新年度となりましたね。
松江では20度近い日があったと思ったら今日のように嵐が来たりと体調管理が難しい日々が続いています。
さてさて、月1でやろうと決めたテーマ。
3月によく読まれたポスト
です。
ということで早速。
5位
Styles: 『プレイフルシンキング』読了
この本はヒトコトでいえばライフハック系の本です。
ポストを今一度振り返ってみると、うむ! と改めて納得する本です。
新しいことにためらうことなくチャレンジすることの意味。
また近いうちに読み直したいですね。
4位
Styles: ゼニと笑みのバランスシート
ぶっちゃけ、タイトル失敗したなーと思ってます(苦笑)
なんだよ、「ゼニと笑みのバランスシート」って。。。意味分かんねーよ。
とは言え、その時に込めた思いはそれなりに強いのです。
資本主義経済のある種の限界が見えてきた、と同時に「幸福度」のような指標が注目を集めるということが新しい社会システムの方向性を示唆しているような、そんな気がするという想いを込めてます。
3位
地方コンサルタントのネットワーク化
これも書くタイミングが時期尚早だったかなーと思わないでもない。
けどまあ、このブログをわざわざ関係者が読んでることもないだろうから、大した影響もないでしょう。
ネットワーク化は必要だという認識は変わっていません。
それが島根県内のネットワーク化になるのか、もう少し広い範囲のネットワーク化なのかは別の問題ですが。
ただ利害関係ぶつかりまくりで難しいかなぁ。
2位
Styles: 「意識の低い」学生だった僕
これも書き方がどうだったのかな、と。
これだけ読むと、「おれは今、意識が高いぜ~~」と言ってるようで嫌な奴だな、と(苦笑)
自分をもう少し正確に表現すると「意識を高く持ちたいけど、いろいろとそこまで至らない平凡」な人間となります。
意識の高い学生の活躍を見て、それをいい刺激にして負けないように突っ走るのみです。
やるべきことをやる。
1位
Styles: 『秒速5センチメートル』は心の奥で何かがうごめく
なぜですかね。10月に書いたこのポストが3月は一番よく読まれたようです。
このアニメは、未見の方はぜひ見てもらいたいなと思ってます。
特に桜が舞い散るこの時期、別れと出会いのこの時期、見るにはいいシーズンだと思います。
特にキュンキュンしたい、という方。男性。高校卒業したばかり、大学を卒業したばかり、という方。
そういう別れのシーン前後に好きな人が隣にいた方にオススメです。
人生、別れと出会いを繰り返して、後悔と希望を合わせ持って一歩一歩進んでいくのだなぁと思います。
今年度は、僕も新しい一歩を踏み出したいと思います。
Styles
島根の地域再生コンサルタントのブログです。誰も見てなくてもめげずに書き続けることが目標!!
お気に入りは隠岐の島と三瓶山です。
2012-04-04
2012-03-21
観光統計データ
データの話。
Ustreamを見てたんです。
島根県の県議や松江市、雲南市、奥出雲町の若手議員さんが出演して、いろんなテーマで議論します、という番組を。
そこで、ふと松江開府400年祭の効果ってどうでした?みたいな話の流れになって、思い出した。
あ、そう言えば観光動態調査結果の数字ってどうなんだろ??ということを。
どうやってデータを出しているのか
県の観光動態調査結果ですが、いくつかの手法を組み合わせて推計値を出しているはずです。
違っていたら指摘いただきたいんですが。
一応エクスキューズしておくと、島根県は日本観光協会の基準を用いて調査をしているようです。
では以下、ざっくり説明しておくと3つのパターンになるのかな。
1については、簡単。
たとえば島根県東部なら、県立美術館とか足立美術館とか有料で、お客様が何人入ったかというデータが毎日、毎月取れる施設。
西部だとアクアスとかサヒメルがあるし、隠岐だと自然館とか碧風館なんかだよね。
これはチケット販売数等でほぼ正確に抑えることができる。
2.観光地(Not施設)での実勢調査
次、2番目。
これは、年間に何日間か調査日を設けて、その日に一気に、実際に調査を実施するタイプ。
一応、県の観光振興課のHPから確認しましたが、おおむね春夏秋冬に一回ずつ設けられています。
http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/report_h21.data/H21_1.pdf
これ、一見するとその調査日においては正確な数字が出ると思いがちですが、危険です。
実は、ひとりが何箇所か観光地を周遊すると、回った箇所数、「観光客」としてカウントされてしまいます。
たとえば、僕が調査日初日に松江城周辺をうろちょろし、その後由志園へ行き、玉造温泉に行くと初日だけで3人分カウントされることになります。
二日目、フォーゲルパーク行って、出雲大社行って、石見銀山行って、三瓶山でゆっくりして、玉峰山荘行ったら、4人分カウント。
三日目。隠岐のりょうばに行って、国賀海岸に行ったら2人分カウント。
実際に動いているのが僕ただ1人だとしても、です。
すごくないですか?
