洞爺湖遊覧船の後は、有珠山噴火の爪あとをコースとして整備したということで見学に向かいました。
上の写真でこんもりと山になっているところは、溶岩ドームだそうです。
遊歩道整備
災害遺構として、遊歩道も整備されています。
これは後日、地元の方が話されていたことですが、災害遺構として遺し、観光に活用することで、火山と共に生きていることを認識し、乗り越えるためということでした。
あとで出てくる団地を遺すことについては反対意見もあったようです。
遊歩道起点には案内所 |
災害遺構を巡る
それでは少しばかり災害遺構を巡ってみましょう。
温浴施設
下の写真は、噴火により破壊された公衆温浴施設跡です。
施設そのものは残っていますが、施設内には火山灰らしき土砂が入り込んでいます。
サッシが曲がっているのは、土砂の圧力か噴煙などの熱によるものか……。
流された橋
次の遺構は、上流部から流されてきた橋。
なんというか。言葉が出ないです。
元桜ヶ丘団地
ここが遺すことに対して反対意見も出たという団地です。
もともと住んでいた方からしてみれば、何とか逃げ出してきたわけで、ある意味で生活がそこでストップしているわけですね。
そこをそのまま見せる、ということに対する抵抗感だったのか、あまり思い返したくないから取り壊してほしい、という思いだったのかわかりません。
しかし、当時4,5棟あったうち、ただ1棟だけが残されています。
反対意見もあったということで、あまり写真は撮っていません。
1階部分は埋もれてしまっています。
自然の中で生かされているということ
日本のジオパークには火山に関するジオパークが多い、ということは知っていました。
それにしても、災害遺構のような場所に来ると、人間と自然との共生とは何なのかということをつくづく考えさせられます。
それに対する答えの一つが、ジオパーク全国大会の中で披露されて、北海道の人すごいな、洞爺湖の人はすごいな、と感銘を受けました。
それは端的に言えば、ここに住んでいる人たちは火山の恵みをいただいて生きている、ということ。
だから、ここに暮らし続けるし、火山との付き合いも避けられないものと認識されていました。
そういう背景がある中で、ジオパークである意味というのは大きいです。
と言うのも、「火山の恵みで生活している」と感じる人は、そうは言っても多数派ではないでしょう。しかし、こうした考え方を子どもたちや地域住民に伝える枠組みとして、ジオパーク活動が果たす役割は小さくないはず。
ジオパーク活動を通じて、自分と地域、自分と自然環境、人間と大地の関係性を知ることに必ずつながり、それがまた次の世代へと受け継がれていく。
それこそジオパークです。
現地を実際に見るということの大事さは、毎回再確認させられます。
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