸成になるんじゃないのか、と。

ものすごく粗い考え方だとは思いますが、この

ファンドレイジング→共感を得る→SC醸成

の流れの中のメカニズムをもっと理解できれば、単にNPOセクターの組織力、継続力アップだけじゃなく、さまざまな公益的組織でもSC醸成ができるのではないかと思います。
そのNPOに適したSCが醸成できれば、「その時」を迎えるとき、ブレることなく進むべき方向に進むことができる、と思いませんか?


おわりに

やっぱりこのへんは自分でもう少し検討したいな。
お世話になってる先生方にまた意見もらいながら、自分なりに勉強してみよう♪

以前アップしてたものは文字化け等あったので、再アップ。
修論発表会で用いたスライドです。
もし興味があれば、ご覧下さい。
地域の「共食」度合いをSCの構成要素とみなしてモデル化できないか?というものですが、うまくいってるわけではないです。。。







社会貢献でメシを食う
竹井 善昭 / ダイヤモンド社 ( 2010-09-10 )



2012-02-08

認定NPO法人とファンドレイザー

平成23年度は、寄付税制が改革され、NPO法も改正されたことで、認定NPO法人へのハードルが下がり、国内における寄付文化醸成にも大きな弾みがついた一年であり、さらに社会が変わる可能性を秘めた次の一年になると思います。

とくに、認定NPO法人の仮認定制度の運用開始は、大きな影響があると考えています。

メリット、デメリット両面ね。

メリットは、もちろん仮認定を受けることで実力のあるNPOが寄付を集めやすくなる環境を一応整えることができる点。
これはPSTのハードルの高さもあって、かなり大きなメリットになるのだろうと思います。

一方でデメリットとして考えられるのが、「認定NPO法人」のバーゲンセールのような状況にならないか?という心配。
杞憂に終わればいいのですが、バーゲンセール状態で考えられるのが次の点。


先行者利益

ひとつは、先行者利益。
現在、国内に40,000余りのNPO法人が設立されており、そのうち「認定NPO法人」となっているのは250弱という状況。
パーセンテージにして、1%にも満たないですね。
これが、今年の4月1日からは「仮認定制度」がスタートするので、割合としてはかなり高くなることが推測されるし、期待もされてると思います。

たぶん、ですが。
この先行者利益は大きいように思います。「先行者利益」というとちょっといや~な響きがあるかもしれませんが、「認定」の信頼度を活かして幅広くファンドレイズしようと思えば、これは大きいんじゃないかなぁ、と思います。

ということは、大きいぶん、後発組はそのメリットを十分に享受できるかどうかは微妙かな。
そこがファンドレイザーの腕の見せどころになるかもしれませんね。

あと、先行者利益以上に、寄付市場が活性化されてそんなもの気にする必要もないくらいになることが理想だとは思いますけどね。


プレミア感の相対的な低下

先行者利益に対する後発組の弱さ、という意味と重なる点もありますが、「認定NPO法人」が少ないから、「認定」に対するある種のプレミア感がある、というのが現状のような気がします。
どこまで企業セクターに浸透してるかは不明ですが。

それが、仮とはいえ認定が多産されることで、プレミア感が相対的に消失してしまわないかな、という懸念です。
消失または低下すれば、どうしても先に認定を取っていたNPOに支援が集まりやすくなるような気がしますが、どうなんでしょうね。


対抗策としてのファンドレイザー

上でも書きましたけど、状況はどうなっても日本国内の寄付市場はきっと活性化していきます。
自分で書いて矛盾しますけど、「先行者利益」も「プレミア感の消失」も、ファンドレイザーのアイディアと実践ひとつで何とかなるんじゃないかな、と感じてます。

それくらいファンドレイザーに対する期待を自分の中では強くしています。

NPOが活動を続けていくのに欠かすことのできない存在、それがファンドレイザーとなるのではないか。
研修やセッションを聞いて感じたことのひとつに、ファンドレイザーはNPOの財務部門を統括することも期待されてるのかな。企業で言えばCFO(最高財務責任者)のような役割になるのかも。

2012-02-07

ファンドレイジングの真髄に触れた三日間

3日の会場は国連大学

2012年2月3日から5日までの3日間、ファンドレイズというものにガッツリ入り込んできました。

2月2日の夜行「サンライズ出雲」で東京に向かい、3日は認定ファンドレイザー必修研修を受講、4日、5日はファンドレイジング日本2012への参加。

いっこ前のポストでも書いたけど、活気がすごかったです、東京ナイス。

ひとが資源、という趣旨のポストはこれまでに何度か書いてきましたが、東京でもそれは変わらない。


ファンドレイザー必修研修


2月3日、丸一日かけて研修で、300人ほどが参加されたようです。

まずはじめに、正直に言っておきます。さすがに、最終盤は疲れましたので、聞き逃しもありそうです。
しかも、疲れからか会場に手帳を忘れて帰る始末(苦笑ものですよ)

研修は、講師である鵜尾さんからも説明がありましたが、ファンドレイジングの「全体」を関連付けて説明するもので、「全部」を説明するものではありませんでした。
ファンドレイジングの「全体」を聞いた今思えば、「全部」をたった一日で伝えることはムリですね。

ということで、肝となる考え方、思想、理論から具体的な手法、ソーシャルメディアの活用などまで多様なテーマで解説がありました。

一昨年でしょうか、島根県で開催されたNPO活動推進大会で鵜尾さんの講演をはじめて聞き、ファンドレイジングの可能性を強く感じ、「共感を得る」という思想に共感し、何とかして自分もそこに関わりたいと思いながら仕事をしてきて、今回こういった形で一歩前に進めたことは非常に大きな意味を持つと感じています。

そして、鵜尾さんの講演のおもしろさ、飽きさせない話術、盛り上げ方はスゴイ。


ファンドレイジング日本2012

オープニング直前(2012.02.04)

4日、5日はファンドレイジング日本2012でした。
二日間にわたり700人が参加し、100人がなおキャンセル待ちだったというこのイベントに参加し、僕の中でも「あぁ、たしかに日本の中に寄付が成立していくのだな」という実感がさらにわきました。

ちなみに、2010年の大会では参加者400人、2011年大会では500人と着実に増えて、今回は700人ですからねぇ。
3.11があったということが大きな影響を与えているとはいえ、ファンドレイジングというものに対する意識が醸成されてきているんでしょうね。

2日間で30近いセッションが繰り広げられていましたが、いずれも興味深い内容でどれに参加しようか迷いに迷いましたが、参加したセッションはどれも面白い内容で満足です。

特に印象深いセッションは、初日だと加賀屋克美さんでしょうか。

ディズニーめっちゃ好きなんやなぁというどうでもいい印象とともに、ネット上では有名なエピソードも加賀屋さんの口から聞くことで、それがどれだけ深い意味を持っているかがよく伝わり、うかつにも目から汗が出る事態に。

二日目だと、Just Giving Japanの佐藤大吾さんと多田千尋さん。


Just Giving は以前知人から「ファンドレイジングといえば、こんなサイトがありますよ」と教えてもらっていたので概要は知っていたつもりでしたが、佐藤さんから直接いろんな話しを聞くことで、これものすごい仕掛けじゃないの?と、改めてその可能性を認識しました。

佐藤さんの印象的な言葉。
・ひとりに頼めるモノゴトは一個まで
・だったら寄付を頼まずファンドレイザーになってもらうことを頼むべき
多田さんは東京おもちゃ美術館の館長さんらしいけど、いやはやなんとも。
木育というアクションはすごくおもしろいなと感じました。
あれって、島根でもできる手法だし、やるべきだなと思いながら話を聞いてました。
多田さんのお話でも若干目から汗が……。

壇上の右側お二人は島根県から参加された方です


ファンドレイザーに向けて

僕自身2度ほど目から汗が出たように、ファンドレイジングに「共感」は重要なんだと思います。
それは必ずしも明確な「感動」である必要はないですけど、何か行動に結びつけるためには強い共感が必要ですね。