計9人カウントされるんですよ?間違ってたらゴメンだけど、たしかこの考え方で良かったはず。
3.実勢調査からの年間来訪者を推計
さらに問題だと思うのは3番目の工程。
1人しか動いていないのに9人とカウントされるこの数値ベースで、1年間の観光客数を推計してしまえってなもんです。
もうね、ブレが大きすぎるんじゃないかと。
他に方法がないのか、数値をできる限り大きく見せたいのかわかりませんが、一番の問題は事業にかかったコストに対してのベネフィットが実は評価できない、という点にあると感じます。
評価対象となるデータがデータとしてキビシイんですから。
それに、考え方、やり方としては、この調査スケジュールが事前にわかってれば、工程2の段階で、この調査日にイベントぶつけて短期間でもドンッ!と観光客を増やしておけば推計には相当有利に働きますよね。。。
いや、これもひとつの客観的なデータといえばそこは否定出来ないかなとは思います。
事前にルールを決めてその手順に基づいて調査・推計するわけですから。
ただ、なんとなく違うんじゃね?感が拭えない、というだけで。
隠岐諸島はその点有利
隠岐諸島は、アクセスが船(フェリー/高速船)か飛行機かしかなく、どちらもフリーライダーはできないので基本的にほぼ100%把握できるんですね。
隠岐汽船だと乗船目的にも印を付けるようになってて、「観光」という項目もあるので、データとしてはすぐに出せるはずですし、隠岐支庁もそのデータに基づいて作成された数値を使っているそうです。
全国各地が同じ推計方法を採用しているのかもしれませんが、印象としてはゲタはかせ過ぎじゃないのか、と思います。
それなりに正確なデータを出して、それをベースに計画しないと効果も図れない。
それが一番問題であろうと思います。
Ustreamを見てたんです。
島根県の県議や松江市、雲南市、奥出雲町の若手議員さんが出演して、いろんなテーマで議論します、という番組を。
そこで、ふと松江開府400年祭の効果ってどうでした?みたいな話の流れになって、思い出した。
あ、そう言えば観光動態調査結果の数字ってどうなんだろ??ということを。
どうやってデータを出しているのか
県の観光動態調査結果ですが、いくつかの手法を組み合わせて推計値を出しているはずです。
違っていたら指摘いただきたいんですが。
一応エクスキューズしておくと、島根県は日本観光協会の基準を用いて調査をしているようです。
では以下、ざっくり説明しておくと3つのパターンになるのかな。
- 施設でのカウント
- 観光地(Not施設)での実勢調査
- 実勢調査から年間来訪者を推計
1については、簡単。
たとえば島根県東部なら、県立美術館とか足立美術館とか有料で、お客様が何人入ったかというデータが毎日、毎月取れる施設。
西部だとアクアスとかサヒメルがあるし、隠岐だと自然館とか碧風館なんかだよね。
これはチケット販売数等でほぼ正確に抑えることができる。
2.観光地(Not施設)での実勢調査
次、2番目。
これは、年間に何日間か調査日を設けて、その日に一気に、実際に調査を実施するタイプ。
一応、県の観光振興課のHPから確認しましたが、おおむね春夏秋冬に一回ずつ設けられています。
http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/report_h21.data/H21_1.pdf
平成21年 2月 6日(金) 2月 8日(日)
平成21年 5月 1日(金) 5月 3日(日)
平成21年 7月17日(金) 7月19日(日)
平成21年11月20日(金) 11月22日(日)
これ、一見するとその調査日においては正確な数字が出ると思いがちですが、危険です。
実は、ひとりが何箇所か観光地を周遊すると、回った箇所数、「観光客」としてカウントされてしまいます。
たとえば、僕が調査日初日に松江城周辺をうろちょろし、その後由志園へ行き、玉造温泉に行くと初日だけで3人分カウントされることになります。
二日目、フォーゲルパーク行って、出雲大社行って、石見銀山行って、三瓶山でゆっくりして、玉峰山荘行ったら、4人分カウント。
三日目。隠岐のりょうばに行って、国賀海岸に行ったら2人分カウント。
実際に動いているのが僕ただ1人だとしても、です。
すごくないですか?
