主な反論としては、「人種差別」や「嫌なら見なければいい」というものが展開されていますが、問題の要点はそこにないので、納得できるものではないし、そういう“返し”はむしろ反発を招くでしょう。
また、「嫌なら見なければいい」という姿勢に対してはミステリ作家の深水黎一郎氏が議論を整理しています。
Togetter - 「フジテレビの韓流問題に関して テレビの偏向を叩くべき」
流行は産み出すものだと言われるけれど
個人的な考え方としては、流行ってもいない韓国人アーティストを、さも人気があるようにしている点については「ゴリ押し」だと思うし、電波が公共性を担保しなければならないのにもかかわらず偏向報道にある、という感覚は持っています。
それさえも「メディア・リテラシー」という言葉で誤魔化してきたのがこれまで、という風にも思います。
百歩譲って、音楽番組で彼ら・彼女らが取り上げられ、活躍するのはいいと思います。が、一番がっかりしたのは、すぽると!内で珍しくNBAに多めに時間を取られた時でした。
レブロン・キング・ジェームズなどNBAの「新しい時代」という言葉で紹介する前段で、なぜか「時代と言えば少女時代」と、何の脈絡もなく差し込んできた時ですね。
これって、何なんだろう。。。って、虚しさを感じました。
『不自由な経済』
と、いったことはまあどうでもよくて、今、『不自由な経済』(松井彰彦)を読み始めてます。
その中の「第Ⅰ部 市場を考える」の「電波オークション」という項で、電波オークションについて触れられていました。
少し抜粋すると
諸外国では、この電波に関する市場を作る試みが盛んに行われている。例えば米国では、連邦通信委員会(FCC)が周波数帯をオークションを通じて割り当てている。(P.57)とあり、欧米を中心に、電波オークションによって政府収入増を図ろうとする取り組みが広がっていることを紹介しています。
ちなみに、イギリスでは2000年には収益が340億ドル、ドイツでは460億ドルに達したということで、日本円換算でおよそ3兆円が政府収入としてカウントされている。
一方の日本をみると
テレビ局など既得権者への配慮が手厚い日本政府の電波料からの収益は、年間600億円程度にとどまる。割り当て方法も不透明で、非効率的である。(P.58)という状況のようです。
では、なぜ日本で電波オークション導入が進まないのか、という背景についても若干触れられており、既得権者の反対の他に、欧米での失敗事例があるということが挙げられています。
落札業者が大きな損失を出し、結果として消費者利益を大きく損なう事態が生じているケースもある、ということのようですが、それは落札企業の勉強不足が原因であってオークション制度の責任ではないし、それを理由にオークション制度導入に反対すべきではない、としています。
電波市場が日本では未形成
本書で言いたい点は、おそらく電波関連について日本では市場が十分に形成されていないということでしょう。このあと、電力についても触れられていますが少数の企業に独占されている状況は好ましくない、経済的損失も大きいというニュアンスで書かれています。
何にしても、「嫌なら見なければいい」などと議論することを放棄するのではなく、どうあるべきか、現実に即して何ができるのかといったことを議論することは歓迎すべきだと思うわけです。
議論さえしない、というのは誰にも納得できないものでしょう。
今回の議論を「韓流」や「嫌韓」、「人種差別」などと矮小化していいものではないと思いますね。
あと、声を発さない市井の人々の認識と知性をあまりなめないほうがいいですよメディアは。
これはまちづくりでも同じだと思う。
話して、伝えて、すぐには理解得られないかもしれない。そういう経験の積み重ねがあって、そこにコストをかけるなら別の所にかけたい、という気持ちもまた理解できますが、理解を得る努力は積み重ねて、継続してはじめて意味があると思いますので、難しいし大変だけど、だからこそしなければならない。
ファンドレイジングも同じ事だと思ってます。考え方が合わなくても、議論をすればいい。
「協力はできないけど、あんたの言いたいこと、やりたいことはわかった」
そう言ってもらえればいいな。