もうひとつ、今回のセッション中で共感した部分は、「寄付をお願いすることはかっこ悪いと思ってた」という話、でもそれは違うんだと気づいたという話。

これははじめて鵜尾さんの話を聞いてからずーっと考えてきたことで、自分の中での結論と今回のセッションで示された一つの結論が結びついて、「うん。そうか」とひとりで納得していました。

それはちょっと傲慢に見えるかもしれないけど。

まず前提として、多くの人は何らかの形で社会に関わりたい、できれば貢献したいと思っている。
しかし、日常的には仕事や家事・育児など忙しいこともあり、そうそう関わることはできない状況がある。
その対極に、地域課題を解決するためのNPOが存在しているが、慢性的に財政不安、人材不足である。
そうであるなら、NPOに寄付することは間接的に社会に関わることになり、NPOである以上、自分たちの活動を説明し、共感を得る努力をし、寄付を集めることはある意味で責務である、ということ。

つまり、寄付を呼びかけることで社会にかかわる機会を提供するということ。

そして、その間を取り持つことで寄付や共感を集めることができるのがファンドレイザーであるということだと理解しています。

僕の進むべき方向性が見えた気がした三日間でした。


最後にどうしてもひとつ。
司会を努められた山元香里さん、めっちゃキレイでした!!


2012-01-29

地域の本質は「ひと」だと思う

地域再生ってどうすればいいのか。難しい問題です。
いろんな成功事例の情報はウェブ上にもたくさんありますが、個人的な感覚ではどれもピンとこない。

行政としては「成功」事例からヒントを得てほしくて公開してるんでしょうけど、そもそも瞬間的な「成功」を切り取って云々は僕の中では「ないな」といった感覚だし、行政の姿勢としてそれ以上に働きかけよう、という熱はあまり感じないですね。
まぁ、有力な団体等への話はいろいろとあるようですが、そのへんのカラクリは下で紹介している本の2章などを読めばなんとなくわかるかな。

ということで、『地域再生の罠』を読み始めてます。

2章では、松江市の天神町商店街も取り上げられています。
取り上げられている、といっても『失敗』という位置づけで、ですが。

著者は、『日本版スローシティ』の久繁哲之介。
『日本版スローシティ』は正直、がっかりした部分もあったので、こちらはどうかな?と期待半分。






2章の途中まで読んで重要だなと共感した点は、問題の「本質」を考えない施策が多く、しかもそれらが大した検証もされずに専門家によって「成功事例」としてまつり上げられ、劣化・模倣した「地域再生策」を拡大再生産している現状。


問題の本質

本質ってなんだろうと考えた時、やっぱり行きつくのは「ひと」だと思う。

ちょっと話は飛ぶけど、前々から気になってるのは子どもの教育・学習環境。
いわゆる「ゆとり教育」はずいぶんと批判され、もとに戻ったわけですが、これも検証なんてしてないよね。
あえて言うなら学力テストで順位が落ちたとか何とか。
でも、不思議なのは学校の成績なんて社会に出てからの能力とはぜんぜん違う、という大人たちが教育に関しては学力を重視していること。
いや、違うだろ、と思ったりするわけですよ。

これも問題の本質を考えない好例だと思います。

さて、ひとという本質を見ずに、町並みの化粧、うつのみや109だとかうつのみや表参道スクエアといったハード整備に対する批判が本書第1章でされてます。


異論を取り込む気があるか否か

少ない経験ながら、いくつかの仕事を通じて感じるのは、ある程度のレベルで「結論ありき」で話が進む点が問題だろうと思ってます。
たたき台があることは必要だろうと思うけど、そこで出た意見、異論を受け入れるつもりで議論してる場合とそうでない場合とでは、その後に大きな影響を与えることになると感じてます。

事務局案としてはこれはこうですから、一応話は聞きますが事務局案で進めさせていただければ……

なんて言われたら、議論する必要ないじゃんて思うでしょ。


地域の中で共有すること、見方の違いを認識すること

先日、某町で、町の宝さがしまち歩き・ワークショップを行なってきました。
当日までの1週間程度は天候も悪く、果たして人が集まるのか?という不安は本番直前までありましたが、蓋を開けてみれば15名程度の人が参加してくれました。


3班にわかれてまち歩きをし、好きなところ、子どもたちに伝えていきたい/遺していきたい町の宝をマップに落としこんで行きました。


参加していただいた方からも「楽しかった」という言葉が聞こえて、スタッフとしては反省しつつも良かったなと思いました。

印象的だったのはWSの最後に「他の班のマップも見せてもらえるのか?他の人がどんなものを見つけたのか知りたい」と仰っていたこと。

この地域では20年ほど前にもまち歩きをされた実績はありますが、それ以後あまりそういう機会はなかったようで、地域の方にとっても他の人がどういう目線で歩いたのかが気になるようでした。

この、「他の人が地域をどう見ているか」を、共有することが大事だと思っています。
違いを認識し、それを踏まえてはじめて次の段階に移行できると思ってます。

スタート地点の違いに気づいていれば、ゴールさえ共有できていればあとの問題はなんとか乗り越えられるだろうというのが僕の持論。


中山間地域にしろ、商店街にしろ、そこに人が住み続けなければ、“暮らし”とそのための空間や機能が維持されることはありません。

であるから、ひとが大事で、ひとに焦点を当てなければならないと考えています。



最後に

本書2章の途中に、起業リスクについても触れられていました。
最近はこの問題についてふと考えることが多く、どういうセーフティネットがあれば起業に踏み切りやすくなるんだろうなーといろいろ勉強しないといけないな、と思ってます。

2011-12-08

ネットワークはあるべき時に生まれる


出会いに感謝 - イラスト素材
(c) こんにち和|イラスト素材 PIXTA



今日は、ネットワーク(人脈)づくりのお話。

仕事をしていれば、それなりにいろいろな方とお会いする機会があり、名刺交換などもさせていただきます。
また、そこで知り合った方がまた新しい方を紹介してくださる、ということもあります。


時間を少し戻して。。。

社会人1年生~3年生ころまでは、このネットワークづくりというものがどうしても性に合いませんでした。
性に合わない、というよりも自分の考えとして「ちょっと違うんじゃないか」という思いがありました。

それは何かというと、
社会に出たばかりの今の自分がいろんな人に会って「人脈づくり」と鼻息荒くしても、意味ないんじゃないか?
というものでした。

これには多分に人見知りというコンプレックスの影響もあります。

でも、それ以上に
人は出会うべき時に出会う
という考え方だったので、無理してネットワークづくりに励むことができませんでした。

この考え方自体は今もさほど変わりません。

とは言え、いろいろな出会いを通じて積極的にネットワークを作っていくことも「アリ」だなと思うようにはなっています。

だから、ネットワークづくりにガンガン動ける人を見ると、自分にはできないことを平然と乗り越えていく様を見ているようで、「あー すごいなこの人」と素直に感心します。
これは無理やりやっている、というよりも、その人が「いま」と感じてるから、良いネットワークが生まれていくのだろうと理解しています。

それと、「ひとと出会うことが好き」という人なんだろうなと思いますね。


要するに、自分のペースで人と出会っていけばいいんだ、というお話。

2011-10-30

パラダイムシフト(TPP、昭和一桁世代etc)を受けての地方都市の戦略とは



”日本人”が好みそうなフレーズの前では「思考停止」


携帯電話通信_964843_yy - イラスト素材
(c) Asadal☆|イラスト素材 PIXTA


風呂に入りながら『TPP亡国論』を最初から読み直してみた。と言っても、序章と1章の最初くらいだけど。

その中に、日本人は「開国/鎖国」や「自由貿易/農業保護」といったキーワードが出てくると途端に思考停止に陥り、論理的かどうかは関係なく、「だからTPPに参加しなければならない」という結論になる、という批判がありました。

グローバル化も”開国”も自由貿易もすべて一見すると、「良いこと」のように見えますが、「本当にそうか?」とふと立ち止まって考えることこそが大事なんだと思います。


これと似た構造で僕が不思議に思っているのは「ネアカ/ネクラ」、「明るい人/暗い人」。これも、「暗い人より明るい人の方がいいよね」というなんだかよくわからない”感覚”で判断して、「本当にそうか?」と考える人って少ない。
自分がネクラだから、というわけじゃないけど、ネクラは悪いのか?ネアカはそんなに素晴らしいのか?と思うわけです。

僕から見ても、TPPに関する議論、特に賛成派の論点て、そのレベルにしかなってないと思うんです。


スポーツのルールでさえコントロールできてないのに、よりシビアな経済ルールをコントロールできるとでも?