計9人カウントされるんですよ?間違ってたらゴメンだけど、たしかこの考え方で良かったはず。
3.実勢調査からの年間来訪者を推計
さらに問題だと思うのは3番目の工程。
1人しか動いていないのに9人とカウントされるこの数値ベースで、1年間の観光客数を推計してしまえってなもんです。
もうね、ブレが大きすぎるんじゃないかと。
他に方法がないのか、数値をできる限り大きく見せたいのかわかりませんが、一番の問題は事業にかかったコストに対してのベネフィットが実は評価できない、という点にあると感じます。
評価対象となるデータがデータとしてキビシイんですから。
それに、考え方、やり方としては、この調査スケジュールが事前にわかってれば、工程2の段階で、この調査日にイベントぶつけて短期間でもドンッ!と観光客を増やしておけば推計には相当有利に働きますよね。。。
いや、これもひとつの客観的なデータといえばそこは否定出来ないかなとは思います。
事前にルールを決めてその手順に基づいて調査・推計するわけですから。
ただ、なんとなく違うんじゃね?感が拭えない、というだけで。
隠岐諸島はその点有利
隠岐諸島は、アクセスが船(フェリー/高速船)か飛行機かしかなく、どちらもフリーライダーはできないので基本的にほぼ100%把握できるんですね。
隠岐汽船だと乗船目的にも印を付けるようになってて、「観光」という項目もあるので、データとしてはすぐに出せるはずですし、隠岐支庁もそのデータに基づいて作成された数値を使っているそうです。
全国各地が同じ推計方法を採用しているのかもしれませんが、印象としてはゲタはかせ過ぎじゃないのか、と思います。
それなりに正確なデータを出して、それをベースに計画しないと効果も図れない。
それが一番問題であろうと思います。
2012-03-18
「研究」という活動
先日、とある研究会の会合に参加してきました。
正直なところをいえば、その場で僕は場違いなんですが、首を突っ込んだ以上そうも言ってられないし、いろんな視点、考え方を聞けるのは非常に魅力的なので参加したわけです。
そこで僕はソーシャル・キャピタルについて今後これこれこういった考え方で研究を進めたい、という話をして、現状認識についても少し報告したんですけど、「あ、これじゃイカンわ」と感じたのです。
何がイカンのか。
一言で言えば、これまでのおよそ10年近い経験に基づく「ビジネスの視座」から「研究の視座」にうまくスイッチを切り替えられていない、ということです。
スイッチを切り替えるってどういうことかを、簡単に説明すると。
前提:目の前にハードル(何らかの問題/課題)があり、それをどうにかして超えていかなければならない(問題解決)
この時……
■ビジネスの視座
ハードルを「跳んで」乗り越えるのか、逆に這いつくばって下を潜るようにクリアするか、はたまた右か左に避けてクリアするか、といった「方法」を導き出して、どれを採用するか「意思決定」ができるレベルの情報があればいい、ということだと思います。
■研究の視座
ハードルの高さは何センチなのか、自分の跳躍力はどれくらいか脚力はどれくらいか、そういったものをすべて厳密に導き出して、ようやく、「では、クリアのためにはどれを選択しましょうか」となるイメージ。
さらに言えば選択するにも、合理性、論理的に適っている必要がある。
ビジネスだと「何センチ」とか細かい数字は不要で、飛ぶべきか、くぐるべきかという大枠の方向性が決められればそれでいいし、そうでないと刻一刻と状況が変わる場合何も意思決定できない、という状況に陥りますね。
そして、何も決められないということは問題を先送りし、かえって事態を悪化させてしまう。
つまり、厳密である必要はさほどない。むしろ厳密さを求めて時間をかけるよりも早め早めの判断ができるようなデータがあればいい、というものだと思います。
異論はあるでしょうけれど、ビジネスだとしても戦略を立てるには、当然データは抑えるし、論理的に計画をつくりますからね。
で、僕は基本的に前者のスタンスでやってきたので、研究という視座になかなかスイッチを切り替えられないであえいでいるところです。
頭の中ではイメージできてるんだけど、それがアクションにうまくつながらない感じです。
それこそ、そうも言ってられないので、しっかりとやっていきたいと思います。
ビジネスはしっかりとやりつつ、「研究」でもきちんと認められる成果が出せるようになりたいなぁ。
正直なところをいえば、その場で僕は場違いなんですが、首を突っ込んだ以上そうも言ってられないし、いろんな視点、考え方を聞けるのは非常に魅力的なので参加したわけです。
