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2011-10-15

島根で暮らしているということ


光と水 - 写真素材
(c) taka写真素材 PIXTA



なぜ自分は島根で生まれ島根で育ち、今なお島根で暮らして、さらには地域振興を仕事としているのか。


「好景気」と縁のない人生

高度経済成長期、バブル経済を通じて形成された価値観は、一般的にはこう。
「いい大学に入り、いい会社に入れば、一生安心して暮らせる」
たしかに、当時はこういう空気があったのだろうと思う。
だけど、自分の場合高度経済成長期なんて生まれる10年も前の話だし、バブル経済にしたって、島根という地方で十分な影響を受けたわけでもないだろうし、そもそも小学生~中学生くらいで崩壊している。
なので、「好景気」というものに縁がなく、心のどこかで、「一生安心」ということに対して疑っている部分がある。


子どもにとっての親の言葉

夕日2 - 写真素材
(c) TSUYOSHIストックフォト PIXTA

以前、弥栄で仕事をしている時によく聞いた話がある。

「自分の子どもには、ここから出て都会で就職しろと言ってきた。今さら戻って来いとは言わんし、思ってもない」

と。ふむ、なるほどなぁ。と思ったものです。

そして、自分はどうだったのかな?と振り返ると、両親から「島根はつまらんから都会へ出ろ」というようなことを言われた記憶はない。

と言うより、いい大学に入れとも言われたことはない気がするなぁ。


地方から若い人間が減った理由は親の教育か

今考えてみると、両親は比較的現実的とでも言うのか、さほど頭の回転が早いわけでもない自分がいい大学に入って良い企業に入る、なんてことは描いてなかったんだろう。
そこそこの学校を出て、それなりの会社に就職してくれればそれでいい、とそれくらいの現実的な思考だったんじゃなかろうか。

やはり、親の教育は子どもに相当影響を与えると思う。
それは価値観の形成という点で大きく表出してくるのではないかな。
住んでいる所が「つまらない所」だと小さい頃から教え込まれれば、そんなもんかと受け入れてしまう。その結果、一度出てしまうと、「戻ろう」という気持ちを喚起できなくなる。

教育だけに原因を押し付けるわけにはいかないけど、根本的にはここは大きいと思ってる。

もちろん、仕事がない、住むところがない、不便、病院が脆弱などいろんな要因がからみ合ってることはわかるけど、最後は個人の価値観に基づく判断となるのだから。


人がいなくなる

いわゆる「限界集落」はこれから「消滅」していくのかもしれない。
だけど、それは決して人の手で人為的に進めていいものではない。
今そこに住んでいる人は、そこに住みたいから住んでいる。

そこに暮らしたい人、そこでしか生きていけない人、いろんな事情があり、他人には決してわからないモノがある。

効率性や経済性だけで判断されることの辛さは今となっては「限界集落」に暮らす人だけでなく、3.11以降の被災地に暮らす人、福島に今なお暮らす人も同じだと思う。


どこで生きていくかという選択

自分自身、県外に出られなかったことをたまに残念に思ったりすることはあるけど、それが今の自分にマイナスになっているかと問われれば、それはない。

結局、無数の選択肢から”選ぶ”のは自分以外の何者でもない。
好き嫌い、事情の有無はあっても、選んだのが自分なら、そこでできること、やれることをどれだけできるかに注力すべきかなと思う。

いつも感じることがある。
主に仕事を通じてだけど、自分は周りの人たちに本当に恵まれている、と。
信念を持って動き続ける人、黙々と仕事を推し進める人、ロジカル重視の人、組織を重視する人、組織より個を重視する人いろんな人がいて、いろんな人から教えをいただける環境にいられることが嬉しい。