子供 スケート 氷上     - 写真素材
(c) デジ009|ストックフォト PIXTA



中野氏もどこかの動画で触れてましたけど、鈴木大地以降バサロ泳法が禁止になり、長野オリンピックの日の丸飛行隊以降、スキージャンプのレギュレーションが変わったり、近年のフィギュアの採点基準が変わったり、とにかくルールを都合よく変えたものが勝てるようになることは明白です。

もちろん、安藤美姫や真央ちゃんのように、不利益を被るルール変更にも負けずに乗り越えて大きな感動を与えてくれましたが、基本的なルールの部分は何も変わりません。

このルールの部分が、TPP以降で変わってくる可能性があるんですね。
それは極論すれば、僕も含め、あなたも「安藤美姫」なり「浅田真央」なりのレベルになることを求められるのと同義です。
でも、いろんな事情でそんなレベルになれない人、産業がほとんどだと思います。
だからこそ、それぞれの国では弱い産業や自国にとって極めて重大な産業を保護したりする一方で、強みが発揮できる産業を開放するわけですよね。

その交渉をクリアしていくのが外交政策であり経済政策だと思います。

そして、今回のTPPや、FTA、EPAだったりが国際交渉の場として用意されています。
FTAは基本的に2国間で、利害調整がし易い枠組みと言われていますが、そのFTAでさえ調整は難航しますし、米韓FTAのような事態が発生することもあります。

一方、TPPは10ヶ国程度が参加して議論するわけですが、まとまるのでしょうか?
まとまるとして、日本に有利なルール作りができるのでしょうか?中野氏が明らかにしたように、TPPは実質的に日米間の協定ですが、単純な政治力で言えば、アメリカに軍配が上がることは明らかです。
では、他の参加国がアメリカを向こうに回して日本を応援するのでしょうか?
これについては、中野氏が触れているとおりだと思います。

そもそも、スポーツのルール作りでさえ、いいようにされているのに、さらに大金が動く経済のルール作りではなぜ「日本の有利なルールとなるように働きかければいい」などと言えるのでしょうか。
日本が政治力・交渉力を発揮できるとは到底思えません。


人それを「匹夫の勇」という

TPPに関しては非常に悲観的な話ばかりしていますが、別に競争を否定するつもりはないのです。
ただ、思考停止した状態で、相手に有利なルールのマットにノーガードで突っ込むことは勇敢でも何でもない、ただの無謀。匹夫の勇というものです。

そんな無謀が許されるのは「神様にケンカをうってる一族だ」と嘯ける陸奥九十九だけです。

が、野田総理は議論に参加することは決めたらしいので、もう交渉から降りることは不可能でしょう。
走り始めたバスは終着駅まで決して止まりません。



あと、中野氏の出演されていた番組をYouTubeで見てがっかりしたことが一つ。
なぜ野田総理が結論を急いでいるのかといえば、オバマ大統領が国内で厳しい状況にあるので、TPPを手土産にして覚えを良くしたい、とそんな程度ですよ、と別のコメンテーターが話してたこと。


今後の地方都市の戦略

では、こうした社会情勢を受けて、基本的に打撃を受けることになるであろう産業を多く抱える地方都市は、今後5年あるいは10年の戦略をどう考えるのか。


水 波紋 水面 背景素材  - 写真素材
(c) Graph-S|写真素材 PIXTA



それは、今パッと思い浮かべるとしたら、大字(=概ね公民館区)程度を基本単位として、

  1. 食料自給
  2. エネルギー自給
  3. 水(地下水)自給
  4. エリアにおけるソーシャル・キャピタルの分析と醸成

を段階的に実現していくことを目指すことが必要でしょう。

1,2は言わずもがな。生きていくために必要となりますし、3は今後ますます重大な問題として顕在化してくると思います。

北海道では既に問題化しているという話も伝え聞きますが、水も無限ではなく、しかも一度汚染されるとクリアされるまで数十年単位の時間を必要とします。口にできる水の自給圏を確保することは、生きていく条件であり、世界を相手とした時のビジネスの切り札にもなるかもしれません。

4は、要するに地域の強味と弱味を、一般的な地域資源ではなく、そこに暮らす人の「こころ」から明らかにしましょう、ということです。

こういうの、いろんな人と一緒に考えてみたいんですよね。


パラダイムシフトが現在進行形で起きている


CHANGE - 写真素材
(c) ちょび|画像素材 PIXTA


個人的な考えとして、これまでの5年間でパラダイムシフトが起き始め、と今後の5年間でパラダイムシフトがどうなるかがある程度見えてくる、重要な10年間だったと振り返るようになるのではないか、そんな風に感じています。


国内的には、昭和一桁世代がますます地域から減っていきます。人生の、日本の先達が持っているさまざまなノウハウ、生き様、知恵、知識が失われ、新しい局面に突入します。
さらに、エネルギーや食料の価格高騰も懸念されます。

そして世界に目を向けると今回のTPPです。

国の内外で大きな揺さぶり要因がこの5年10年に集中している、というのがパラダイムシフトが起きつつあると考える理由です。

2011-10-04

まちづくり・地域再生に携わる人間としての動き方


まちづくり、地域振興、地域再生。

こういう場面において、僕らのようなコンサルタントが出る幕とはどんな状況なんだろう。


まちづくりの場面におけるコンサルタントの意義

仕事に関して、いつも思うことのひとつに、自分がやっている仕事は決して専門的な知識や技能が必要なものではないということ。

要するに特殊な技術・技能は、あまり必要とされない。

しかし、自分もこの仕事で生きていくためには、何らかの価値を提供しなければならない。
価値がなければ、特殊な技術・技能を必要としないのだから、ある意味で競合は多いのです。

それは例えば、NPO法人だったり、あるいはやる気のある行政職員だったり、行政そのものだったりもします。
本当にこの競争はしんどいところがあります。

コンサルに出すくらいなら、自前でやれ。それは一理ある。
なぜなら、コンサルティング料は基本的に高いです。
高い金額を支払って、一時的な成果を手にしても、その成果を出すノウハウは手元に残らない可能性もあるのだから、「人材」の重要性が認識されつつある今、できるだけ自前の人材を育てるためにも、外部に出すことへの躊躇が生じるのは理解はできます。

では、僕らはどんな価値を提供すれば??