そこで僕はソーシャル・キャピタルについて今後これこれこういった考え方で研究を進めたい、という話をして、現状認識についても少し報告したんですけど、「あ、これじゃイカンわ」と感じたのです。
何がイカンのか。
一言で言えば、これまでのおよそ10年近い経験に基づく「ビジネスの視座」から「研究の視座」にうまくスイッチを切り替えられていない、ということです。
スイッチを切り替えるってどういうことかを、簡単に説明すると。
前提:目の前にハードル(何らかの問題/課題)があり、それをどうにかして超えていかなければならない(問題解決)
この時……
■ビジネスの視座
ハードルを「跳んで」乗り越えるのか、逆に這いつくばって下を潜るようにクリアするか、はたまた右か左に避けてクリアするか、といった「方法」を導き出して、どれを採用するか「意思決定」ができるレベルの情報があればいい、ということだと思います。
■研究の視座
ハードルの高さは何センチなのか、自分の跳躍力はどれくらいか脚力はどれくらいか、そういったものをすべて厳密に導き出して、ようやく、「では、クリアのためにはどれを選択しましょうか」となるイメージ。
さらに言えば選択するにも、合理性、論理的に適っている必要がある。
ビジネスだと「何センチ」とか細かい数字は不要で、飛ぶべきか、くぐるべきかという大枠の方向性が決められればそれでいいし、そうでないと刻一刻と状況が変わる場合何も意思決定できない、という状況に陥りますね。
そして、何も決められないということは問題を先送りし、かえって事態を悪化させてしまう。
つまり、厳密である必要はさほどない。むしろ厳密さを求めて時間をかけるよりも早め早めの判断ができるようなデータがあればいい、というものだと思います。
異論はあるでしょうけれど、ビジネスだとしても戦略を立てるには、当然データは抑えるし、論理的に計画をつくりますからね。
で、僕は基本的に前者のスタンスでやってきたので、研究という視座になかなかスイッチを切り替えられないであえいでいるところです。
頭の中ではイメージできてるんだけど、それがアクションにうまくつながらない感じです。
それこそ、そうも言ってられないので、しっかりとやっていきたいと思います。
ビジネスはしっかりとやりつつ、「研究」でもきちんと認められる成果が出せるようになりたいなぁ。
2012-03-12
僕を変えた1年間
日付で言えばもう過ぎてしまったわけだけど、やはり書かないわけにはいかないなと思う。
2011.03.11
その日、僕は何をしていた?
はっきりと思い出せる。
前日の3月10日から一泊で隠岐の島町に出張し、15時過ぎ出港のフェリーに乗船した時、船内のテレビで未曾有の大地震が発生したことを知った。
テレビではひっきりなしに津波警報を流していたが、その時点では事の重大さに気づくことなく、仕事で疲れていたこともあり、船内でいつものように寝た。
そして、17時半ころ、七類港に入港した後くらい、もう少し具体的には車でラジオを聞いたであろうくらいから記憶が断片的になる。
おそらく、ラジオを聞いてようやくとんでもない事態なんだと認識したのだろう。
僕がしたことといえば、被災地にボランティアに行くこともなく、せいぜい募金箱にお金を投入するくらいだった。
それでも、3.11はたしかに価値観を少し変えた。
それは時間が経過するにつれて、僕の中に深く静かに浸透していったようだ。
気づいたら、僕の中には新たな価値観が形成されていた。
自分の仕事は何なのか。誰のために、何のために仕事をしているのか。どんな価値が提供できているのか。
その証拠に、このブログは昨年3月末から始めているが、その頃でさえ何一つ地震については触れていない。
その理由は今この時点からでも推測は容易だ。
3.11について何か書いても薄っぺらくなるので、避けていた。
そういう僕が、1年というある種のタイミングでこうして書いた、ということはやはり何かが変わったのだろう。
僕が中学生だった頃、阪神淡路大震災が発災。
発災の時間帯は未明で、当時それなりに部活に精を出していた僕は、一度眠りに入るとちょっとやそっとじゃ起きない深い眠りが得意な子どもだった。
当時の住まいである大田市では震度が3とかそこらだったらしいが、僕は一切起きることなく、普段通り朝7時半くらいに起きて、母親からニュースを聞かされて知った。
今となっては非常に近い関西で起きた大きな災害であったにもかかわらず当時は、まったくもって現実感のない、自分の日常とは切り離された「ニュース」としか認識できなかった。
同年代の人もそうでない人も、まさか一生のうちにこんな大規模な地震災害を二度も目の当たりにするとは、とても想像もしなかっただろう。
話は飛びに飛ぶが、東日本大震災がもし深夜に発災していたら、死者数はゼロが一桁増えていたであろう、という話もあるようだ。
