簡単に書こうと思ってたら思いのほか長くなってしまいました。
以下、長文注意です。
1.マスメディア 高い広告効果
広告効果の大きなメディアってなんでしょう?
日本国内においては、インターネットはかなりの割合で普及し、近年は世界的にも、ソーシャル・ネットワーク・サービス、ソーシャルメディアというものが普及し、注目を集めています。
しかし、現状でもっとも大きな効果を持っているメディアはいまだテレビであると言えるでしょう。
ここで言う効果とは、正しい情報を提供してくれるかどうかは問題ではなく、どのメディアから発信された情報に、人びとはリアクションするのか、あるいはどのメディアに人びとはもっとも接する機会が多いのか、という観点から考えているものです。
次に新聞でしょうか。
そして、ラジオ、ネット等が来るのではないかな、と感じています。
2.マスメディアへの懐疑的な視点
しかし、年齢層で考えると、PCに慣れた若者層ではテレビと並んでネット、ソーシャルメディアが大きな広告効果を持つようになりつつある、と考えています。
その理由は、情報の「正確性」と、その正確性を自分なりに追いかけることができる「追求可能性」にあるのではないか、と感じます。
つまり、テレビはなるほど大きな広告効果を持ち、圧倒的多数の人びとが視聴し、影響を受けます。しかし、テレビが発信する情報はどこまで正確なのか。
自分も含め、テレビをはじめとするマスメディアに対して、きわめて懐疑的な視点で観ている人が増えているんだろうと思います。
そして、このことは2011年3月11日以後、広く体感されるようになったのではないか、とも思います。
誰もが釘つけになった福島原子力発電所の事故。当初テレビに出ていた「専門家」は皆一様に、「安全です」と言い続けました。
しかし、日が経つにつれその言葉が本当に信用できるのか?という疑念が多くの人びとに広がっていったような感覚があります。
「テレビが言ってることは本当なのか?」
情報の「正確性」に疑義が生じたと言えるでしょう。
だからと言って、いきなりテレビが影響力を失うとするのは非現実的で、今後もマスメディアの筆頭であり続けるのではないかと思います。
3.ソーシャルメディア
3.1 ソーシャルメディアへの期待 1 恣意性の排除
しかし、それに追随するソーシャルメディアがテレビの対立軸として、あるいは補完するものとして登場、期待されています。
何に期待されているのか。
テレビはすべてを編集された状態で受け取ることしかできません。
新聞もラジオもそう。ひとつの番組、ひとつの記事を作る前に、記者にはある程度のストーリーの枠組みがあり、それに沿った形でインタビューしたり、データを押さえていきます。
番組企画ができた時点で、恣意性があると言えますし、それが事実かどうかを検証するための素材はおそらく公表されないのでないでしょうか。
ソーシャルメディアの場合、編集しないということもひとつの売りになりますが、これには危険性を伴います。
そのひとつの事例は現在進行形で進んでいる、「ダダ漏れ」を売りにしていたソラノート問題でしょう。
資料/ソラノートとフランチェスコ氏めがねおう氏の件まとめ
3.2 ソーシャルメディアへの期待2 追求可能性
一方で、事実かどうかを自分なりに遡っておいかけることができる「追求可能性」を有している点がソーシャルメディアの優れた点であると思います。
それをメディアとして優れいているというのはちょっと違うかもしれませんが、メディアとして発信する情報を既存マスメディアと比べると限りなく一次情報まで近づくことができる余地がある、という点で信頼できる、と考えることができます。
こう書いておきながら、この点もちょっと怪しいなとは思っていますが。。。
フィギュアスケート世界選手権 を放送したフジテレビの酷さ
世界フィギュアの捏造された放送について
たとえば、こういうケース。
これまでだと、日本人は日本のテレビ局が放送するスポーツ中継(録画)を見て、がんばってるな、とかまだまだだな、とか思うわけです。
もちろんこれまでにも、外国メディアが放送する番組を見ていた人はいたでしょうが、圧倒的少数でその人達が感じたことを共有することなどは、ほぼあり得ないと言っていいでしょう。
しかし、Web上でソーシャル・ネットワークが形成されると、3ヶ国のリアルタイム放送を見ている人が、日本の放送上の演出に気づき、指摘すると、そこに問題意識を持っている人が一斉に拡散していき、広く周知されていく。
こういう事態が散見されます。
(ただし、3ヶ国のリアルタイム放送を見たという人のコメントそのものを疑う視点は必要かもしれません)
これが、追求可能性だろうと思うのです。
そして、これができ、共有する仕組みがあるからソーシャルメディアに対する期待が高まっているのだろうと思います。
ただ、このケースの場合気をつけなければならないのは、この記事を読んで、即座に「フジテレビの番組制作の姿勢は問題だ。フジテレビのすべての番組が信用できない」とするのはちょっと待てと言いたい。
それでは信頼していたソースをテレビからソーシャルメディアに変えただけで、自分で考える余地を残さない姿勢でしかないと思います。
重要なことは、気になる問題に向き合うとき、いくつものソースに当たって情報を精査し、自分なりの結論を得ることであって、他者の意見をそのまま受け取ればいい、という姿勢そのものを改めるべきであるということです。
たとえば原発について調べたくなったら、テレビでは推進論者の話しかほぼ拾えないでしょうが、Webであれば推進論者の説も探せるし、反対論者の説も探すことができる。
日和見する人の説も見ることができる。
これらを見て精査して、自分なりの原発とはこうだ、という考えが構築できればそれでいいわけです。
「テレビでこう言ってたから、これはこうだ」
という話と、
「ネットにこう書いてあったから、これはこうだ」
という話は、まったく同じです。
ま、後者のほうが多少はマシかなとは思いますがね。
4.メディアを使った広告宣伝のこれから
たとえばジオパークの広告を考える。
当然、いろんな人に知ってもらい、来てもらいたい、そしてなにより楽しんでもらいたい。
そういう思いがあるから今後は広告宣伝にも力を入れていかなければならないという問題意識があります。
その時、今後の社会の中で考えなければならないことは、番組の姿勢とスポンサーがどこか、ということも考えなければならなくなるのではないか。
取材してもらえればうれしいからどこでも受ける、というものではなく、番組の趣旨が何で、スポンサーがどういう企業でどういう社会的責任を果たしているのかということを精査しなければならないでしょう。
そこにはスポンサーのイメージの良し悪しという単純化された評価軸ではなく、隠岐ジオパークとして、どういうスポンサー番組ならいいのか、ということを考えていく必要があるんだろうと思います。
既存マスメディアに対する視線は今後ますますWebを中心に厳しくなるでしょう。
その時、いわゆるメディア・リテラシーを有したスタッフが地元にいることを願います。