自分でなければダメだというところに持っていく

肝心なのは、いかに地域に惚れ込むか、地域を好きになれるか、ということ。
特に僕の場合、よく知らない地域に対して適当なことを提案することが非常に苦手。

地域と長く関わり、地域の人から話を聞き、そうやってはじめて「ああすれば、こうすれば」というイメージが湧いてくる。

そういうイメージと「好き」という思いが重なりあってはじめて良いパートナーシップが築けるのだろうと思います。

良いパートナーシップを続けていくことで、少しずつ少しずつ、あうんの呼吸を共有し、最終的には自分でなければダメだ、というところに持っていくことが必要だろうと思っています。

相手を好きになる、という点に関しては下の本は参考になります。
企画書はラブレターです。



企画書は手描き1枚
高橋 宣行
ディスカヴァー・トゥエンティワン ( 2011-07-16 )
ISBN: 9784799310304





弱点は時間と手間

しかし、この手法の弱点があります。
これは自分が至らない、ということもありますが、とにかく時間と手間がかかります。
個人的には、どれだけの時間を投入してもいいと思ってるのですが、それとはまったく別の軸として、会社員としてどうなんだ、という評価軸があります。
これが今自分の中では相反する状況です。

で、ここからが考えても答えがでないところなんですが、地域再生に関するコンサルタントという仕事は意外といるんですね。

最近の有名どころだと、studio-Lの山崎亮さんなんかもそうだと思います。

こういうところって、どうしてんの??ってこと。

地域から信頼を得ようと思えば、相当時間かけなきゃできないというのが今の自分の中の結論で、その結果、ある意味でさまざまなコストが発生する。

でも、地域再生などを課題としている地域の多くはそれほど大きな金額を支払えないと思うんですよ。

そうなると、少ない金額の中でできる限り、、、ということになるんだろうけど、そこがわからない。
その辺、どういう企業努力されてるんだろう、ってところが謎なんですよね。

もしかして、本当に自分の動き方にムダが多すぎるのか?と思ったりもするけど、判断できないんですよね。
必要な動きだと思ってるから。。。

は~・・・。謎ですよ、ほんと。

2011-09-08

隠岐の島ものづくり学校に期待



隠岐の島ものづくり学校に関する地元調整会議に出席してきました。

この会議は昨年度から継続的に開催されていて、今回が一応最終回、という位置づけでした。


世田谷ものづくり学校からも毎回来られて、事業イメージや施設イメージなどを繰り返し説明されていたのが印象的でした。


今回の話を聞いて感じたことは、ジオパーク絡みで、ものづくり学校に入居することでいろんな可能性、展開が広がるんじゃないか、ということ。

ものづくり学校には、少しずつでも島の内外からクリエイターが入ることになると思います。
そんな方たちの中にジオパーク関連組織が入ってると、ジオパークをテーマに、いろんなアイディアが生まれてくる。そんな空想、夢が広がりました。

しかし、いかんせん現状では主体的に動ける人が不足している。。。

自分なら動ける?いやしかし・・・。

でも、ここまで隠岐の島と関わり、エコツーリズム推進からジオパーク世界候補推薦までずっと共に取り組んできて、目の前には大きなチャンスが開けるドアがあるのに、人がいないから見送る・・・?

そんなこと、もったいない。

自分にできることって??

2011-09-06

平成幸福論ノート 読了



ずいぶん前に読み終わってたんですけどね~~~^^;



日本における「幸福論」

日本という国において、「幸福」とは何かを考える時、長らく続いた自民党政権という要素と、イエ制度の名残とも言えるかもしれない、大黒柱が一家の稼ぎの大半を担う構造が大きく影響を与えていた、と本書は指摘します。


自民党はよくも悪くも利権配分機構として機能してきた結果、(中略)幾重にも折りたたまれた「箱庭王国日本」の幸福を守ることに寄与してきた。(P.20-21)


背景にあるのは、大黒柱の男性一人が一家を養うという「家族賃金モデル」(P.21)

ここで言う「箱庭王国」の表現に、とてつもない筆者の日本に対するアイロニーを感じます。
まあ、たしかに外海で大きく隔たれた島の中、国民は大きく異なる文化との直接的に向きあう機会を逸してきたことからも、「箱庭王国」とは言い得て妙かもしれません。


女性の力をどう活かすのか

どうもダラダラ書いてしまうクセのようなので、今回はスパッと気になった点をピックアップ。

この本で一番心に残ったのは、「母親たちは地域社会のサイレント・マジョリティ」(P.149)の節。

中でも、

どのような場所であっても、そこから逃げられない人間こそが、真にその場の問題の解決を願い、実質的なコストを負担せざるを得ない。したがって、母親たちの声を汲み上げられないということは、地域社会の声を聴かないことに近しい。(P.150)
という箇所です。

この点について、心情的にはすごくよくわかります。
ただ、サイレント・マジョリティというのは広く捉えれば市民のほとんどはサイレント・マジョリティと捉えることができ、そういう人達の多くは「無関心」であることもまた多いと言えます。

無関心でなくても、「あきらめ」に入っている場合もまたあり、そういう人達を巻き込んでいく、参加してもらうようにしていくことの難しさは、地域再生の現場を少しでも知る人間なら誰もが共有できる悩みではないでしょうか。

ただ、女性の力を活かす、発想を取り入れるということは必要だと思います。
生物が多様性を有するように、アイディアも多様性に富んでいる方がアクションの選択肢が増え、結果として参加する人が増えることにつながり、地域の総体として活力が高まると考えます。

それがその地域のソーシャル・キャピタルとして醸成されていくのでしょう。


おわりに

僕は最近、地域計画系の提案をする時には必ず、現状把握として、若いお母さん、働き盛りの30~40代男女へのヒアリングを入れてます。

短期的成果だけ見れば、「そんなヒアリングしても変わらないでしょ」となるのかもしれませんが、それは違う。

ヒアリングを通じて地域を客観的に見つめ直すことになります。
すると、ヒアリング対象者の中からはもしかしたら具体的なアクションを起こそう、ということにつなげていく人が出てくるかもしれません。

ヒアリング調査にそういう恣意性というのかな、誘導をするようなやり方はマズいと思いますが、ヒアリングを通じて自己と地域との関係性を客観化できる、というのはひとつの効果であり、それは将来に向けて大きな波紋を創りだすと思います。

だからこそ、若い世代へのアンケートではなく、直接対面式のヒアリングが重要だと考えます。







概要


書名 平成幸福論ノート 変容する社会と「安定志向の罠」
著者 田中理恵子(Tanaka Rieko)
出版 光文社新書(2011/03/20)


■目次
 はじめに
 第1章 日本の「幸福論」の迷走
 第2章 結婚と孤独死の間に
 第3章 「会社村」と「草食男子」の間に
 第4章 「安定志向」がリスクに転じるとき
 第5章 「昭和の鎮魂」から「つながりの再編」へ
 おわりに

2011-08-22

CI:コーポレート・アイデンティティからコミュニティ・アイデンティティへ


チーズ - 写真素材
(c) jun|写真素材 PIXTA



もう、2年ほど前になるのかな。ずいぶんと時間も経過したし、実際には方向転換されたみたいだし、少し力不足に感じたことを思い出したので記しておく。


隠岐のウシと言えば

以前、隠岐で「酪農ができないか?」という話があり、検討チームに加わっていた。
隠岐と言えば、海士町の潮風牛が有名なように、主にというより完全に肉牛生産だけという状況。しかし、島内には加工処理施設がない。あるのは本土の大田市。

そうすると、肉牛が盛んなわりに、畜産“業”としての雇用効果が波及していないのではないか、ということが発端だった。
酪農であれば、どういう商品を生産するかにもよるけれど、飼育・肥育担当、ライン担当、営業担当など波及効果が見込まれる、ということでその可能性について検討を進めた。


放牧 - 写真素材
(c) すずかけ通り|写真素材 PIXTA




やはり肉牛

結果的には、酪農には踏み出さず、肉牛生産をより強化する方向で地元は固まったようで、残念だけどいろんな力不足であるので、仕方ないのかなという感覚。

何が力不足かを自己分析すると

  • 酪農に対するノウハウ不足
  • 酪農に関するネットワーク構築能力の不足
  • 十分な熱意とマンパワー
こんなところかな。

地元的には、肉牛生産に対するノウハウが豊かで、経緯的には数十年前に乳牛生産を辞めたということもあり、そこには向かわなかったのだなぁ。


もしかしたら安心できる地域から供給できていたのかも

少し話は飛ぶけれど、福島原発の関係であちら方面の乳牛もかなり厳しい状況にあるようだ。
そんな時、もし隠岐で着手できていたら……と思うと、国内の自給率をあげられるほどの生産力はそう簡単に得られないにしても、地元自給率と、余剰分を少しでも安心できる地域で生産されたものとして供給できていたのではないか、と思うと力不足が今になって口惜しい。