2万人の死者で済んだことはむしろ恵まれていた? 防災学者が危ぶむ「魔法の津波対策」が語られる世相 ――藤間功司・防衛大学校教授のケース|3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史|ダイヤモンド・オンライン
ラジオを聞き、テレビを見て、涙が自然と溢れそうになる。
でもそれは、理不尽な自然の猛威に対する怒りなどではなく、それでも何かを守ろうとする人、正確な情報を伝えようとするヒト、可能性は低くとも生存者を探そうとするひと、静かに心に寄り添う「人間」を目の当たりにするからだ。
被災された方たちにとっては、ここまで氾濫してしまった「絆」という言葉が重たいようだ。
不思議な因縁か。
3.11の一ヶ月ほど前のタイミングで、僕はまさに地域の、コミュニティの「絆」の力を指す「ソーシャル・キャピタル」について書いた修士論文を学内発表していた。
ソーシャル・キャピタルと「幸福度」について、地域内の「共食」と家庭内の「共食」の視点から何か得られないか。
共食をキーワードにソーシャル・キャピタルを醸成することができるのではないか、と考えた。
ソーシャル・キャピタルというものは、今後僕の中ではきわめて重要なアイディアとなると思う。
僕の能力ではソーシャル・キャピタルを十分に理解することは困難を伴うけど、それをライフワークとしても、仕事にも活かしたいと思う。
ヒトは共通する困難、課題がなければ協力はできないのか?そんなことはないはずだ。
今日は、学生の頃に得た大事な地域の近くを思いがけず訪れることになって、それが3月11日であるということに、また何かの因縁を感じたので、どうしても今自分の中の言葉を書きだしておきたかった。
整理することもなく書きなぐっているので、自己満足なポストだけど。
いつか、東北を訪れてみたい。
願わくばその頃には、少々金を使っても惜しくないくらいには自立していたい。
2012年3月11日 記
2011.03.11
その日、僕は何をしていた?
はっきりと思い出せる。
前日の3月10日から一泊で隠岐の島町に出張し、15時過ぎ出港のフェリーに乗船した時、船内のテレビで未曾有の大地震が発生したことを知った。
テレビではひっきりなしに津波警報を流していたが、その時点では事の重大さに気づくことなく、仕事で疲れていたこともあり、船内でいつものように寝た。
そして、17時半ころ、七類港に入港した後くらい、もう少し具体的には車でラジオを聞いたであろうくらいから記憶が断片的になる。
おそらく、ラジオを聞いてようやくとんでもない事態なんだと認識したのだろう。
僕がしたことといえば、被災地にボランティアに行くこともなく、せいぜい募金箱にお金を投入するくらいだった。
それでも、3.11はたしかに価値観を少し変えた。
それは時間が経過するにつれて、僕の中に深く静かに浸透していったようだ。
気づいたら、僕の中には新たな価値観が形成されていた。
自分の仕事は何なのか。誰のために、何のために仕事をしているのか。どんな価値が提供できているのか。
その証拠に、このブログは昨年3月末から始めているが、その頃でさえ何一つ地震については触れていない。
その理由は今この時点からでも推測は容易だ。
3.11について何か書いても薄っぺらくなるので、避けていた。
そういう僕が、1年というある種のタイミングでこうして書いた、ということはやはり何かが変わったのだろう。
僕が中学生だった頃、阪神淡路大震災が発災。
発災の時間帯は未明で、当時それなりに部活に精を出していた僕は、一度眠りに入るとちょっとやそっとじゃ起きない深い眠りが得意な子どもだった。
当時の住まいである大田市では震度が3とかそこらだったらしいが、僕は一切起きることなく、普段通り朝7時半くらいに起きて、母親からニュースを聞かされて知った。
今となっては非常に近い関西で起きた大きな災害であったにもかかわらず当時は、まったくもって現実感のない、自分の日常とは切り離された「ニュース」としか認識できなかった。
同年代の人もそうでない人も、まさか一生のうちにこんな大規模な地震災害を二度も目の当たりにするとは、とても想像もしなかっただろう。
話は飛びに飛ぶが、東日本大震災がもし深夜に発災していたら、死者数はゼロが一桁増えていたであろう、という話もあるようだ。
2万人の死者で済んだことはむしろ恵まれていた? 防災学者が危ぶむ「魔法の津波対策」が語られる世相 ――藤間功司・防衛大学校教授のケース|3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史|ダイヤモンド・オンライン
ラジオを聞き、テレビを見て、涙が自然と溢れそうになる。
でもそれは、理不尽な自然の猛威に対する怒りなどではなく、それでも何かを守ろうとする人、正確な情報を伝えようとするヒト、可能性は低くとも生存者を探そうとするひと、静かに心に寄り添う「人間」を目の当たりにするからだ。
被災された方たちにとっては、ここまで氾濫してしまった「絆」という言葉が重たいようだ。
不思議な因縁か。
3.11の一ヶ月ほど前のタイミングで、僕はまさに地域の、コミュニティの「絆」の力を指す「ソーシャル・キャピタル」について書いた修士論文を学内発表していた。
ソーシャル・キャピタルと「幸福度」について、地域内の「共食」と家庭内の「共食」の視点から何か得られないか。
共食をキーワードにソーシャル・キャピタルを醸成することができるのではないか、と考えた。
ソーシャル・キャピタルというものは、今後僕の中ではきわめて重要なアイディアとなると思う。
僕の能力ではソーシャル・キャピタルを十分に理解することは困難を伴うけど、それをライフワークとしても、仕事にも活かしたいと思う。
ヒトは共通する困難、課題がなければ協力はできないのか?そんなことはないはずだ。
今日は、学生の頃に得た大事な地域の近くを思いがけず訪れることになって、それが3月11日であるということに、また何かの因縁を感じたので、どうしても今自分の中の言葉を書きだしておきたかった。
整理することもなく書きなぐっているので、自己満足なポストだけど。
いつか、東北を訪れてみたい。
願わくばその頃には、少々金を使っても惜しくないくらいには自立していたい。
2012年3月11日 記
2012-03-09
「意識の低い」学生だった僕
最近の傾向なのか、仕事の関係でそういった情報が目に入るフィルターがかかっているのかわかりませんが、「意識の高い学生」というものが多いですね。
眩しいくらいにキラッキラッとしてます。
心底すごいなと思います。
先日、学部時代にお世話になった先生と話す機会があり、そこでも
「君は学生の頃そんなタイプ(自分で考えてドンドン動くタイプ)じゃなかったもんね?」と言われて、「そのとおり!」と答えてましたから。
周りには数人はそういう学生はいたし、自分もそういう空気に憧れないわけでもなかった。
でも、バイトをして、ゲームをして、マンガを読んで、映画借りて見て、たまに映画館で見て、という生活でした。
そういう世界に興味がないわけではないが、どこか遠い世界というイメージでした。
要するに、ダメ学生でもない、ずば抜けて優秀な学生でもない、ごくごく平凡な学生でした。
誰かが言ってましたけど、「コンプレックス」が働く原動力になることがあるそうです。
僕の場合、彼ら「意識の高い」人々へのコンプレックスが原動力かもしれないな、と最近思います。
本当に眩しいです。
ただね、そんな意識が低い、平凡な学生だった自分が今、まちづくりだの地域再生だのやってるというのは不思議な縁です。
今の自分がより高いレベルにあがった、とかそういうことじゃないんですが、「働く」とか「公共」とか「地域」とかいったことに目を向ける仕事をできている、というのは「人は変われる」という証左じゃないかと。
平凡でも、人から頼りにされることはあり得る。
自分には何も特徴がない、と思ってる学生には前を向いて目の前にあるチャンスを追いかけてみてほしいなと思います。
周りに恵まれていたという幸運はありますが、超平凡であっても、自分の居場所は作れますよ。
「意識の高い」学生、ライバルに気圧されず、ともにがんばりましょう。
眩しいくらいにキラッキラッとしてます。
心底すごいなと思います。
先日、学部時代にお世話になった先生と話す機会があり、そこでも
「君は学生の頃そんなタイプ(自分で考えてドンドン動くタイプ)じゃなかったもんね?」と言われて、「そのとおり!」と答えてましたから。
周りには数人はそういう学生はいたし、自分もそういう空気に憧れないわけでもなかった。
でも、バイトをして、ゲームをして、マンガを読んで、映画借りて見て、たまに映画館で見て、という生活でした。
そういう世界に興味がないわけではないが、どこか遠い世界というイメージでした。
要するに、ダメ学生でもない、ずば抜けて優秀な学生でもない、ごくごく平凡な学生でした。
誰かが言ってましたけど、「コンプレックス」が働く原動力になることがあるそうです。
僕の場合、彼ら「意識の高い」人々へのコンプレックスが原動力かもしれないな、と最近思います。
本当に眩しいです。
ただね、そんな意識が低い、平凡な学生だった自分が今、まちづくりだの地域再生だのやってるというのは不思議な縁です。