個人的には、隠岐での酪農には可能性を感じていたのだけど、それをうまく説明できるデータを作れなかったこと、自分の知識不足等もあり、みすみす逃してしまったのではないか、そういう思いがどこかにこびりついている。
商品のラインナップなんかも楽しみながら考えたりして、なかなか楽しい経験ではあった。

当時作成した資料より 商品展開イメージ

ブランド戦略・コーポレート・アイデンティティ

当時は、ちょうど島根県の中小企業団体中央会主催による農商工連携セミナーにも参加していたので参考になる話やブランド構築、マーケティング戦略など多くあった。

自分の中ではこの時はじめてまともにブランド構築、マーケティング戦略の重要性を認識できたのかもしれない。

その時に考えたアイディアのひとつが、隠岐のテーマカラーを設定し、それを中心にCI構築、マーケティング展開、メディア対応などをしたら、ひとつのまとまったイメージとして隠岐を売り出せる、そんな風に思い描いた。
自分の中ではやはり隠岐は海、ということもあり「OKIブルー」というものを創り出せるとおもしろい、そう考えていた。

その経験を無駄にしないためにも、隠岐ジオパークの戦略構築においては、こういう考え方を導入し、戦略に基づいた事業展開をしてもらえるよう提案していきたい。

地域においても戦略は必要だと思っている自分としては、CIを単に企業のブランド構築としてのコーポレート・アイデンティティと捉えるのではなく、コミュニティ・アイデンティティとして捉え、地域としての価値を再定義する、そんなことも必要なんだろうと思う。

だから、実は隠岐ジオパークがいま募集しているロゴマークも非常に重要だと思う。
できることなら募集前に戦略、CIを議論しておければ良かったな、とこれまた自分のいたらなさに口惜しい。

2011-08-21

議論から逃げてはいけないんだ

フジテレビの「偏向報道」に対する抗議活動がかなり活発化していますね。

主な反論としては、「人種差別」や「嫌なら見なければいい」というものが展開されていますが、問題の要点はそこにないので、納得できるものではないし、そういう“返し”はむしろ反発を招くでしょう。

また、「嫌なら見なければいい」という姿勢に対してはミステリ作家の深水黎一郎氏が議論を整理しています。

Togetter - 「フジテレビの韓流問題に関して テレビの偏向を叩くべき」


流行は産み出すものだと言われるけれど

個人的な考え方としては、流行ってもいない韓国人アーティストを、さも人気があるようにしている点については「ゴリ押し」だと思うし、電波が公共性を担保しなければならないのにもかかわらず偏向報道にある、という感覚は持っています。
それさえも「メディア・リテラシー」という言葉で誤魔化してきたのがこれまで、という風にも思います。

百歩譲って、音楽番組で彼ら・彼女らが取り上げられ、活躍するのはいいと思います。が、一番がっかりしたのは、すぽると!内で珍しくNBAに多めに時間を取られた時でした。
レブロン・キング・ジェームズなどNBAの「新しい時代」という言葉で紹介する前段で、なぜか「時代と言えば少女時代」と、何の脈絡もなく差し込んできた時ですね。
これって、何なんだろう。。。って、虚しさを感じました。


『不自由な経済』

と、いったことはまあどうでもよくて、今、『不自由な経済』(松井彰彦)を読み始めてます。
その中の「第Ⅰ部 市場を考える」の「電波オークション」という項で、電波オークションについて触れられていました。
少し抜粋すると
諸外国では、この電波に関する市場を作る試みが盛んに行われている。例えば米国では、連邦通信委員会(FCC)が周波数帯をオークションを通じて割り当てている。(P.57)
とあり、欧米を中心に、電波オークションによって政府収入増を図ろうとする取り組みが広がっていることを紹介しています。
ちなみに、イギリスでは2000年には収益が340億ドル、ドイツでは460億ドルに達したということで、日本円換算でおよそ3兆円が政府収入としてカウントされている。

一方の日本をみると
テレビ局など既得権者への配慮が手厚い日本政府の電波料からの収益は、年間600億円程度にとどまる。割り当て方法も不透明で、非効率的である。(P.58)
という状況のようです。

では、なぜ日本で電波オークション導入が進まないのか、という背景についても若干触れられており、既得権者の反対の他に、欧米での失敗事例があるということが挙げられています。

落札業者が大きな損失を出し、結果として消費者利益を大きく損なう事態が生じているケースもある、ということのようですが、それは落札企業の勉強不足が原因であってオークション制度の責任ではないし、それを理由にオークション制度導入に反対すべきではない、としています。


電波市場が日本では未形成

本書で言いたい点は、おそらく電波関連について日本では市場が十分に形成されていないということでしょう。このあと、電力についても触れられていますが少数の企業に独占されている状況は好ましくない、経済的損失も大きいというニュアンスで書かれています。

何にしても、「嫌なら見なければいい」などと議論することを放棄するのではなく、どうあるべきか、現実に即して何ができるのかといったことを議論することは歓迎すべきだと思うわけです。
議論さえしない、というのは誰にも納得できないものでしょう。
今回の議論を「韓流」や「嫌韓」、「人種差別」などと矮小化していいものではないと思いますね。

あと、声を発さない市井の人々の認識と知性をあまりなめないほうがいいですよメディアは。
これはまちづくりでも同じだと思う。
話して、伝えて、すぐには理解得られないかもしれない。そういう経験の積み重ねがあって、そこにコストをかけるなら別の所にかけたい、という気持ちもまた理解できますが、理解を得る努力は積み重ねて、継続してはじめて意味があると思いますので、難しいし大変だけど、だからこそしなければならない。
ファンドレイジングも同じ事だと思ってます。考え方が合わなくても、議論をすればいい。

「協力はできないけど、あんたの言いたいこと、やりたいことはわかった」

そう言ってもらえればいいな。




不自由な経済
松井 彰彦
日本経済新聞出版社 ( 2011-07-23 )
ISBN: 9784532354725


2011-08-15

信頼できる仲間

ワインライフ.ワイン.セミナー. - 写真素材
(c) td.lemon|画像素材 PIXTA


先週末、同じ仕事をしているひと二人と僕とで飲みながら話をさせてもらった。

そこでは、最近個人的に考えていたあるアイディアを話して、それに対する意見をもらいました。
まだどうなるともわからないアイディアなので諸手を挙げて、というわけにはいかないけど、ある程度賛同してもらうこともできて今後にはずみがついたかな。

その二人とは付き合いはまだ浅いけど、かなり信頼している二人で、話をするといつも刺激をもらえるので、大変ありがたい。

自分の来し方行く末というものを考える時期に入っているのかもしれないな、とふと思う。

『コンサルティングとは何か』 読了


7月末に購入した『コンサルティングとは何か』(堀紘一)を読み終えました。


日本発の一流の戦略コンサルタントファームを育成する、という堀紘一氏。
その具体的な形が、ドリームインキュベータですが、本書ではコンサルタントとは何か、コンサルティングとは何か、ということについて主に書かれています。

また、ここでいうコンサルタントとは、主に戦略コンサルタントのこと。具体的な名称で言えば、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)やマッキンゼーです。
日本で多くみられる銀行系のシンクタンク、◯◯総研といった「総研系」コンサル、あるいはITコンサルは、本書で言うコンサルには含まれていない。


氏が言うコンサルタントには含まれないのかもしれない、自分もコンサルタントであるので興味深く読めた。
読み終わった今、改めて思うのは、企業戦略コンサルタントだけでなく、今の時代は地方や公共といった部分にも”戦略”の必要性は高まりつつあり、その中で生きていきたい、と思う自分がいた、ということかな。