今の自分がより高いレベルにあがった、とかそういうことじゃないんですが、「働く」とか「公共」とか「地域」とかいったことに目を向ける仕事をできている、というのは「人は変われる」という証左じゃないかと。
平凡でも、人から頼りにされることはあり得る。
自分には何も特徴がない、と思ってる学生には前を向いて目の前にあるチャンスを追いかけてみてほしいなと思います。
周りに恵まれていたという幸運はありますが、超平凡であっても、自分の居場所は作れますよ。
「意識の高い」学生、ライバルに気圧されず、ともにがんばりましょう。
2012-03-06
地方コンサルタントのネットワーク化
とあるSNSで書き込んだ内容で、少し前に考えてた問題意識に立ち戻ったので、書いてみる。
テーマは、ずばり「地方コンサルタントのネットワーク化」。
背景1 地方の将来を決める仕事のプロポーザル
なぜコンサルタントのネットワーク化が必要なのか。
それは、地方自治体が発注する「◯◯市総合振興計画」とか「◯◯市ビジョン」だとか、当該自治体の今後5年10年の方向性を決める仕事があります。
その場合、おおむねプロポーザル方式が採用されると思います。
プロポーザル募集されていることが確認されると、社内で向かうか、向かわないかを検討します。
この時点で、たいてい僕は「結果はどうあれ、向かうべき」と主張します。
その理由は、「『勝つ目がないものに向かうのはムダ』という考えは負け犬の考え」だと思っているから。そういう考えで向かわないのなら、いつまでたってもその分野で経験もノウハウも蓄積されないのだから、キビシクてもその分野についてまず研究し、会社なりの方向性、方針を示すことに意義があると思うから。
それに、そもそも「負ける」なんてこと考えて手をあげません。出すからには、出すと決めたからには勝つつもりでいつも出してます。
背景2 総研系の進出
そのプロポーザルですが、「◯◯市内に本社または視点を置くもの」みたいな要件がある場合もあれば、ない場合もあります。
ない場合、そこそこ大きな金額の仕事だと東京や大阪の大手コンサルタント、総研系も入ってくることがあります。
うちの場合、まあ負けることが多いんですね、正直な話。
でも、提案内容で負けてる気がしない、というか内容ならいい勝負してるか、上行ってるでしょ?と思うんだけど、負けてしまいます。(遠吠えですね。。。)
負ける相手は地方の他社だったりもするし、大手だったりもするんですが。
去年、一昨年に限って言えば、「万年2位かよ!?」と思うくらい結果が「次点」続きでした。
非常に悔しいです><
ネットワーク化の目的
島根県内のコンサルタントというと、相互にライバルであり、商売敵であり、負けてなるものかと思う相手であります。
しかし、その一方でコンサルタントのスキルアップは必要で、それを単独のコンサルタント会社でやる、というのは実はコストもかかるし、時間もかかると思うんですね。
であれば、コンサルタントの有志だけでも研究会、勉強会のような形で情報をシェアできる、切磋琢磨できる、良い意味でライバル意識を煽りまくるというのはありだと思うんですね。
オフィシャルでは商売敵でも、プライベートでは単にライバル。
おたがい刺激し合って研鑽しようぜ!というのが、目的。
自分が得意な部分をある程度オープンにしたところで、他社に入り込まれるようなことはない、という自信は誰しもあるでしょうから。
県内コンサルタントのスキルがあがれば県内コンサルタントの評価自体も高まり、総研系が進出してきても名前負けしないような環境にしたいですね。
と言っても、具体的にこんな話を進めてるわけじゃなくて、こんなことができるといいんじゃないかなーと思ってる、くらい。
あ、信頼する人二人くらいには、「こんなことしてみたいんだけど、どうですかね?」とは話したか。
ちょっと拙速かな、といった反応だったので、寝かしてるけど。
コンサルで興味のある人がいたら連絡ほしいけどなー。
弱小コンサルだから相手にされないに100ペリカ。
2012-03-05
「まちづくり系」コンサルタントの採用状況は・・・
先日、とある大学の先生から、学生がコンサルタント業に関心を持ってて、受けるだけ受けてみるらしい、という話を聞いた。
その時は、
「ああ、そうですか。あそこの会社は業績も上向きでいいみたいですよ。いい人材欲しがってるみたいですし」
と当たり障りなく切り上げた。
切り上げたんだけど、どうしても気になったので、後日再会した際に本音を伝えておいた。
正直、身も蓋もないことを伝えた形だけど、少なくとも自分が考えるコンサル業の現状は教えておかないと、と思ったので。
まず、現状でコンサルが新卒を採る可能性は低いと考えられるということ。
まちづくり系、公共経営系、交通政策系……いろんなコンサルタント会社があるけれど、いずれも新卒で雇用する余力はないんじゃないか、という理由から。
ただし、まったくないかというとそうとも限らず、一定の学生なら可能性はある、とも伝えた。
それは、学生時代に、個人のネットワーク、言い換えれば人脈を形成している学生なら可能性はある、ということ。
いわゆる「意識の高い学生」に該当するのかもしれません。
そういう学生は、学生のうちにいろいろと動くから目立ちますよね。そうすると、周囲の大人もいろいろと目をかけ、サポートしたり、指導したりと個人的なネットワークが形成されてきます。
そのネットワークが、対象となるコンサルが弱い部分のネットワークだとしたら、採用する可能性はグンと高まるんじゃないかな。
とりあえず、バイトでも何でもいいから、まずはその会社なり似た業種である程度経験積んでみてはどうか、と偉そうにアドバイスなんかしてみました。
ここまで書いて思ったけど、これってたぶん「まちづくり系」を主要な業務と位置づけてるコンサルの場合、だろうな。
ただ、僕個人としてはそういう目立つ学生ではなく、逆に目立たない学生にも目を向けてほしいなと思います。
なぜなら、ふと先日名刺入れを眺めてたら5~6年前に名刺交換をした、当時「意識の高い学生」たちの名刺が出てきて、「そういえばどうしてるのかな?」と感じたわけです。
で、何人かググってみたけど、最近の情報が出てこないんですよね。
当時あれだけ頑張ってて、講演会やセミナーにプレゼンテーターとして活躍してたのに、どうしてしまったのか、という感覚になってしまいました。
この点は、ただ単に「おまえのネットワークから外れただけだろ」というツッコミの余地はたくさんあるんですけどね。
とは言え、目立たないけど自分の考えを持ってる若い子、自分のスキルを何らかの形で活かしたいと考える若い子はいるわけで、その辺を採用する側には見てもらいたいなと思います。
ま、人を採用することの難しさというのは間接的にではありますが、多少は理解しておりますが。。。
その時は、
「ああ、そうですか。あそこの会社は業績も上向きでいいみたいですよ。いい人材欲しがってるみたいですし」
と当たり障りなく切り上げた。
切り上げたんだけど、どうしても気になったので、後日再会した際に本音を伝えておいた。
正直、身も蓋もないことを伝えた形だけど、少なくとも自分が考えるコンサル業の現状は教えておかないと、と思ったので。
まず、現状でコンサルが新卒を採る可能性は低いと考えられるということ。
まちづくり系、公共経営系、交通政策系……いろんなコンサルタント会社があるけれど、いずれも新卒で雇用する余力はないんじゃないか、という理由から。
ただし、まったくないかというとそうとも限らず、一定の学生なら可能性はある、とも伝えた。
それは、学生時代に、個人のネットワーク、言い換えれば人脈を形成している学生なら可能性はある、ということ。
いわゆる「意識の高い学生」に該当するのかもしれません。
そういう学生は、学生のうちにいろいろと動くから目立ちますよね。そうすると、周囲の大人もいろいろと目をかけ、サポートしたり、指導したりと個人的なネットワークが形成されてきます。
そのネットワークが、対象となるコンサルが弱い部分のネットワークだとしたら、採用する可能性はグンと高まるんじゃないかな。
とりあえず、バイトでも何でもいいから、まずはその会社なり似た業種である程度経験積んでみてはどうか、と偉そうにアドバイスなんかしてみました。
ここまで書いて思ったけど、これってたぶん「まちづくり系」を主要な業務と位置づけてるコンサルの場合、だろうな。
ただ、僕個人としてはそういう目立つ学生ではなく、逆に目立たない学生にも目を向けてほしいなと思います。
なぜなら、ふと先日名刺入れを眺めてたら5~6年前に名刺交換をした、当時「意識の高い学生」たちの名刺が出てきて、「そういえばどうしてるのかな?」と感じたわけです。
で、何人かググってみたけど、最近の情報が出てこないんですよね。
当時あれだけ頑張ってて、講演会やセミナーにプレゼンテーターとして活躍してたのに、どうしてしまったのか、という感覚になってしまいました。
この点は、ただ単に「おまえのネットワークから外れただけだろ」というツッコミの余地はたくさんあるんですけどね。
とは言え、目立たないけど自分の考えを持ってる若い子、自分のスキルを何らかの形で活かしたいと考える若い子はいるわけで、その辺を採用する側には見てもらいたいなと思います。
ま、人を採用することの難しさというのは間接的にではありますが、多少は理解しておりますが。。。
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