頭を使う、知識労働の実態

本書でおもしろいな、興味深いなという話はいくつかあった。
簡単に列挙するとこんな感じ。


  • コンサルティングのフィーの決定システム : 時間単価×投入時間×マルチプライヤー
  • コンサルティングを成功させるにはファームの努力だけでなく、発注側の「覚悟」こそが問われる
  • コンサルタントは「論理」で生きる
  • 「まけろ」と迫りヤル気を減退させるより、気持ちよく働かせたほうが実質的には大幅な時間単価になる
  • 長年続く成功体験はときに新しい発想の阻害要因となる=「成功の復讐」
  • 問題をどう設定するか、がもっとも重大
要するに、知識労働というのは何か成果を形として示すわけではないので、その価値が十分に認められていない現状に対して、コンサルトはこういうもの、ということをわかりやすく示されている。

戦略コンサルタントではないけれど、お客さんとの関係、仕事の進め方や考え方、コンサルという生き物と習性というのは読みながら「あるある(笑)」と思いながら読んでた。

フィーの決定システムはある意味では生々しい話だけど、実際にはきわめてシステマチックな決定方法であるため、わかりやすい。


コンサルタントをうまく使う方法

これはもう極めて簡単なこと。
コンサルに委託なり何なりで金を払って仕事をさせるなら、担当のコンサルをヤル気にさせて気持ちよく働けるようにしてやればいい。
金額はだいたい最初に決まるので、後から追加で請求することはほとんどないんじゃないかと思う。
であれば、まけろとディスカウとを迫るより、ヤル気をくすぐればいい。

現場は大事だけど、コンサルの仕事は頭をつかうことであり、現場にいなくても、自宅でも、シャンプーしてても顔を洗ってても、何をしてても頭を働かせることはできる。
事実、自分も「この人のために」とか「この地域のために」と思えるところに対しては、仕事の時間以外にも当然いつも気にしているし、新聞、雑誌、ネット等いろんなメディアで情報を集めている時、引っかかるものがあれば、「これはあの組織に応用できるな」「これはあの地域で使えるかも」と思うもの。
この考えている時間は金額意外の部分ですので、気持ちで動いていると言える。

コンサルタントも人間だ。気持よく仕事をさせてくれる人に対しては、120%力を出しきって頑張りたいと思うのが心情だ。反対に、ことあるごとに仕事にけちをつけてきたり、料金を「まけろ」と言ってくるような人に対しては、手を抜くわけではないが、気持ちの乗りが圧倒的に違う。(P.233-234)

何のためにコンサルを入れるのか

コンサルティングは、組織としての戦略を見直し、変えるときにはドラスティックに変えることも必要となる。
優秀なコンサルならいろんな提案ができるだろうし、実行できるものを提案する。
しかし、実際にその提案を受け入れ、理解し、実行にうつすことができるのはクライアントだけ。コンサルはそのために説得もすればプレゼンもするけど、受け入れられなければ仕方ない。

コンサルも良い提案なら自信をもってプレゼンテーションしなければならないが、クライアントもコンサルタントが提案したことを実行に移そう、という覚悟がやはり必要です。
そこに痛みがあるかもしれない。誰かを何かを犠牲にすることもあり得る、自分が身を切る思いをすることもある。だけど、それでもやるべきことはしていかなければ、何のためにコンサルを使うのかわからない。
非常にもったいない話です。

個人的には、地方行政はもちろん、NPO、任意団体、地域活動団体などはもっとうまくコンサルタントを使うべき、と思っています。


コンサルタントという存在

今の日本において、コンサルタントというと「かっこいい」と思われるのは戦略コンサルタントだと思う。でも実際にはいろんなコンサルがいて、いろんなコンサル会社がある。

その中で、過去の積み重ねもあるんだろうけど、コンサルに対するイメージは必ずしも良くはない。
中身のない、ラベルだけ張り替えたような報告書、提案を持ち出すコンサルも実際あるでしょう。

仕事をしていていつも思うのは、コンサルだけじゃなく、これまでのインフラ整備等に関するいわゆる「ハード」の仕事に対する価格設定と、それらをどう活用していくのか、地域として今後どう生き残りをかけて道を定めていくのか、という「ソフト」の仕事に対する価格設定と大きな開きがあって、これがどうにかならないものか、と思う。

過去失ってきたコンサルに対する信頼を取り戻すことも必要で、そのためにも地方行政、NPO、任意団体、地域活動団体はコンサルをうまく使ってもらいたい、と思う。

なぜなら、自分が考えるコンサルタント像は、ともに汗をかき、ともに考え議論して、新しい枠組みを考えだしていくことであり、さらにその実行フェーズにおいても、支援することだから。

作って終わり、事例を紹介して終わりではなく、
「悪いけど教えませんよ、一緒に考えるのが仕事だから。だけど、汗もかくし話も聞く。する。一緒に考え創りだす。その後もサポートしますよ」というスタンスを信条にやっていきたいと思ってる。

二番煎じでよければ教えられるが、「一番」はクライアントとコンサルタントが一緒になってヒーヒー言って考えなければ生まれてこない(P.98)

これは自分だけじゃなくて、島根県内にもこういう考え方で働いているコンサルはいます。
今、それを何か形にできないか、と模索しているところ。


おわりに

ここ最近、コンサルタントという生き方、仕事に対する疑問が少し生じていました。
また、自分自身の生き方についても同様に。
なのでブログの更新も少し停滞してましたが、本書でコンサルタントという仕事と生き方について、改めて自信をもらったので、また頑張りたい。







2011-07-09

「新しい公共」に向けて


今回の「新しい公共」事業の印象を整理しておきます。

東部を中心に17件もの手が上がったこの事業、たしかに“使い勝手のいい”事業ではあります。
人件費も認められている、希少な事業です。


でも、前の記事でも書いたけど、今回の肝はファンドレイジングにある、と当初から確信していました。
そのため、審査会で見た17件の事業概要に、「ファンドレイジング」の文字がなかったことには少なからず驚きました。


おそらくは、従来の事業の延長線上にあるという認識だったのかなと受け止めています。


でもね、それじゃダメなんだと思うんです。
なぜなら、今回の「新しい公共」という枠組みは、従来の延長線上にないものですから。

新しい社会システムを創りだそう、市民参加という言葉を根本的に変えていこう、という目的の第一歩に位置づけられる、きわめて重要な事業です。

この辺の動きは、鵜尾さんのブログを見ていけばわかるかと思います。
方向性として、僕は賛同しています。

だから、今までの実績を踏まえることは大事でも、考え方、この先の捉え方を変える可能性を示すことが必要だったのだろうと思います。

提案された案件には、県内でも実績豊かな有名なNPO法人様もいらっしゃいましたが、それでも僕が思っていた肝の部分にはふれることがありませんでした。

不安になる瞬間もありました。もしかして、自分の「新しい公共」に対する受け止め方が違うのでは?と。
でも、間違ってないはず、となぜか自信はありました。
これでダメなら仕方ない、と思えるくらいに。


夜遅くなので何を言いたいかわかりませんが、とにかく新しい公共というものに対する認識が人によって大きく違うな、という印象です。
それは隠岐も同じで、このシステムを変えていこうという第一歩だという事は常に言い続けないといけないな、と思ってます。

ま、これは大きなチャンスでもあります。
がんばりましょう!!

島根県の「新しい公共」|隠岐ジオパーク戦略会議の提案 vol.2



前回の続きで、新しい公共の具体的な提案内容についてご紹介します。

まず、今回のプロジェクトの中核となる組織の立ち上げです。


1.隠岐ジオパークガイド協会設立


隠岐ジオパークは現在、「隠岐ジオパーク推進協議会」という組織を中心として世界ジオパークネットワーク(GGN)登録に向けて動いています。
しかし、隠岐ジオパークの運営を担う中核的組織はやはり必要です。
それも、フットワークが軽く比較的意思決定を円滑に行え、何かあれば即対応できる組織が。

そのための組織として、「隠岐ジオパークガイド協会」をまず設立します。
  • 2011年度中 協会設立準備
  • 2012年4月 協会設立(任意団体として)
  • 2013年4月 NPO法人格取得

大まかなスケジュール感はこのようなイメージです。
細々と検討しなければならないことはたくさんありますが^^;


2.認定ガイド制度

隠岐ジオパークではおよそ7年前から「風待ち海道エコツーリズム大学」という名前でいわゆる地元学講座を毎年開催してきました。

その成果として、隠岐のエコツアーできちんと対価をいただいてガイドをされる方も出始めています。これはとても大きな成果の一つだと言えるでしょう。

その一方で、ボランティアガイドとして活躍されている方もいらっしゃいます。

このような状況になると、対価をもらって案内するガイドにはそれ相応のスキルが求められます。
対価をもらうということはプロフェッショナルであれ、ということですから。

ということで、ガイドの認定制度を導入します。
ただ、これはいろいろと乗り越えなければならないハードルがあるような気がしています。


3.ガイド協会の収入基盤

ガイド協会が存続していくためには、何か収入基盤が必要となります。

この部分は、僕が紹介するよりも地元の方に紹介してもらった方が共感しやすいと思いますが・・・。

収入源として考えているのは、

  1. ガイド紹介業務
  2. ファンドレイジング文化の醸成
  3. ソーシャル・アプリの開発と販売
  4. ジオグッズの開発と販売

です。

個人的には、これらを進めていく上で欠くべからざる要素が、「共感の環を広げる」ということにある、と強く確信しています。
これは昨年、島根県で開催されたNPO活動推進大会で日本ファンドレイジング協会の鵜尾さんが講演の中で仰ったことで、とても強く心に残ったフレーズです。

鵜尾さんのブログはこちら→ファンドレイジング道場


3-1 ファンドレイジングの取り組み

今回の提案の肝です。
隠岐で取り組みをはじめてほしい!と、ずーーーっと思ってきたことです。
寄付文化を育みましょう、ということなんですが、単にお金をもらいましょう、ということで提案してはいません。

寄付してくださいと言われて「はい」と応じる人はそうはいません。
では、どうすれば寄付してもいいと思えるか。
それは、隠岐がやりたいこと、達成したいこと、実現したい将来像に共感し、「ぜひそうなってほしい」と思えたとき、はじめて行動に移るのでしょう。

また、そう思っても実行に移せない人もいると思います。
それでもいいんです。わかってくれさえすれば。
その人がもしかしたら5年後10年後には何か自分なりの行動を起こせるかもしれません。
その時、隠岐が変わらず理想を追いかけていることがわかってれば、きっと思いは繋がります。

そういう共感の環を広げる、という意味でのファンドレイジングの取り組みを提案しました。
ただ、できることはすればいい、と思うので例えば主要施設では、隠岐の生物多様性やその保全の活動を紹介するパネル展示とともに、募金箱等を置いておくといったことはできると思います。


3-2 ソーシャル・アプリの開発・販売

スマートフォンの普及も進んできました。
そこで、スマートフォン向けのアプリケーションを開発・販売をしたいと考えています。

まずは隠岐の神社図鑑のようなアプリを考えています。
隠岐には150社以上の神社があり、それらの謂れや主祭神などはデータベースになっているので、それをわかりやすく、楽しく伝えるアプリとして開発したいところです。

問題は、OSをどうするか。
個人的にはiPhone使ってるのでiOSがいいな~とは思いますが、Androidなども当然検討しなければなりませんので、これは要協議です。

想定している購入していただけそうな方は、隠岐を好きな方、隠岐を訪れたことがある方、神社マニアな方、新しもの好きな方など。

島内では、できればiPadのようなタブレット機にダウンロードしておき、ガイドさんが使ってくれると、例えばその日見られない祭りの様子などを動画で紹介できるので、次は祭りを見に来てくださいね、という振り方もできるんじゃないかな~と思ってます。
これはガイドさんと要相談です。


3-3 ソーシャル・メディアの活用

最後は、情報発信です。
とにかくここは弱いです。。
自分もノウハウがあるわけじゃないので、シンドいところではありますが、やらなきゃしょうがないです。(ノウハウがあれば、このブログももっと伸ばせるはず……^^;

ということで、対外的・公式的な発信はCanpanブログなどを使い、日常的な更新なんかはTwitterやFacebookを活用してもらい、さらにオフィシャルサイトでそれらへのリンクを飛ばす、という形かな。
あと、開発したアプリの紹介は至る所で紹介、リンクを貼って誘導。

そんなことを考えています。


おわりに

以上が今回提案した内容をざっくりと紹介したものです。
実際、言葉足らずな部分もありますし、紹介していないプロジェクトもあります。

ここまで出してよかったのか?と思いもしますが、そもそも審査会が公開されてたものだし、許可ももらっているからいっか~と^^

今回の提案書作成とプレゼンテーションを通じて感じたことは、今回の「新しい公共」への期待の高さです。
それは県もそうですし、審査員の方もそうだろうと思いますが、なにより期待しているのは僕自身。

これまで、こうすればいいんじゃないか、ああすればいいんじゃないか、そんなことがモヤモヤしていましたが、この「新しい公共」という枠組みでは非常にしっくりとまとまった気がしています。

もちろん、やや強引な部分はありますし、見込みが甘いあるいは厳しいところもありますが、隠岐に対しても僕の考えは伝わったし、同じ方向を向いていけると思います。

あとは、提案した以上の成果をぜひ出したいところですが、まあソフト系事業は成果が非常に出しにくい。。。と始まる前から言い訳じみたことを^^;

でもね、僕は今回のこのプロジェクト、いけると思いますよ。本気で。
僕ができることはやり切るつもりです。いろいろとハードルはありますが……。

もしこの長いブログを読んで興味持たれた方、アドバイスある方いらっしゃればコメントでもFacebookでもいいのでご指摘ください。
決定権はありませんが、個々の提案には反映できるように思います。。


参考

2011-07-02

2010年度 隠岐×学生PJ

海 親子 人物 自然 海岸 [2585933] - 写真素材
(c) ゆくいな|写真販売 PIXTA



このエントリーは以前、Facebookのノートに書き留めていたものをベースにしています。



1.地域と大学生をつなぐ

昨年度、隠岐の島で、学生と地域をつなぐ仕組みづくり、というテーマでいろいろとやってみました。
というより、隠岐の方々にやっていただいて、そのサポートを微々たるものだけどしてみた、というのが正確な表現か。

その報告書を僕の方で取りまとめのたたき台を作成したのですが、効果は大きいなと改めて実感します。


2.隠岐の状況

隠岐には大学がないから、島の子どもたちにとって大学生って身近じゃないんですよね。
もちろん、兄弟姉妹にいれば多少は「大学生とは」といったことが分かるのかもしれないけど、家族に見せる姿と大学生としての姿は違うだろうと思うので、やはり大学生に対するイメージって十分ではないと思います。

だから大学生が地域の中にいて、何かしらやってるんだという姿を見せることは、地域の高齢者にも効果が期待されますね。
ただ、より効果を期待したいのは、やはり次の社会を担う子どもたちにとっていい影響をもたらすということですよね。
それに、世の中に冷めるのは簡単だけど、アツい学生がいるんだということがわかれば、身近なロールモデルとして認識してくれるんじゃないか。そんなことも期待していました。


3.大学生の経験値

もう一つの側面として、学生が現地調査からやりたいことの企画、実践まで一貫して取り組むというのは良かったと思いますね。
学生の負担はけっこう大きかったと思うから参加してくれた学生には頭が下がる思いです。彼らのおかげでいい刺激を隠岐も、僕ももらえたと思っています。
そして何より、アンケートに回答してくれた学生の多くが、隠岐を好きになってくれた、ということがうれしいし、企画して良かったと思えます。

リップサービスもあるのかもしれないけど、嬉しい。

それに、本来の目的である学生のやる気が引き出せたと思うし、考える力、調整する力、地域にはいろんな人がいるという現実を知ってもらえたと思う。


4.子どもにとってのロールモデルの必要性

これと似た効果がスサノオマジックだと思いますね。
プロのバスケットボール選手が松江に住み、僕達のすぐそばでエキサイティングなプレーを見せてくれる。
それが島根県内の小中高バスケット部員にどれだけ大きな影響を与えているか、計り知れません。
僕もバスケをしていて、中学生時代に松江工業のゲームを見たけど、高校生のプレーでも感動したのだから、プロのプレーが与える影響はそれはもう推して知るべしといったところか。

伸び盛りの子どもにとって、学業はもちろん大事ですが、自分が尊敬できる、お手本にしたくなる先輩、年長者を見つけられることが大事だと思います。
「この人みたいになりたい」「こんな大人はカッコイイ」

5.おわりに 

今後も続けていければいいのですが、今年度はどうかな……。

最後に、プロジェクト名は当初、「時をかける少女」通称「ときかけ」にかけて「隠岐×学生PJ」(おきをかけるがくせいプロジェクト)としたんだけど、恥ずかしくて「おきかけ」とは言えなかった(笑)

2011-06-21

『TPP亡国論』 読了


東北大震災で話題としては吹っ飛んでしまった感のあるTPP。

本書の筆者は、そのTPPを推進する立場である経済産業省から京都大学に出向している身分です。
そんな人が、経産省のしがらみを気にすることなく、真正面からTPPに反対している。


1.TPPは愚策
筆者は、TPPの推進は国益を損なう愚策であると断じています。

その具体例は以前書いたような内容です。
参考:Styles: TPP参加の議論が少なすぎる|TPP亡国論 第1章

イメージ戦略として、次のような言葉が踊りました。

  • 平成の開国
  • 世界の孤児になる


しかし、その実態を見ると、日本側から見て輸出相手国となり得るのはアメリカのみと指摘します。

他の参加国はもともとシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドといった経済的には小国同士の連合からスタートしており、彼らが日本の輸出を受け入れるだけの余地はないでしょう。
むしろ、彼らから見れば日本が参加することで、大きな日本市場を確保し、輸出攻勢をかけたいところで、日本からの輸入なんて……。

さらに、期待のアメリカもリーマン・ショック以降、輸出拡大による国内労働市場の適正化を図ろうとしており、日本からの輸入をこれまでのように維持することはないだろう、としています。


2.日本はデフレ
さらに、忘れてならないのは、現在の日本はデフレであるということです。

デフレーション (deflation) とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指す。略してデフレとも呼ぶ。
Wikipedia|デフレーション

一般的に、貿易の自由化に限らず「自由化」は価格下落をもたらします。
それは市場に競争力が働くから、ですね。

そして、一市民として見ると、物価が安くなるデフレは「嬉しいこと」だと感じることもあるかもしれません。
しかし、その背後では企業の投資が停滞し、人件費を中心にコストカットされ、経済全体が停滞することにつながるため、デフレは避けなければならない、と考えられてきました。

1-4 デフレって何ですか?より


であるにも関わらず、日本は10年以上もの長期にわたりデフレ脱却ができていないのです。

戦後、どの国の政府も、バブルがはじけてデフレが起きそうになると、金融緩和と同時に財政出動を行い、デフレを未然に防いできました。
『TPP亡国論』,第三章 貿易の意味を問い直す,P.125 

3.デフレと自由化
そんな状況の日本で貿易の自由化を急進的に進める枠組みTPPに参加するとどうなるか。
「自由化」は価格下落をもたらします。

多くの安価な輸入品に対抗するために、国内でも価格下落せざるを得なくなります。
価格を下げるためには、人件費の削減あるいはリストラが行われます。

すると、国内における雇用は一層深刻化します。

雇用がなくなれば消費が落ち込み、企業の活力も落ち込み、さらにデフレへ……となります。

つまり、デフレ下における「自由化」は非常に危険な政策であると言わざるを得ません。


4.石油以上の政治パワーを持つ資源“食料”
近年、食料自給率、エネルギー自給率に関する議論が喧しいです。
危機を叫ぶ陣営があれば、大丈夫、輸入できるので問題ないと安心を謳う陣営もあります。

僕自身は、たしかに一切食料が輸入できなくなるような事態は起こりにくい、と思います。
ただし、輸入価格が今のように安く提供され続けるか、というと非常に疑問です。
経済がグローバル化し、地方と世界が直接結びつくようになった今、どこかで危機が起きればそれは確実に価格に反映されます。

アメリカがバイオディーゼル燃料に注目した後、トウモロコシや穀物価格が上昇したのもそのあらわれでしょう。

この食料について、筆者は
アメリカの農業大国としてのパワーは、市場の構造を考えると、中東の石油によるパワーより強力だとも言えます。
(中略)
中東諸国は(中略)、生産する石油の大半を海外の国々に買ってもらわなくては、国の経済が成り立ちません。
(中略)
これに対して、アメリカの穀物輸出量は大きいですが、国内消費量はもっと巨大です。
『TPP亡国論』,第五章 グローバル化した世界で戦略的に考える,P.189 

と指摘し、アメリカから農産物を輸入している国に対して強気で交渉できると言います。

つまり、輸出をストップせずとも、価格決定権は圧倒的にアメリカ側に保持されることになります。
その時、不当だから買わない、などということはできません。食料は生きていくために不可欠ですから。

そして、高い価格で輸入することになれば、他の国内経済への影響も出てくると思われますね。

筆者はさらに、F1種もアメリカ側に支配されており、農産物の自給は切迫していると指摘しています。


5.おわりに
筆者はこの他に水資源について触れたり、福沢諭吉の『開鎖論』を引用したりして、TPPに関する議論の少なさを嘆いています。

その点については同感ですし、TPPについても反対という考え方です。

今は東北地方の復興でそれどころではない、といったところですがいずれまたTPPは出てくるのではないでしょうか。
その時、また深い議論もなくマスメディア中心に「TPP参加」ありきで世論が形成されることは危ないでしょう。
しかも、農家は悪者にされる、というおまけ付きです。


本当にTPP参加は国内経済に好影響をもたらすのか、デメリットは何か、失うものは得るものは。
それらは急進的枠組みであるTPP以外では本当にムリなのか。

そんなことを考える必要があるでしょう。





2011-06-20

同じものを違う視点から見ることで新しい価値が生まれる

写真素材 PIXTA
(c) taka|写真素材 PIXTA




海から見る波根・久手沿岸|ヨミウリ・オンライン


  • 波根
  • 久手

大田市に存在するこの地名。
はてさて、これを読める方はどれくらいいるのでしょうか。

小型漁船に乗船し、波根港を出港。波根~久手地区の海岸線沿いに点在する「こうもり穴」と呼ばれる洞窟や、塔のような奇岩「掛戸松島」などを巡る。
遊覧時間は約30分で、朝と夕の1日2便。9月中旬までで、事前予約が必要。乗船料は中学生以上3000円、小学生1000円。


旅館組合と漁師が連携して、新しい宿泊プランとして「海から眺める波根・久手海岸探索エコ・アド(アドベンチャー)・ツアー」と銘打った商品を打ち出したようです。


こうもり穴というのは残念ながら知らないのですが、掛戸の松はなかなか良い風景です。

個人的なおすすめは鉄道から見る掛戸の松ですが、船から見るのはまた違う風景となるでしょうね。

ちなみに、久手には「珪化木」がありますので、それも一度ご覧になるといいかと思います。

珪化木とは、植物が化石化したものとのことです。